大野博人の発言 (憲法調査会)

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○参考人(大野博人君) こんにちは。ただいま御紹介いただきました朝日新聞の外報部の大野です。よろしくお願いいたします。今日はお招きいただきましてありがとうございます。
 私は、パリに合計で七年ほど駐在いたしまして、主にフランスやEUについての記事を書いてまいりました。ただ、特に学識があるわけではありませんので、したがって、今日は現場で見たことあるいは感じたことに基づいたお話をさせていただきたいというふうに考えております。
 まず、EU憲法と国民投票というのがテーマですので、まずEU関連の国民投票について、ある混乱といいますか、私自身も取材したどたばた劇といいますか、の話から始めたいと思います。
 これの舞台はアイルランドでありまして、およそ四年前の二〇〇一年の六月、アイルランドで国民投票、レフェレンダムがありました。このときにレフェレンダムで問われたのは、欧州連合、EUのニース条約という条約の批准に賛成するか反対するかということだったわけですが、このニース条約といいますのは、EUの基本的な制度にかかわる条約でして、当時EUは東ヨーロッパの国々から十か国がもうすぐ入ってくると、こういう段階でありました。こうした国が入ってくると、加盟国はそのときの十五か国から一挙に二十五か国に増えると、こういうときでした。
 こうした国が入ってきますと、EUとして政策などを決める際に、それまでのどちらかというとコンセンサスを大事にしているようなやり方では参加国が多いだけにもたもたして何も決められないということになってきますので、そういう懸念がありましたので、意思決定の仕組みをより効果的で実質的なものに改善する必要に迫られていました。その改革を盛り込んだのがニース条約なわけです。
 南フランスのニースであった首脳会議で合意できたのでニース条約というふうに言うんですが、このときの首脳会議は専ら、非常に、私も取材していたんですが、深夜まで議論がもつれ込みまして行方が定まらずに、私自身、夜通し書いた原稿を何度も書き直すという経験をしたことを覚えております。
 それでも、とにかくその首脳会議では、いろいろな妥協の末に合意にこぎ着けて、一応ニース条約ができました。
 そのニース条約を実際にEU全体の有効な決まりにするには、各国が批准を終えなければならないわけです。当時の加盟十五か国がすべて批准しないといけないわけですが、このうちアイルランドを除く十四か国は議会で批准をすればよかったと。それは、もちろんその予想どおり順調に批准を十四か国は終えたわけです。これは当然でして、その各国の首脳はそれぞれの国に帰れば大抵は議会に与党勢力を擁しているわけでして、議会に諮って失敗することというのは余りないわけです。ところが、アイルランドだけは憲法上国民投票が必要でした。これが話を非常にややこしくしてしまったわけです。というのは、その国民投票の結果がノーというふうに出てしまったからであります。
 先ほど申しましたように、そのニース条約には、EUの拡大に備えた制度改革が盛り込まれていますが、全加盟国が批准しなければ条約は発効いたしません。このままではアイルランド一国がEU拡大の足を引っ張ると、こういう事態になってしまいました。
 アイルランド政府やEUはとても焦ったわけですが、どうしたかといいますと、何と、同じ内容の国民投票を一年余り後の二〇〇二年の十月にもう一度やり直したわけです。質問は一回目と全く同じ、ニース条約批准に賛成か反対かと、こういうことだったわけですね。それでも、不思議なことに、二回目は一回目と違ってイエスが上回ったわけです。アイルランドはめでたくニース条約を批准できたわけですが、一回目のノーで危機感を募らせた政府とかあるいはアイルランドの財界が大々的な批准キャンペーンをしたことが功を奏したというふうに言われています。
 アイルランドの場合、一回目、ノーと出た一回目の国民投票の実施に特に問題があったわけではありません。投票率はかなり低かったんですが、大掛かりな不正があったわけでもありませんし、投票結果は法的に有効なわけです。この問題について民意はちゃんと示されたと言えるわけなんです。
