愛知治郎の発言 (憲法調査会)
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○愛知治郎君 自民党の愛知治郎でございます。
もうこの終盤になりまして、この調査会、自由討議を私自身させていただくということで、心より光栄に、感謝に思います。ありがとうございます。
ところで、前にもお話ししたことあるかと思いますけれども、五年ほど前ですかね、この国会ではないんですが、議論で、この千年紀、ミレニアムという話があったんですが、あのときに私自身もずっとかなり、今でもそう思っておりますけれども、前千年紀ですね、最大の発明は何だろうかという話がありまして、いろんなものが言われていましたけれども、私は紛れもなく憲法だと思います。といいますのも、この精神というか、この憲法の歴史自体が、ある個人が、例えば発明品であれば特定の科学者の方がつくってある、一部の人たちがつくってあるとかいうことがありますけれども、憲法自体は、まあ基本的には西洋の歴史ではあるんですが、多くの人たちがかかわる人類の歴史と言ってもいいのではないかというふうに思います。ですから、私自身はこの精神を本当に大事だと思います。
九十七条で、日本国憲法ですが、この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の成果という言葉、表現を使っておりますけれども、やはりこの精神を大事にするべきだというふうに思います。
ただ、時代に合わせていろんな問題が日本国憲法も出てきていることも事実ですし、前向きにいろいろ検討しなくちゃいけない、改正しなくてはいけない部分も多々ございますので、特に私自身はこの権利、義務に関して私見を述べさせていただきたいというふうに存じます。
まず、総論なんですが、十二条と十三条にございます。改めて条文を読み上げますけれども、十二条、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。」、これが一点。「又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、」、これが二点。「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と、これが十二条。十三条が「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」というふうにうたっております。十二条で自由及び権利の保持の責任ですね、また濫用の禁止、利用に対しても責任があるということをうたっておりますし、十三条、包括的基本権とまた公共の福祉という話をされております。文章としてなかなか分かりにくいという批判もあるかとは存じますけれども、少なくともここに権利とともに義務を内包している、責任というのもしっかりと果たしていくべきだということはしっかりとうたっていると思います。
しかしながら、よく言われることはこの公共の福祉ですね、義務やその責任に対してどのような制限を受けるのか、この公共の福祉の概念がなかなか分かりにくい、あいまいであるという批判がなされております。この点では改善をしてしっかりと分かりやすいものにすることはできるんではないか、検討するべきではないかというふうに思います。
さて、ちょっと個別の議論なんですが、三点ほど時間の関係上話をさせていただきます。
一つは信教の自由、もう一つ表現の自由、犯罪者の人権に関してでございます。これらは、歴史的に非常に抑圧されることが多かった、守られないことが多かった、だからこそ特別に規定を、保護の規定を置いてあるんだというふうに私自身は理解をしております。先ほどの十二条、十三条だけでも概念的には十分であるが、特別にしっかりとした保護規定を置いているということであります。しかしながら、この権利の保護を重要視する余り、時によってほかの人権を侵害をすることが多々出てきているんじゃないかというふうに考えております。
表現の自由においては、歴史的に言論弾圧であるとか、思想の、言論の統制ですね、必要な情報がなかなか国民に伝わらなかったり、いろんな面でこの表現の自由、阻害されてきた経緯があります。だから大事なんですが、現代において、その代わりに、やはり個人の名誉であるとかプライバシーの侵害が行われたりと、また青少年の健全な育成に悪影響を及ぼすような情報がはんらんしてしまうといったような問題が出てきております。この点では、新しい人権としてしっかりと憲法上加えていく必要性もあるのではないかというふうに思います。
また、犯罪者に関してなんですが、過去においては、例えば政治犯であるとか、いろんな意味で国家権力の濫用をされてこの人権が守られなかった経緯があるので、いまだこれは非常に重要な人権規定だとは思いますけれども、一方、やはり犯罪被害者の方々、犯罪者に対する保護規定が余りにも偏り過ぎちゃって被害者のことを軽視しているんじゃないかという批判もあります。この点で、憲法上しっかりとした規定をまた改めて検討する必要があるのではないかというふうに思います。
次に、信教の自由なんですが、これは過去に政治的に利用されたとか、それから宗教弾圧があったとか、いろんな話がございます。やはり信教の自由、非常に重要な項目であると思います。しかしながら、この今の現行憲法上、二十条にもこれで完璧だということはないんじゃないかというふうに思います。二項の問題というのは一点ありますし、私自身が考えるのは特に三項ですね、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」というふうにございます。
ただ、もちろんその信教の自由を守っていくこと、本当に重要なんですが、この宗教教育に関してではありますけれども、やはり私自身も義務教育を通じて、今まだ三十五歳でありますけれども、ずっと見てきて、今この仕事をしてはっきりと分かるのが国際社会、国際化と日本が言われて、世界的な潮流で、そうなんですけれども、いろんな国の文化や習俗ですね、民族など地域の事情を知る上で宗教をやはり知っていかなければならない、どうしてもその背景にある密接不可分の問題でありますから、いろんな宗教的価値観、どのようなものかということをやはり学んでいかなければならないんじゃないか。もちろん、特定の宗教をこう広げるために国がかかわってやるのは良くないとは思うんですが、全般にわたるその知識、考え方を学んでいく必要があるのではないかと思います。
端的に言いますと、この二十条の三項の宗教教育、これすべての宗教教育だめだというふうに見えるんですが、特定のという一言を入れれば、偏らないで全般的に学べるという形にできるんではないかというふうに思います。
もう一点、新しい人権についていろいろ言われておるんですが、例えば環境権について言われている話があります。
私自身は、この環境、非常に重要な課題だと思うんですが、やはりできるだけシンプルなものがいい、新しいものはできるだけ入れない方がいいんじゃないかと、これは私見でありますけれども、考えております。なぜかというと、先ほども言ったように、特別に侵害されてきたという経緯があったものというのは規定として載せておりますけれども、極端な話、環境に関しては本当に国また国民挙げていろんな取組を現在もしております。非常にこれは取組がいい取組をされてきていることでもありますので、十分ではなかろうかというふうに思います。
まあ絶対的に否定するわけではないんですが、もし導入するのであれば、経済活動の自由との調整の観点から、そちらの経済活動に対する配慮も必要ではないかというふうに思います。なぜならば、やはり日本の経済大国路線の維持を今後ともしていくべきだからだというふうに考えております。ただ、この点についても、政府として環境と経済の両立、統合という方針を出しておりますので、しっかりとした国の取組も既にされているから十分ではないかというふうに思います。
最後になりますが、これらの規定、なぜ必要かといいますと、基本的には、人権の規定、特別に置いたということは、国会に対する、特に立法ですね、立法その他の国政に対する不信というのもあります。本当であれば、十二条、十三条のような包括的なものさえあって、あとは法律なり国政のいろいろな機関がしっかりと取組をしていれば十分であるはずなのに規定を置かなければならなくなった、この経緯ということをやはり重要視すべきだと思います。何を言いたいかといいますと、やはり我々、特に立法府、国政が、しっかりと国民の信託を受けて、それにこたえられるような活動をこれからもしていくべきだと思います。
まあ、いろいろお話ししたいこともあったんですが、時間が来たのでこの程度にしておきたいと思いますが、先ほどの信託をしっかりと受けて実現していくためにも、特にこの参議院の役割というのも重要ではないでしょうか。
以上であります。