沖藤典子の発言 (少子高齢化・共生社会に関する調査会)
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○参考人(沖藤典子君) 御質問ありがとうございます。
個人の選択や努力を超えている分野、二つ例示してほしいということで、まず最初に思いますことは、いつの時代にも新しい風や古い風、新しい意識、古い意識があるんですが、特に現在六十五歳以上の高齢女性たちがいわゆる青春期、結婚期あるいは子育て期、そのころに吹いていた風を見ますと、相当強い社会的規範の風があったということです。
端的に言いますと、性別役割分業が非常に厳しく、特に親の介護が発生したときにやむなく仕事を辞めた女性というのはたくさんおります。
私の友人の例ですが、夫婦で海外留学をしていたときに夫の親が倒れたと。そうしたら、その夫に帰国せよという命令ではなくて、夫の妻の、つまり嫁と言われている立場の彼女の方に帰国して親の介護をせよという命令が来たと。彼女は泣く泣く帰ってきて、つまり自分の留学を途中放棄して親の介護に当たったわけですが、それも非常に長期の介護になりまして、結局、彼女は中年期の活動期に夫の親の介護に縛られたまま再就職の機会も逃しということで、非常に、貧しいと言っていいかどうか分からないけれども、人生の達成感を得ない、そういう人生を送らざるを得なかったという事例がございます。
つまり、彼女は、社会の規範に従順であったがために、その従順さによって復讐されたと言っても過言ではないような、そういう意識があったと思います。このときに、性別役割分業を拒否し切れたかどうか、恐らく拒否し切れなかった。それが当時の女性たちの一般的な社会通念であったと思います。
そういう社会通念の犠牲になったという女性は、今高齢期を生きている女性の中に非常に多いと思います。ですから、やはり社会の中での性別役割分業というようなもの、これを正していくということが非常に高齢者の貧困を防いでいく大きな道のりの一つであろうかと思います。
それから、二例ということでもう一例を考えてみますと、今の事例に関連するんですが、例えば介護休業制度を考えてみましても、今の介護休業制度だけでは親の介護ができ切れない事例というのはたくさんございます。
ここにもまた社会通念があるわけで、御存じのように、介護休業制度というのは、その介護している人だけではなくて、介護している人の兄弟あるいは配偶者等々も利用できる非常に幅広い取得資格が用意されているんですけれども、ここにもまた配偶者である妻が休むべきだという形で職業的な達成感が得られない。
それもまた親族間の関係性によるわけですけれども、長男の嫁だとすると、次男の方あるいは次男の配偶者、三男、三男の配偶者、仮に三人の子供がいれば六人取得できるわけで、九十三日掛ける六で数えれば、順繰りに取っていけば、そういう取得が可能であれば介護によって職業を中断しなくてもいいわけですけれども、現実にはそうはならない。一人の人に介護が集中するということで職業が継続できない。
ということによって、やはり老後の貧しさを再生産させていくということが言えるかと思います。
以上、二例申し上げました。