 じゃ、どうして同じ内容の国民投票を一年余り後にもう一度やったんでしょうか。もちろんこれは、一回目の結果がアイルランド政府やEUの期待に反していたからなわけですね。でもこれは、よく考えると非常に変な話でありまして、これについて二回目にダブリンで取材をしたときに聞いた、批准に反対する人たちのリーダーのような人がいたんですが、この人は非常に怒っていまして、こういうふうに言っていました。我々国民はできの悪い学生か、これではまるで点数の足りなかった学生、赤点を取った学生に追試をしているみたいじゃないかと、こういうふうに怒ったわけですね。国民は、要するに、正しい答えを出すまで何回もやり直しをさせられているというわけですね。
 私、個人的には、批准に反対した人たちの主張、批准反対の理由というのはやや無理があるところもあったんじゃないかという気はするんですが、どっちにしても民意は民意でして、いったん民意が示されるとそれに従うのが民主的な政府の基本的な姿勢でなければならないわけですが、この反対派の幹部は、政府やEUが先に結論、この場合ニース条約の批准ということですが、を決めていて、国民がそれに従わなければならないとすれば、国民投票なんというのはただのゴム印にすぎないと、こういうふうに嘆いていました。確かに、それはそのとおりとしか言いようがないところもあるわけであります。
 実は、アイルランドでも、もし議会で批准の是非を決めていれば、一回目のときから百六十二対四くらいの圧倒的な差で難なく批准が承認されただろうというふうに言われていたんですね。逆に、議会で批准したほかの国、十四か国でも、もし国民投票をしていればゴーサインが出たかどうか非常に怪しいというふうに言われていました。
 さて、今年、フランスとオランダで、御承知のように国民投票でEU憲法についてノンという答えが出たわけですね。
 このEU憲法というのは、今お話ししましたアイルランドでもめたニース条約の言わば後継に当たる条約なんですけれども、苦労して発効させたニース条約ですけれども、それでも大世帯となったEUの統合を進めるのはまだまだ難しいということで、もっとEUを進歩させるために考え出されたのがEU憲法なわけですね。ところが、そのEU憲法でも、また国民投票でストップが掛けられた。これもニース条約と同様、議会で批准の承認ができる国の幾つかは既にゴーサインを出しています。ところが、フランスとオランダは国民投票だった。議会はいいというのに国民は嫌だという、このまた同じ構造が繰り返されたわけです。EUについては、どうも国民とその国民が選んだはずの議員たちの間で大きな溝があると言わざるを得ないように思います。
 国民投票は代表民主制を補完して民意を政治に反映する仕組みだというふうに言われるわけですが、市民が選ぶ議員で構成される議会と市民自身が示す声とは必ずしもぴったり重なるわけではないと思うんですね。これほどまで懸け離れてしまうことをどう考えればいいんだろうかと。
 何でそんなこと起きるのか、それを考える前に、まず、何でこんな苦労をしてまでEUはニース条約だの憲法だのを作ろうとしているのかを考えてみたいと思います。
 それにはまず、そもそもEU憲法とは何か考えなければいけません。憲法と呼ばれますが、先ほど申し上げたように、これはEU加盟国間の条約です。EUの諸制度を定めるべく幾つも作られた条約を発展的にまとめたものと言ってもいいかもしれません。ですから、日本国憲法というような意味での一つの国の憲法とは少々異なるわけですが、それにEU憲法が発効しても加盟各国がそれぞれの憲法を廃棄するわけではありません。
 ただ、それでも憲法と呼ぼうとするだけのかなり踏み込んだ内容を備えたものであることもまた事実でして、普通の国の場合とちょっと意味は違ってきちゃうわけですが、プレジデントとかあるいは外務大臣というようなポストを設置することにもしたりしています。いずれにしても、二十五か国に及ぶ国があえて憲法と呼んではばからないような条約を共有しようというのは、考えようによっては途方もないことだと言ってもいいかもしれません。アジアではちょっと考えられないような事態です。
 では、なぜそんな途方もないものをEUは共有しようとしているのかと。EUというと、日本では経済圏とか市場という色合いが、イメージが強いように思うんですが、市場を今一緒にしたわけですし、それから、まだすべての国が参加しているわけではないにしても、通貨も同じにしている。しかしながら、今EUが大きな力を注いでいるのは、実は政治統合の方だというふうに思います。
 政治統合は何かといいますと、欧州が市場として、経済圏として一体になるというだけでなく、共同体としても一体になろうとしているということを表していると言っていいんじゃないかと思います。この場合、市場が経済を可能にする空間だというふうに考えられるとすれば、共同体というのは政治、あるいは更に言えば民主主義を可能にする空間だというふうに考えてもいいんじゃないかと思います。
