河野洋平の発言 (本会議)
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○議長(河野洋平君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。
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伊吹 文明君のあいさつ
此度、院議により在職二十五年の表彰を賜わりました。昭和五十八年の初当選以来、苦しかったこと、政治家冥利であったこと等々、過ぎし歳月を想い、万感胸に迫るものがあります。この表彰は身に余る光栄でありますが、ひとえに先輩、同僚の皆さまのご指導、ご厚誼によるものであります。何よりも、私ごときものを、今日まで温くご支援、ご指導いただきました地元京都一区の有権者、後援会の皆さまのお心によるものであり、感謝の気持を表す言葉すら見い出し得ないのであります。
二十年に亙る大蔵省での公務員の仕事を離れ、私が政治の世界に踏み出しましたのは、今は亡き渡辺美智雄先生のお薦めによるものでありました。先生は、「原理原則を大切にせよ」と口癖のようにおっしゃっておられました。「票のために原則を曲げてはならない。しかし、何事も原則どおりなら、政治はいらない」とも教えられたのであります。それを私流に申せば、「民主政治における権力である多数を握らねば政治は出来ない。しかし、理念や政策を忘れては、政治をやっている値打ちがない」のであります。
ゆるぎない政治理念として、私は日本的保守主義を大切にしてまいりました。即ち、自助努力と自己責任を基本に、公益とよき伝統、規範による人間の節度・力を重視し、品性を失わぬ自由社会を目指してきたのであります。この理念のうえに、品格ある日本国の確立を目指し、これからも努力してまいりたいと存じます。
皆さまのおかげで、この二十五年間、自由民主党幹事長等の仕事を通じ、私を育てていただいた政党政治に微力を注ぐことが出来ました。また、四つの大臣を務め、行政に参画する機会も得ました。しかし、何よりも私が誇りに思うのは、連続二十五年、国権の最高機関たる本院に席を置き、その運営の一端に係わり得たことであります。近年、衆参両院で多数を占める政党が異なる所謂ねじれ国会のあり方が問われています。国会に席を置く、先輩、同僚の英知により、国家、国民のため、国会が国権の最高機関として、より良く機能し、国民から更なる信頼を得ることを願ってやみません。
結びにあたり、この二十五年間、私を支え、苦楽を共にしてくれた事務所の皆さんと家族にも心からの感謝を述べ、表彰に対するお礼の言葉といたします。
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二階 俊博君のあいさつ
ただいま、院議をもちまして河野衆議院議長から在職二十五年の表彰の栄に浴しました。身に余ることであります。
私が本院議員の重責を担うことが出来ましたのは、もとより私を育てて下さった郷土和歌山県の皆さまのお蔭であります。多年にわたり変わらぬご支援を頂戴して参りました数え切れない程の多くの同志の皆さまに衷心より厚く御礼を申し上げます。
さらにこの間、国内外の多くの友人の皆さまにもお支えを頂いて参りました。いつの日も私を支えて下さった家族同様の事務所のスタッフの皆さま、そして私の家族や家内に対しても「ありがとう」と心から感謝を申し上げます。
二期八年の和歌山県議会議員の当時、ふるさと和歌山県の道路や鉄道、港湾、空港等のインフラ整備の遅れを痛感させられました。ひたすら「国土の均衡ある発展」を求めて、昭和五十八年暮れの総選挙に出馬し、初陣を飾ることが出来ました。以来、八回の選挙を経て、ここに二十五年の日を迎えることが出来ました。感激一入であります。
観光立国基本法に基づいて「観光庁」が奇しくも本日、二〇〇八年十月一日スタートすることが出来ました。観光は「平和のパスポート」と言われますが、国際平和の構築のために、観光産業のさらなる躍進に微力を傾ける決意であります。
麻生内閣の誕生に伴い、三回目の経済産業大臣を拝命致しました。今日、経済を巡る環境は極めて厳しいものがあります。いつの時代でも、経済の成長を促すことが、最重要課題であります。先の「新経済成長戦略」を見直し、新たに「二〇〇八年改訂版」を策定、閣議決定をされました。この成長戦略に基づいて、これからの日本経済が成長の道を歩むことが出来ますよう努力を重ねて参りたいと思います。
日本の繁栄のために日米同盟が基軸であることは申すまでもありませんが、私たちは、さらにアジアとともに生きることを考えなければなりません。この六月にインドネシアのジャカルタに設立することの出来たERIA(東アジア・アセアン経済研究センター)を中核にして、人口三十一億人、十一兆ドルの経済規模を有する東アジア十六カ国の大経済圏の発展のエネルギーを日本の成長につないでいくことが重要であります。
