葉梨康弘の発言 (日本国憲法に関する調査特別委員会)

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○衆議院議員(葉梨康弘君) 佐藤先生にお答えいたします。
 いつも自民党の農林部会で大変御指導を賜っておりまして、農業も大切ではございますけど、憲法も大切であろうというふうに思います。
 ちょっと具体的なデータになりますので、少し細かめに御説明をさしていただきたいと思います。
 私ども、昨年、一昨年と、オーストリア、スロバキア、スイス、スペイン、フランス、ポーランド、イタリア、デンマーク、エストニア、この九か国について調査をしてまいりました。
 このうちスロバキアについては、さきにフィンランドの例もございましたけれども、憲法改正についてはこれは代議政治である議会が決めることであって、国民投票には付さないと、一般的な事項について定めるというような国民投票法でございます。
 そして、フランスとデンマークですけれども、これについては、先般来、この質疑でも御説明しておりますとおり、各個別の国民投票ごとにデクレあるいは国民投票法というのを定めるということになっていますけれども、これはもう確認をしてまいりましたけれども、その規制の在り方については、多少フランスが二〇〇〇年と二〇〇五年で商業放送を少し緩めたとかいうのはございますけれども、ほとんどそのベースは変わらないという規制であるから大丈夫なんだという御説明でございました。
 そして、他の六か国においては既になされておるわけですけれども、まずスイスは、一八四八年に憲法が制定されて、現在の法律自体は一九七六年の法律なんですけれども、もう御案内のとおり、スイスは国民投票がもう本当に、もう何百年にわたって行われている国でございまして、当然その法制の整備はあったというふうに理解をしております。
 スペインは、憲法は一九七八年の制定ですけれども、翌一九七九年に国民投票法制が整備されている。
 ポーランドですけれども、憲法が一九九七年の制定ですけれども、国民投票法ですと、その二年前になりますが一九九五年に制定をされております。
 エストニア、これは一九九二年の憲法でございますが、これが二年後の一九九四年に制定されているということでございます。
 そして、あとオーストリアとイタリアなんですけれども、オーストリアの場合は、確かに一九二九年の憲法がいったん廃止になりまして、それが一九四五年に復活をして、そして国民投票法制ができましたのが一九五八年ということで、間が十三年間置いているんですけれども、これは幾つかやはり理由がございます。といいますのは、オーストリアにおいては憲法そのものの改正について国民投票を要さないこととされておる。もう既に何十回も改正をされているというふうに聞いてきたんですけれども、国民投票によって憲法を改正した例というのは、オーストリアはそれ自体がないんです。
 ですから、十三年間置いていたということなんですけれども、それだけではなくて、実は一九三八年にヒトラーがオーストリアに進駐いたしました。その年の秋ですけれども、九九・七%という高い賛成でオーストリアの併合を国民投票で、国民投票にかけてオーストリアの併合の承認を得たと。これはまあ相当な宣伝が行われたというふうに聞いていますけれども、そういったようにちょっと苦い経験もあるということで、間十三年ぐらい置いたというような歴史的な経緯もあると思います。いずれにしても、憲法の改正自体については国民投票法制というのを、国民投票は要しないということとされています。
 イタリアの場合なんですけれども、確かに憲法は一九四七年の制定ですけれども、この場合、国民投票法は一九七〇年ということで、二十三年の間が置いております。ただ、これについても幾つか理由がございまして、といいますのは、イタリアにおいて例えば統治機構に属するような事項であるとか、あるいは裁判官の任期の問題であるとか、そういったような細かな事項については必ずしも国民投票を要さない、憲法改正については要さないということとされております。ですから、一九七〇年の前に二回ほど改正が行われたんですけれども、これは議会だけで改正された。ただし、根本部分についてはやはり国民投票を要するということでありまして、一九七〇年以降、二回国民投票が行われています。憲法改正自体は十四回行われております。
 ただ、これについても、先ほどのオーストリアとはちょっとパラレルになるんですけれども、大変歴史的な経緯があるというふうに考えております。といいますのは、一九四六年に当時の王制を廃止するために、イタリアでは国民投票が行われました。これが五四・三%の賛成、四五・七%の反対ということで、共和制を選択したわけなんですけれども、実はこれは地域的に言って、北部の州においてはほとんど三分の二以上が共和制を選択、南部の州においては三分の二程度が王制を選択するということで、非常に国内的な分裂の要素というのが国民投票を経験したところ出てきてしまった。そしてさらに、その後も引き続いて冷戦構造の中での大きな与野党の対立というのがあって、やはりその期間の間は憲法について、憲法的凍結ということをイタリアでは言われているんですけれども、憲法について定められた種々の制度、これが整備される期間であるということで、一九七〇年に至ってようやく国民投票法制が整備されたというわけなんです。
 けれども、今申し上げましたとおり、イタリアにおいてすら憲法改正について技術的な事項については必ずしも国民投票を要しないということをされておりますので、一九七〇年以前において、先ほども申し上げましたとおり二回憲法改正がなされておる、そういったような事情がございます。

発言情報

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発言者: 葉梨康弘

speaker_id: 24180

日付: 2007-04-26

院: 参議院

会議名: 日本国憲法に関する調査特別委員会