 経済統合、市場統合だけでも結構なことなのに、どうしてEUは更にその先を目指すのか。例えば、単一通貨ユーロの導入なんですが、手に取って見ることができるのは、二〇〇二年の正月から導入されたわけです。これは、お金を統一してビジネスや何かが便利になったというだけでは済まない大きな意味を持っています。これができたことは加盟国が通貨主権を放棄することでもありますし、通貨主権を放棄すればそれだけでは済まない効果がまたあります。
 つまり、ユーロが安定した通貨であるためには、各国が放漫財政に陥らないように一定の規律を守らなければいけないわけですが、そのために財政安定協定という約束が各国の財政に縛りを掛けるようになります。そうすると、各国政府は自分の都合だけで予算を組めなくなってしまいます。そこに縛りが掛かれば、お金の掛かる政策すべてが大きな影響を受けるわけですね。各国がそんな具合になるとすれば、各国に代わって全体を調整する役割をEUが担わなければいけない。
 それに、ユーロだけではなくて、EUは様々な分野でいろんな政策を打ち出して、それを加盟国政府や市民が従わなければいけない規則ですとかあるいは指令の形で出しているわけですが、それによって各国でどういうことが起きているかといいますと、例えばフランスではEUの規則や指令に合わせるために作られる国内法が最近の法律の六、七割に上るという推計もあります。つまり、EUは既に市民が住んでいるその国以上にそこでの市民生活にかなり深く関与していると、こういう実態があるわけです。その一方で、当然ながら、その動きと並行して加盟各国の国の政治、国政ですね、これの影が次第に薄くなりつつある。EUに権限が移れば移るほど各加盟国の権限は小さくなるというのは必然的な現象とも言えるわけですが、そういうことが起きている。
 となると、欧州レベルでの政治的な意思決定の仕組みはますます効果的で民主的でなければいけないということになるわけです。ところが、EUには民主的な意思決定システムが必ずしもちゃんと整備されているわけではない。確かに、EU加盟国は民主的な国ばかりなんですが、EU自体は直接欧州市民の民意を反映するチャンネルを十分備えているとは今のところ言い難いわけですね。大づかみに言うと、各国政府は民主的だけれどもEU自体はそうでもなくて、市民が直接コントロールをしているというふうにはなかなかいかないと。ですから、市民が幾ら選挙のたびに、国政選挙のたびに意思を表示しても、それが政策に跳ね返ってこない、こういうことが起きるわけですね。
 となると、EUは民主的な仕組みをもっと整備することが急務になってきます。そこで考え出されたのがニース条約であったり、さらに今注目されているEU憲法であったりするわけですね。
 EUにもそれなりに民主的な仕組みがないわけではありませんで、例えば欧州議会というものがあります。欧州市民が直接選挙で選ぶ七百三十二人の議員で構成されているわけですが、ただ、権限を、これも拡大しつつあるんですが、まだちゃんとした立法権があるというふうには言い切れませんし、それから最高の意思決定機関というふうには言えないわけです。
 一番の意思決定機関は、じゃ、どこだろうかというと、それは加盟各国の首脳と欧州委員会委員長で構成する欧州理事会、EUサミットですとか、あるいは加盟各国の閣僚で構成する閣僚理事会ということになります。しかし、各国の代表から成る機関ではあるんですが、そのメンバーはEUの為政者として公選を経てそのポストに就いているわけではないわけです。つまり、欧州市民がEUのために直接選んだ人ではなくて、各国政府から来た代表の集まりがより大きな権限を持っているというふうに言えると思います。
 これはフランスなんかでこのことについて次のような比喩がよく使われるんですが、つまり、二院制の一般的なイメージをモデルにちょっと考えてみようと思うんですが、下院議員というのは市民一人一人が同じ重みを持った一票を投じて選ぶのに対して、上院というのは、人口のばらつきがあっても州ですとか県ですとかといった各地方平等な権利を認めて、同じ数ずつ選ばれた議員から構成されると。下院が市民一人一人の平等の権利を基礎にして議員を選んでいるのに対して、上院というのは市民一人一人ではなくて、各地方という集団一つ一つの平等を基礎にして構成されていると、こういうふうに一般的なイメージでいうとなると思うんですが、こうした二院制の場合、市民一人一人の権利の平等を基礎にした下院の方により強い権限が与えられているんですが。
