中津川博郷の発言 (外務委員会)

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○中津川委員 民主党の中津川博郷でございます。
 岡田外務大臣には、公務多忙の中、早朝より御出席いただき、ありがとうございます。大変しばらくぶりでございます。よろしくお願いいたします。
 まず冒頭、国民的な課題、話題となっております沖縄県の米軍普天間飛行場の移設問題の質問に入りたいと思うんですが、その前に、沖縄の基地問題について歴史を振り返り、それから質問に入らせていただきたいと思っております。
 そもそも、沖縄問題の発端というのは、一九九五年、在沖縄米海兵隊員による少女暴行事件ですね。実は、一九七二年の沖縄復帰以来、在日米軍基地の縮小がなかなか進まない、県民は日常的に事件、事故で本当に悩んでいる、そのような基地負担の重圧、その状況を時の自民党政権が放置し続けてきた、私はそこに根本的な原因があったと思っているんですね。そして、痛ましい少女暴行事件が起爆剤となりまして、一挙に沖縄県民の不満が爆発したと思います。
 自民党政権は、沖縄県民のこういう怒りを目の当たりにしまして、一九九六年に普天間飛行場返還というものを打ち出しましたが、これは県内移設が前提であり、基地負担の縮小を切実に求める県民の願いに決してこたえるものではなかった。名護市による代替施設の受け入れ合意も、政府からの補助金と引きかえに、言ってみれば、過疎地の自治体が受け入れを決断せざるを得なかったというようなことだと思うんです。現に島袋市長は、自分から誘致したわけではないんだということを言っておりますが、これで大体すべてを物語っているのではないかなと思います。
 その後、地元の反対運動でSACO合意に基づく移設作業は頓挫して、二〇〇五年から二〇〇六年にかけて、米軍再編計画においてV字形施設として復活しましたが、やはり地元での反対の声が絶えなかった。在日米軍基地の七五%を受け入れている沖縄県民の圧倒的な世論は、これは県外移設または国外移設である、これは沖縄県民にとっては当然だと思っています。そういう県民の声を真摯に受けとめなかった、少し軽く見たというか、ただただひたすら米国の都合を最優先して県内移設を強行しようとしてきた自民党政府の姿勢、これは、十三年間何にもしなかったと言われても仕方がないと思います。
 実は、普天間基地の移転というのは今日的な、今喫緊の大事な問題ではありますけれども、こういう遠く十三年前を振り返って、沖縄県民のいわば慟哭、こういう声を聞いて初めて問題の本質がわかってくるということで、整理をしたわけでございます。
 それらの歴史を踏まえて、まず、岡田外務大臣に質問をさせていただきます。
 普天間飛行場移設問題をめぐり、岡田外務大臣は、十一月の十五日から十六日まで、大臣就任後初めて沖縄県を訪問して、仲井眞県知事あるいは島袋名護市長らと懇談を行いました。普天間飛行場や嘉手納飛行場の視察も同時に行いました。
 その視察の成果、そして、いろいろ懇談をした、そこで得た所感というようなものをまず冒頭にお伺いしたいと思います。

発言情報

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発言者: 中津川博郷

speaker_id: 22886

日付: 2009-11-18

院: 衆議院

会議名: 外務委員会