冨岡勉の発言 (厚生労働委員会)
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○冨岡委員 ありがとうございました。そのエネルギーに期待をしておりますので、どうぞ頑張っていただければと思います。
続きまして、私のローカルな話になるかもしれませんが、被爆地長崎、被爆地対策について少しお尋ねしたいと思います。
この被爆者対策というのは、ずっと戦後六十二年間、いろいろな形で形を変えながら継続してやられてきております。昨今、注目を、耳目を集めているのは、原爆症認定をめぐる訴訟問題ではないかと思います。国側は六連敗ですか、ずっと負け続けているような判決が出て、広島原爆の日を前に、安倍前首相が八月五日に、原爆症認定のあり方について専門家の判断を見て見直しを検討したいと表明されたわけでございます。これを受けて、福田総理、そして舛添大臣が今それに取り組んでいるというふうに承知しております。
ただ、原爆症をめぐる集団訴訟では、その判定基準になったのが、平成十三年に策定されました原爆症認定に関する審査の方針、これに基づいて認定をしているというように理解しておりますけれども、今回の見直しで新しい審査基準の作成検討に入ったということは、本当にこれは裁判所の判断に照らしても当然のことだと思うし、評価できると思います。
これを受けて、我々与党PTでは、十月下旬より正式に活動を開始しております。政府の原爆症認定の在り方に関する検討会、これが並行しながら、今現在四回の検討を行っている。与党PTは回数はもう相当になっていますけれども、勉強会も含めれば恐らく十数回になっていると思います。
さて、これとはちょっと話がまた違いますけれども、長崎における原爆被爆地域については、ちょっと参考資料をごらんください。資料の二に、このピンク色が三十二年に施行して、これは驚くべきことに行政単位で決められていますね。当時の市の区分プラス町ということです。これはおかしいということでいろいろ変遷を加えておられるのが、水色、グリーン、それから黄色ということになっている。
この黄色の部分に関しましては、何と、被爆体験者という、これは被爆者ではなく被爆体験者とは一体何だろうかというような、僕も最初それを知ったときは、それは何ですかという質問をしたぐらいなんですね。
つまり、この黄色の部分は、被爆五十五周年の平成十二年に、やはりおかしいんじゃないかということで、当時の森首相が見直しなさいよと言った経過がございまして、ただ、被爆者としてはなぜか扱われていない。PTSD、ポスト・トラウマティック・ストレス・ディジーズ、心的外傷後ストレス障害、こういう診断のついた人がそこにいるんだというような、ちょっと、何ですかといろいろ説明を聞かないとわからないような、そういう方たちがおられるということを知っていただきたいと思います。
そして、これが、被爆体験者支援事業としてそういった方たちに支援が始まったんですけれども、何と、二〇〇五年六月の制度改正で、一部の人たちが、記憶のない人たちが外されたという経過がございます、簡単に言うと。記憶がないといっても、二歳とか一歳の人があるわけもないわけなので、実際、お兄ちゃんは記憶が四歳であったから、同じ家に住んでおって、それは認定されて、あなたはないからだめなんだと。私は一歳で覚えておりませんと言っても、しようがないということで、外されたわけでございます。極端に言えば、そういう説明でいいと思います。
そういう経過がございまして、一体これは何からきているのかなということなんですけれども、そういった不可解な問題がございまして、実は昨日、この被爆体験者団体から訴訟が起こったということです、長崎ですね、これはおかしいじゃないかと。非常に残念な気もするんですけれども、現場で聞いてみると、本当に、当時子供で三、四歳の方たちも、原爆に関する閃光や爆風とか、ガラス戸が破れたということをやはり覚えておられます。そういう方もおられます。そして、雨が降った、黒い雨が降ったというふうに訴えられるわけですね。
したがって、一体これはどういう扱いをすればいいのかということが問題になるわけなんです。これは、裁判が始まったので軽々にいろいろコメントがしにくいとは思いますけれども、恐らく、大臣、初めてこの被爆体験者という言葉を聞かれたんじゃないかなと思いますけれども、今のお考えというんでしょうか、自分のコメントとして、もし何かございましたらお聞かせ願いたいと思います。