 ところが、このイメージからすると、EUではこうした構図が逆転しているというふうに言えるわけです。つまり、市民一人一人が直接選んだ議員で構成される欧州議会ではなくて、各国の代表が集まって話し合う欧州理事会や閣僚理事会の方が強い権限を持っていると、こういうことになっておるわけですね。ここにその民意が反映されにくい問題点の一つがあります。
 各国首脳や閣僚の話合いでは、民意を反映するというより各国の利害をめぐる綱引きに終始しがちなんですが、各国の政治家やそのエリートたちの駆け引き、妥協などが積み重なっていきますと、欧州市民が本当に望んでいることと懸け離れた結果になることが少なくありません。一般の市民感情がどこかに置き忘れになってしまうということになるわけです。
 その結果何が起きるかといいますと、もちろん市民はそれに対して批判を加えることができないので不満がたまると。その結果、ニース条約をめぐるアイルランドでの国民投票ですとか、EU憲法批准のためのフランスやオランダの国民投票で反発が表現されるということになるわけですね。
 ブリュッセル、EUの中心であるブリュッセルに集まる各国の政治家や官僚といったエリートが民意の批判を視野に入れないまま様々な政策を打ち出してしまうと。その内容が理にかなっている場合も少なくはないわけですが、しかし一般市民にすれば蚊帳の外に置かれたまま物事が決められるということになってしまう。つまり、EUレベルの政策はしばしば民意を置き去りにしたまま進められてしまうと。気が付くと民意と大きく懸け離れている、で、いら立ちが市民の側には募る、こういうことになるわけですね。たまに国民投票なんという直接民意を問う機会があると、その不満が一気に噴き出してあっさりと否定されると。
 こういう状態をヨーロッパでは民主主義の赤字というふうに呼びます。民意を適切に政策に反映するべきチャンネルが詰まっている状態と言っていいかと思うんですが、民意が適切な政策になって跳ね返ってこない、そのまま言ってみれば不良債権化してしまう、こういう状態と言ってもいいかと思います。民意が適切な政策にならないということはどの国でもあることではあるんですが、しかし、EUというのは民主的なシステムを整えなければいけない、仕組みを整えなければいけないということを非常に意識しておりますので、この民主主義の赤字というものに対する問題意識が非常に鋭いというふうに言っていいんではないかと思います。
 では、この民主主義の赤字を解消するのに、欧州議会ですね、これを普通の下院のように権限を強化してはどうかと。だけれども、話はそれほど簡単ではない。どうしてかといいますと、これにはヨーロッパ人というアイデンティティーとかあるいは帰属意識というべきものがまだヨーロッパでは実際は希薄だということが大きな問題として立ちはだかっているわけです。
 どういうことかといいますと、これについては、フランスの左派の政治家で欧州統合に批判的、左派ですが批判的で、左のナショナリストなんて呼ばれている元内相のジャンピエール・シュベヌマンという人がインタビューしたときに説明してくれたんですが、こういうことなわけですね。
 民主主義が機能するためには、多数決というシステムを導入しただけでは駄目だと。多数決で物事を決めたときに、負けた側、つまり少数派が多数派の意見を受け入れることができなければならないと。ところが、帰属意識を共有しない人たちの間ではこれができない、こういうふうに言うわけですね。
 例えば、欧州議会である政策の賛否がそれぞれの議員の政治的な考えというより国籍によって割れた場合、多数決は効果的でしょうか。恐らく、負けた議員の出身国はその決定に従うのを嫌がるんじゃないかと思われるわけですね。これが、例えばナショナリズムのような帰属意識を共有する人たちの間ではそうした事態は起こりにくい。
 というのは、普通の民主主義国では、有権者は、自分が投票しなかった政党が選挙に勝って政権を取っても、それを自国の政府というふうにみなします。反対した者も、自分は反対だったけれども、私たち国民みんなで決めたことだから仕方がないというふうに考えます。例えば、日本でこの間も総選挙があったわけですが、自民党が勝った。このときに、自民党の主張に反対でほかの政党に投票した人でも、選挙の結果を受け入れないということは考えられない。同じ日本人同士で選挙をして決めたのだから、自分の思いどおりにいかなくても仕方がないというふうに当然なるわけですね。これは当たり前のようなことに見えますが、これが帰属意識を共有しない人たちの間で選挙をするとどういうことになるかといいますと、結果をみんなが受け入れるということがなかなか難しい。