昨今の資源高については、資源外交がますます重要の度を増してきております。資源国が今、何を求めているか、日本として相手国に何を為すことが出来るのかを国を挙げて真剣に考えるべきときであります。一例では、これらの資源国を観光の訪問先としての国民レベルの交流も再考するに値することであります。
昭和五十八年十二月十八日は初当選の記念すべき日であります。今日八名の同僚議員と共に二十五年の歩みを続け、幸いにもこの日を迎えることが出来ました。「初心忘るべからず」、ここに改めて国のため郷土のため一層の精進を誓い、感謝の言葉とさせて頂きます。
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額賀福志郎君のあいさつ
本日、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたことは、身に余る光栄であり、感動的であります。
初当選以来、今日までご支援を頂いて参りましたふるさと茨城の選挙区の皆様をはじめ、私と政治活動を共にして育てて頂いた後援会の皆様方、また、これまでご指導を頂いた先輩・同僚議員の皆様方、さらに、いつも心の支えとなってくれた家族やスタッフの皆様方に対し、改めて心を込めて感謝を申し上げたい気持ちで一杯であります。
私が政治を志したのは、高度成長時代がスタートした昭和三十五年の頃でありました。当時、私が生まれた茨城県の農村地域は貧しい経済状態にあり、勉強が出来て向学心に燃える学生でも進学できない仲間がたくさんいることに憤りを感じるようになり、平等な教育の機会を妨げている政治のあり方に関心を持ち、高校時代に「政治家になりたい」と日記に書いたことがあります。
私が初当選をしましたのは、昭和五十八年十二月に行われた第三十七回総選挙であり、通称、マスコミ的にはロッキード選挙と言われ、自民党にとっては最悪の逆風の中の審判でありました。以来、連続八回の当選をさせて頂き、自民党の野党転落、北朝鮮のミサイル発射、バブル経済崩壊、未曾有の金融危機など、まさに激動の中で政治のあり方を見つめてきました。
私が初入閣をしましたのは、平成十年、小渕内閣の防衛庁長官でした。私は、これからの中央政府は、外交防衛、治安、税財政など国家の基本的分野を担い、地域住民に近いサービスは地方自治に移譲すべきであるとの考えを持っていましたので、外交防衛問題を勉強しようと考えたのです。
さらに、私は小泉内閣時代にも防衛庁長官を拝命しましたが、奇しくも、在任中いずれも北朝鮮のミサイル発射事案に直面し、私は未整備であった安全保障体制の法整備などに全力を注いできました。
また私は、森内閣の経済財政担当大臣、福田内閣の財務大臣として、経済、財政問題に関わりました。
今、国民が求めていることは、強い日本経済を復活させるために次なるリーディング産業を育成することであります。それは、新エネルギーの開発や環境問題の解決、さらには医療、教育などの分野で活性化を図ることであります。特に、少子高齢化社会を乗り切っていくために、医療、年金、介護などの社会保障制度の抜本的な改革を行うと同時に、消費税の引き上げなどで財源の手当ても提示し、若者に希望を、お年寄りに安心を与えることが政治の責任であると考えています。
一方、わが国は、二十一世紀は世界に開かれた「改革開放」の国づくりが求められていると思います。日本は、海外から閉じられた国というイメージを持たれてはいけないと思います。まずは、この日本の国を「知ってもらう」ことからはじめ、「来てもらう」「働いてもらう」「投資してもらう」国にする必要があると思います。
私は、今後、日本のあるべき「国の姿」及び理念と政策を追求していくことで選挙区と国民の皆様に恩返しをしていくことをお誓い申し上げて、お礼のごあいさつといたします。
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町村 信孝君のあいさつ
この度、院議をもって永年在職議員の表彰の栄を賜りました事は、議会人としてまことに光栄の至りであります。これもひとえに、先輩、同僚議員の皆様方のご指導の賜物であり、心より御礼申し上げます。
また、昭和五十八年初当選以来、私を支え続けて下さった地元の皆様方に感謝のまことを捧げます。特に、小選挙区制の導入により、今では直接、私の名前で投票出来なくなった、現在の北海道一区から四区の皆様のご支援にも厚く御礼申し上げます。そして、献身的に働いてくれている事務所のスタッフ達、妻と二人の娘達にも改めて感謝の気持ちを捧げます。
私は、通産省勤務時代に当時通産大臣であられた安倍晋太郎先生と、北海道のリーダー、中川一郎先生からお勧めを頂き政界入りを決意致しました。其の時は、参議院自民党議員会長であった父、町村金五は、政治の世界は厳しいものだと言って、私の政界入りには強く反対しておりました。しかし、私が一年半の準備期間を経て初当選出来た時、最も喜んでくれたのも父でありました。
