尾身幸次の発言 (本会議)
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○尾身幸次君 ただいま、河野議長より院議をもって永年在職表彰を賜りましたことは、まことに光栄の至りであります。本日ともに表彰を受けられた、一九八三年十二月初当選、以来八回連続当選の同期議員八名がおられますが、年長のゆえをもちまして、お許しを得て、一同を代表し、私が、慣例に従って、みずからの来し方を振り返りつつ、御礼の言葉を申し上げます。(拍手)
私は、群馬県沼田市に、八人兄弟の長男として生まれました。生活は苦しく、中学のころから行商をして家業を助けました。大学も自宅からの送金は一切なく、奨学金と週五回の家庭教師のアルバイトで卒業いたしました。
通産省で二十六年間勤務した後、かねて心ひそかに志していた政治への道を目指し、衆議院選挙に立候補するため、ふるさとへ戻りました。
「渡って帰る橋は自分でたたき落として群馬に戻ってきました。もう通産省の温かいいすには戻ることはできません。」これが中選挙区時代の群馬一区での私の第一声でありました。地盤、看板、かばんのいずれもない裸一貫の私は、自民党の公認もいただけませんでした。しかし、結果は、草の根の力で、無名の私を選んでいただいてのトップ当選でありました。以来本日まで二十五年間、私を支え、育ててくださったのは、地元の有権者の皆様であります。この議場から改めて心より厚く御礼を申し上げます。(拍手)
二十八歳のとき、突然結核にかかったことが縁で、我が恩師、中村天風先生にめぐり会うことができ、ヨガ哲学を基本とする心身統一法で病を克服し、以来今日までの四十五年間、毎朝、座禅と呼吸法と冷水浴を実行し、自分自身の心と体を鍛えつつ、この半世紀近くを走り続けてまいりました。
一九九三年、科学技術部会長に就任したとき、私は、資源が乏しく国土の狭い日本は科学技術立国を目指す以外に生きる道はないと考え、二年の歳月をかけて科学技術基本法を議員立法として提案、国会を満場一致で通すことができました。このことが、その後私が科学技術に力を注ぐ契機となりました。
経済企画庁長官、科学技術政策、沖縄及び北方対策担当国務大臣、財務大臣と三度の閣僚経験をさせていただきましたが、その中で、科学技術及び沖縄担当大臣のとき、二つの考えが心に浮かびました。
一つは、沖縄に英語で講義を行う科学技術の大学院大学を設立することです。現在、この大学院大学は、ベスト・イン・ザ・ワールドという理念を掲げ、着々と開学に向かって進んでいます。
二つ目は、ダボス会議の科学技術版とも言える科学技術と人類の未来に関する国際フォーラム、STSフォーラムの開催です。
科学技術の急速な進歩により、私たちの生活や経済は著しく向上した反面、環境問題、化学兵器など、マイナス要因も浮き彫りになってまいりました。科学技術の光と影であります。私たちは、今後、将来に向かって、この影を適切にコントロールし、光を伸ばしていかなくてはなりません。
そのためには、科学技術者だけでなく、政治家、経営者、マスコミなど、世界じゅうのあらゆる分野の人々が一堂に会し、人類の将来の視点から、科学技術を自分自身の問題としてとらえ、話し合う必要があると考え、STSフォーラムを創設し、会長に就任いたしました。二〇〇四年以来、年一度、秋の京都で開催し、今年で第五回を迎えます。世界九十カ国からノーベル賞学者、科学技術大臣、大学の学長を含む約八百名が集う、日本が主催する最大規模の本格的な国際会議となっております。
資源が乏しく国土の狭い日本が生き残るには、頭脳で勝負するしかありません。私は、これからも、科学技術で力強い日本をつくることを我が人生の政治目標として掲げてまいる決意であります。
二十一世紀に入り、人類にとって無限と思われていた地球は、今や有限なものとなりました。私たち人類は、これから、この地球の有限性に対応して生活や経済の仕組みを改め、自然を支配するのでなく、自然と調和して、ハーモニー・ウイズ・ネーチャーで生きていかなければ、生存も繁栄も確保できません。この理念のもと、次世代の人類全体の生きるべき正しい道筋をつけていきたいと考えています。
なすべきことはたくさんあります。皆様のさらなる御理解、御支援をいただき、日本の発展のために、また世界の未来の子供たちのために、今後も全身全霊を賭して邁進することをお誓い申し上げ、感謝の言葉とさせていただきます。
ありがとうございました。(拍手)