 例えば、たまたまイラクで国民投票で憲法案が承認されたわけですが、イラク人という帰属意識より、例えばクルド人だとかシーア派だとかスンニ派だとかいうそういう帰属意識、アイデンティティーの方が強いとすれば、負けたときに選挙結果を受け入れられるかどうか、これはなかなか難問だと思います。それで、受け入れなくて従わないばかりか、例えば結果を受け入れない、受け入れたくないというグループがテロですとかゲリラを始めれば、民主主義は崩壊してしまうわけですね。
 言い換えると、民主主義がきちんと機能するには人々が同じ社会に属する仲間だという帰属意識を共有することが必要なんですが、近代社会ではそれはナショナリズムという感情だったりもするわけですが、私たちという感じ、私たちみんなという感じの共有があるかどうか、これが非常に重要なわけですね。
 しかしながら、ヨーロッパ人というのはそういう私たちという帰属意識になっているか、あるいは、今はまだにしても、そういうのになり得るのかという問題があるわけですが、シュベヌマン氏は、そういう意識がないことはないにしても、ドイツ人やフランス人というアイデンティティーのように強くなるにはまだまだ相当の時間が掛かると、そういうアイデンティティーがない間は民主主義は恐らく機能しないというのが彼の意見ではあるわけですね。だから、民主主義というのは依然として国民国家という枠組みの中でしか機能しないだろうというのが彼の主張です。
 それはそれなりに説得的なんですが、さはさりながら、さっき申し上げましたように、EUというのはもう市場や通貨が一緒になってきてしまっている、今更政治統合を進めないわけにはいかないということになっているわけです。言わば車の両輪でして、経済だけだと前に進めないような状態になっている。じゃ、近代的な民主主義国家が前提としていた国民とかネーションとかあるいはナショナリズムのような帰属意識が薄いところでどうやって民主主義を成立させればいいか、これが欧州の直面しているジレンマだというふうに考えていいかと思います。国民国家モデルの民主主義が基本にしている国民という帰属意識を共有する社会集団はない、だけど民主主義をやらなきゃいけない。ですから、欧州議会を普通の国の下院のようにして済むほど話は簡単にはいかないわけですね。
 どうするかといいますと、確かに下院の権限を今より強化するべきではあるでしょうし、実際に物事は少しずつそういうふうに進んではいるんですが、しかしそれを待っていては必要な改革が進まない。とすれば、欧州理事会とか閣僚理事会での意思決定の仕組みに改革するより仕方がない。そこで、何とか民主主義を確立しようと思うと、EUは同時に二種類の平等を実現しなければいけないということになります。一つは市民一人一人の平等、もう一つは各国の平等。
 EUに対して欧州市民は、個人として、それぞれ個人として私に平等の権利が与えられているかどうかというふうに問うわけですが、それと同時に、ドイツ人としての私たち、フランス人としての私たち、あるいはルクセンブルク人としての私たちに平等の権利が与えられているかというふうな問い掛けもするわけです。つまり、私にとっての平等と私たちにとっての平等と、この二つを両方満足させないといけない。これは結構難題なわけですね。
 もし各国の平等だけを考えるとすると、人口が多くても少なくても一票ですね。これを市民一人一人の権利という視点から見ると、例えば人口の多いドイツ市民一人が持つ一票の重みというのは、人口が一番少ないマルタ市民に比べて二百六分の一しかなくなってしまう。大国にとっては魅力がないわけでして、結局物事は政府間の交渉で決めることになってしまう。だとすると同じことでして、各国政府は国益調整に終始して、市民生活に密着する問題を遅れなく解決するのはなかなか難しくなる。アメリカと張り合えるような極を形成するのも難しいと。逆に、一人一票の重みの平等というのを厳格に実現すると、各国市民の国籍という点から見ると、人口四十万人のマルタというのは、人口八千二百五十三万人のドイツの前ではもうほとんど無に等しいわけですね。
 この問題を調整するためにEUで採用されてきたのが持ち票方式といいまして、閣僚理事会で何かを決めるときに人口の多い国の持ち票を増やすという方式です。加重特定多数決制とも呼ばれているんですけれども、今使っているニース条約だと、全体で三百二十一票として、ドイツとかフランス、イギリスなど大きな国は二十九票、小さいルクセンブルクなんか四票というふうに配分して、可決に必要なのは二百三十二票というふうに決めています。
