蓮舫の発言 (文教科学委員会)
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○蓮舫君 是非、大臣のこれは強い指導力をお願いをいたします。
〔委員長退席、理事佐藤泰介君着席〕
多くの人が子供を見守る、多くの人が子供のサインに気付く、そういう環境を整えていただきたいんですが、ただ、今の教育行政の問題でいうと、かかわっている方たち、大人の感度といいますか、子供のサインをきっちり見付けるんだという意識が極めて私は欠けているような実感を視察を行って感じているんですね。
例えば、筑前町、福岡です。いじめを苦に子供が自殺をした。で、学校に御遺族が子供の遺品を取りに行った。そのときに子供の机の引き出しを開けるとき、自分の息子の机に花が飾ってなかったと。確かに法律では書いてないと思います、事故、事件で亡くなったお子様の机に花を飾らなきゃいけないなんて。これは情なんですよ。学校の人たちのこの子供への御供養とか、友達へ命を失ったその尊さとか、お花一本でそれを教えるんだというものがある。でも、これを行っていない。町の教育委員会、学校に確認をすると、いや、飾りました、亡くなってから三日後です。三日後というのは土曜日です。学校休んでいます。一体何のための花なのかと。私はここに情というものが非常に薄いと思った。
あるいは、岐阜、瑞浪市。この市の教育長は亡くなった女の子の部屋から見付かった遺書をメモと言いました。何でメモなんですか、遺書じゃないですか、そう伺うと、遺書と書いてないからメモと言ったまでですと。これも意識なんです。女の子が残したものです。それをそういう言い方をされる。
あるいは、北海道滝川市。七通もの遺書を残して学校の教室で亡くなった女の子。市の教育長、遺書ではなく文書だと言われたと。これは教育長は、当時は御遺族が興奮されていたので御勘違いだという釈明をしておりますけれども、遺族がそう受け止めてしまう心の痛み、重みというのを余りにもおもんぱかっていない。
私は、この一連の今話したことを含めて、教育行政関係者の方たちは、いかに自分たちの責任ではなくて亡くなった子供に非があるんだと、だから、そういう自分たちの責任を認めるような単語や言葉遣いをしないんだというような姿勢が現れていると思ってなりません。いかがでしょうか、大臣。大臣、大臣です。事務的なことじゃないんです。大臣。