初当選の夜、父から「国会議員しか出来ない分野の仕事、即ち、外交、防衛、教育、治安に目を向けて勉強して行ったらどうか」との助言をもらいました。爾来、その意を体し、私はこの二十五年間、これらの分野の議員活動に励んで参りました。幸いな事に諸先輩のお引き立てを頂き、二度の文部大臣、文部科学大臣、さらに外務大臣の重責を担う機会に恵まれましたし、福田康夫首相の下では、内閣官房長官を務める機会を頂きました。しかし、補佐役としてその任を十分に果たし得なかったのではないかと自省しております。
我々は、悠久の日本の歴史の中で、終わりの無いリレーの第何番目かの走者であると思っております。我々には、前の世代から受け継いだ日本国を少しでも改善し、発展させて次の時代に手渡して行く責務があります。その際、忘れてはならないのは、未来の世代の声を今の政治に反映させなければならないという事です。昨今の政治は、現在生きている我々の時代の豊かさを維持する為だけに膨大な借金を次の世代につけ回しているのではないでしょうか。私は、前の世代から受け継いだ、日本の素晴らしい伝統、文化、生活、自然、価値観等をしっかりと次の世代に渡して行きたいと考えております。
其の為にも、今後とも皆様のご指導、ご鞭撻の下、政治の途で精進して参りますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
本日はどうも有り難うございました。
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大島 理森君のあいさつ
このたび、在職二十五年の表彰を賜りまして、万感胸に迫るものがございます。この栄誉はひとえに、私を育てていただきました郷里の皆様、また政界の先輩や同僚のご支援とご指導、並びに日本国のご厚恩のしからしめるところであり、あわせて私の両親、家族、親族、友人、事務所の諸君に対しましても、心から感謝を申し上げる次第です。
青森県議会議員に選出されて五年目、熊谷義雄先生をはじめ後援者の激励により、私は国政への出馬を決意いたしました。初めて河本敏夫先生の門をたたきました折、「笑わん殿下」の異名をとりました河本先生は、愛想を振りまくことなく、淡々とみずからが目指す政治を説かれました。時に身振り手振りを交え、経世済民の志、信頼の政治、そして堂々たる経綸を披露された姿が、あたかも昨日のことのように思い出されます。
昭和五十八年に初当選を果たし、生涯忘れ得ぬ感激とともに胸に付けさせていただいた議員バッジは、実に重く感じました。この小さな議員バッジに、私を支えてくださる多くの方々の大きな思いと願いが託されていることを考えますと、今この時にあっても国政に携わる責任の重さに身が引き締まる思いです。
平成二年、政治改革が声高に叫ばれ、日米構造協議、国際貢献の在り方が問われるなか、私は海部内閣で官房副長官に任命されました。特に湾岸危機は、戦後の日本外交、世界における我が国の役割を考え直す重要な契機となりました。私は「天命に身を任せ、人事を尽くす」ことを信条にし、首相官邸で政策決定過程の中枢に触れながら、故郷と日本、そして世界を同一座標で捉えることの大切さを学びました。
また顧みて、幾度か大臣の職責を拝命し、日本国の将来や国民生活のために、微力ながらも献身できましたことは望外の喜びであります。
村山内閣の環境庁長官として、私は水俣病問題を環境政策の新たなる第一歩と考え、あらゆる試練を厭わず、当時の政治的解決にこぎつけることができました。
森内閣の文部大臣兼科学技術庁長官として、教育は国家の基礎を作り、科学技術は国民の夢を作るとの信念のもと、教育改革や新科学技術計画をしっかりと軌道に乗せることができました。
小泉内閣における農林水産大臣として、難航するWTO交渉に正面から向き合い、食の安全・安心対策、またコメ政策にも一定の道筋をつけることができました。
さらに、党にあっては、与党教育再生に関する検討会座長として、六十年振りの大改革となる「改正教育基本法」をとりまとめたことや、五つの内閣の国会対策委員長としてひたすらに汗をかいてまいりましたことが思い出されます。本院にあっては、予算委員長として国家や予算を巡る幅広い論議を辛抱強く取り仕切り、また議院運営委員長在職中は円満な議会運営に誠心誠意努め、議長を補佐してまいりました。振り返ると、私の国会議員としてのキャリアは、与野党が激しい対立と妥協を繰り返す議会によって鍛えられ、培われたような気がいたします。
立法府たる国会は、常に国民の側に立って国論を導き、結論を出し、ときには警鐘を鳴らすべき存在です。健全な議会政治を目指し、私は、政府委員制度を廃止して政治家同士が骨太の政策論争を交わせるなど、「国会審議活性化法」をとりまとめ、帝国議会以来となる国会改革の基礎を整えました。しかし、残念ながら、当初の理念は徹底されておりません。
明治以降、我が国の進路、歴史の光と影は、概ねここ立法府における審議を経て生みだされたものであります。いま、いわゆる衆参「ねじれ国会」と言われる状況のなかで、国民の要望に応えるために政治は何をなすべきなのか、我々は与野党の立場を超えて立法府の使命を果たすべく、真剣に考えなければならないと強く感じております。