 しかし、これでも市民の平等という目から見るとかなりアンバランスで、人口でドイツはマルタの二百六倍ですけれども、持ち票は十倍弱にしかならないわけですね。そもそも持ち票の配分というのは論理的な意味があるわけではないので、単に各国の駆け引きの結果です。で、それじゃというんで、憲法草案にはこんな方式が盛り込まれています。
 つまり、欧州理事会、主に閣僚理事会で、閣僚理事会の多数決の際の持ち票は一国一票とします。ただ、可決するには、そこで五五%の国が賛成するだけでなくて、賛成国の人口の合計がEU全体の六五%を超えなければならないという方式なんですね。今のニース条約でも似たような思想が盛り込まれているんですが、EU憲法でさらに二つの平等に何とか折り合いを付けようという感が一層はっきりと打ち出されたというふうに思います。
 ただ、憲法草案に盛り込まれた方式でも、二つの平等がちゃんと解決しているかというと必ずしもそうではなくて、どうしてかといいますと、この方式ですと、各国国民は丸ごと閣僚理事会に出る自分の閣僚の意見というものの賛同者というふうにみなされるわけでして、フランス人ならフランスの閣僚、ギリシャ人ならギリシャの閣僚と同じ意見を持っているというふうにみなされるわけです。つまり、一つの意見に塗りつぶされた固まりとしてしか市民は出てこないと。一人一人の平等に配慮しているようでいて、個人の意見の違いという肝心の点が置き去りになっているわけですね。ですから、まだEUの民主主義というのは完成から遠いわけですが、依然として、ですから建設中というふうに言えるのではないかと思います。
 ただ、いずれにしてもEUが目指しているのは、その政治的な目的というのは、国民というその帰属意識を土台にした民主主義を備えた近代的な国民国家、それを超えてなお民主的な共同体を築こうと、こういうところにあるんだと思います。これは地球上まだどこにも存在したことのないような前衛的な試みだと言っていいんじゃないかと思います。
 それで、最後に、以上に見てきたことを簡単にまとめますとこうなります。
 つまり、EUは民主的な制度が未整備で、そのために民意が政策に反映しにくい。民主主義の赤字が増大していると。だから、たまに国民投票があると、そこでEUへの反発が噴き出す。民主主義の赤字を少しでも解消し、より民主的な効果的な組織にするための憲法を作ろうとしているんだけれども、ところがこの試みもまた市民がEUへの不満をぶつける標的になりやすいと。こういう非常に厄介なジレンマの中にEUはあるんじゃないかというふうに思います。
 それでも、例えば国民投票で、今後に難題を抱えることになったフランスとオランダなんですけれども、フランスではEU憲法の批准の是非を国民投票にかけずに議会で承認してしまうという選択肢もあったわけです。また、オランダでも議会で承認してもよかったわけです。そればかりか、オランダの場合は国民投票には法的な拘束力がありません。しかし、あえて国民投票をやってその結果を尊重するという方針で臨んだわけですね。アイルランドの経験に照らすまでもなく、例えばフランス政府も既に国民投票で冷やりとさせられた経験を持っていて、一九九二年、通貨統合、ユーロの導入に伴う条約で、国民投票は賛成が五一%で反対が四九%という非常に際どい結果だったわけです。
 政治家にとって、あるいは国の指導者にとって国民投票というのはある意味でかなり厄介な制度というふうに言えるかもしれない。欧州の指導者はそれを非常によく分かっています。にもかかわらず実施する国があると。議会で承認しても構わないのに、また議会で承認すれば予想外の問題を抱えるリスクもないのに、あえて国民投票で是非を問う。そこにはもちろん政治的な計算もあるわけですが、しかしEUという全く新しい共同体の民主主義に正統性を付与するにはできる限り直接市民に問うべきであろうと、こういう判断ですとか覚悟があるように私は感じました。
 以上で私の報告を、時間も来ましたので終わらせていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。

発言情報

speech_id: 116314184X00420051026_002

発言者: 大野博人

speaker_id: 21210

日付: 2005-10-26

院: 参議院

会議名: 憲法調査会