昨今の混迷する政治、停滞する経済、鬱積する人心を見聞するにつけ、日本国のあるべき姿に対してみずからがどれほど貢献できたのか、率直に申し上げて忸怩たるものがあります。しかし、困難の先に輝ける希望を見出すべく、私はあらゆる経験を糧に、郷土と国民の繁栄や議会の発展に渾身の努力を続けてまいります。ここにあらためて決意を申し述べ、私の謝辞といたします。
ありがとうございました。
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甘利 明君のあいさつ
初当選した二十五年前、本会議壇上での先輩議員の永年勤続表彰を最前列の議席から見上げていた時には、自分とは別世界の出来事と感じていました。本日、その別世界に自分がこうして立とうとは感慨無量の思いです。
私の初当選は新自由クラブでありました。ブームが去って久しいこの古看板をしょって「世代交代の旗手」をスローガンに戦ったことを昨日のように思い起こします。泡沫候補といわれながら奇跡の逆転勝ちを収めることができたのは、「命にかえても」という私の気概と、みるみる痩せていく私の姿に、いてもたってもいられないと立ちあがってくださった後援者の方々の死に物狂いの支援のお陰でした。
戦後の荒廃の中、資源がない、お金もない、国土も狭い、ないないづくしの日本が東洋の奇跡と称された戦後の発展を成し遂げることが出来たのは、日本人の不屈の闘志とチームワーク、そして逆境を順境へと変えた発想に他なりません。バブルの崩壊後の失われた十年からようやく立ち上がろうとしていた矢先に、資源原材料高とアメリカ発金融不安に、日本経済はいよいよ閉塞感を増しています。この状況を打破し、新しい「坂の上の雲」に向かって、今こそ政治はリーダーシップを発揮していかなければなりません。先人が成し遂げた東洋の奇跡を、今を生きる我々が再び起こしていかなければなりません。今こそ政治家が先頭に立って先人の努力を再現する時です。
今この壇上に立って、初当選した初心に戻り、この国のために「命にかえても」という思いを奮い起こし、国民の先頭に立つ決意です。初挑戦で私の未知数にかけてくださった方々、小選挙区で敗れ比例復活をした挫折感から立ち上がる勇気を与えてくださった方々、そして今日更なる飛躍を期してお支えをいただいている方々、今日の甘利明を作ってくださった全ての方々に感謝を申し上げます。そして、何より私の前に道をつけてくれた父と母、いつの時も私を励まし続けてくれた家族に心から感謝を致します。「今の拍手はいらない。いつの日か、歴史を振り返った時、あの政治家がいてくれてよかった。そう思われる政治家でありさえすればいい。」
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中川 昭一君のあいさつ
本日、院議をもちまして永年在職議員表彰を賜りましたことに、心より感謝申し上げます。この栄誉と喜びを、両親、家族そして何よりも、今日まで私の政治活動を支えて頂きました地元の皆様に謹んで捧げたいと思います。
振り返りますと、昭和五十八年厳冬の旧北海道五区で、私は初めての選挙にのぞみました。三十歳の若輩、妻は出産直後、何も分からぬまま、唯、父の遺志を胸に、無我夢中の中、戦い抜きました。これも一重に、私の為に一緒に戦い、指導し、励ましていただいた数多くの地元の皆様のお陰であります。この年は、三年続いた戦後最長の不況からやっと脱しつつありましたが、日本海中部地震や三宅島噴火、記録的低温で北海道は四年続きの凶作、世界的にも異常気象の年でした。流行語は、「おじさんは怒っているんだぞ」「やるっきゃない」。
現在、我が国は景気低迷の真只中、地球温暖化など、「イライラ、モヤモヤ」状態。何か私の政治スタートの年と似ている気がしてなりません。だから、今この時、地元を、日本を元気にするために実行するしかないのです。「やるっきゃない」のであります。
先人達が命がけで頑張って前進させてきた、ふるさと十勝や日本を次の世代にきちんと引き継いでいかなければなりません。「今」は、先人達から受け継いだ貴重な宝物であり、子や孫達からの貴重な「借物」なのです。
ふるさと十勝は、日本一の農業地帯です。豊かな森林が広がっています。様々な可能性を秘めている海があります。これらのかけがえのない自然を活かしながら、そこに住まわれているお一人お一人の幸福を追求しなければなりません。私にはその責務があります。二十五年間私を支えて下さった皆様方への御恩返しのため、本日の栄誉を一つの区切りとして、原点に戻って、又新たなスタートを切ります。引き続き多くの皆様にお支え頂きながら、私の責務を全力で遂行するため、微力ではありますが更に精進していくことを誓い、重ねて、地元の皆様をはじめ、御世話になっている方々に心より感謝申し上げ、謝辞とさせて頂きます。
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国務大臣の演説に対する質疑