山本太郎の発言 (政府開発援助等に関する特別委員会)

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○参考人(山本太郎君) 御紹介ありがとうございました。長崎大学熱帯医学研究所国際保健学分野の山本でございます。
 今日は、ミレニアム開発目標の達成状況と我が国のODAの役割ということで少しお話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
 本日の話の流れでございます。まず、簡単に自己紹介と私ども国際保健学分野が熱帯医学研究所でやっていることの紹介をさせていただいた後に、ミレニアム開発目標に対する背景、現在の達成状況、そしてそれに対する認識をお話しさせていただいた後に、私的ではありますが、政府開発援助に対する所感を簡単に述べさせていただきたいと思います。
 簡単な自己紹介でございます。こんなところで勉強してきました、こんなところで働いてきましたということで、国際保健を大学院で勉強した後に、南部アフリカにありますジンバブエで感染症対策のプロジェクトにチームリーダーとしてかかわっておりました。約一年半アフリカに滞在しました。その後、アメリカに留学いたしまして、そこから、この前地震で大きな被害を受けたハイチのカポジ肉腫・日和見感染症研究所というところに二〇〇三年から二〇〇四年にかけて約一年間留学をしておりました。最後は、政変、内戦に巻き込まれる形でハイチを後にしたまま、今回国際緊急援助隊でハイチに入るまで、約六年間ハイチを後にしておりました。ハイチを出た後、外務省国際協力局で三年間働いた後、現在、長崎大学熱帯医学研究所に勤務しております。
 長崎大学の熱帯医学研究所の中の国際保健学分野というのは、ここに掲げている三つの柱を重要な柱として設定しております。まずは研究でございます。これは後で少し簡単に触れますが、これは、感染症の進化・適応とか環境医学とか医療生態学というものを割とベーシックな面から研究をしている。教育、修士課程、博士課程を中心に大学院教育をやっていると同時に、社会貢献をやろうと。国際保健学分野であるから、その社会貢献は当然国際貢献になるということで、この分野においては公共政策への提言あるいは現場での活動、人づくりなどを行っているということになっています。
 研究活動ですが、私たちの研究室には三つの研究ユニットがあって、一つ目は環境と健康ということを研究しております。これは、気候変化あるいは気候変動と健康の関係をグローバルに見ていこうという研究でございますし、もう一つは黄砂と健康ということで、中国大陸を中心に発生する黄砂の健康影響についての評価を行っているということ。
 第二の研究は、医療生態学的研究と称しております。これは、感染症というのは微生物と宿主の相互作用の結果として表層に現れる現象でございますが、我々は感染症をいつも人の視点からのみ見ているという反省に立って、感染症そのものを、例えばマラリアを起こす原虫、あるいはデング熱を引き起こすウイルスの側から見ればどのように見えるんだろうかと。そうした視点から感染症を例えば見ていった場合に、我々が行っている感染症対策は果たして生態学的に妥当なのかどうかといったことを評価していこう、研究していこうという分野でございます。
 最後が進化生態学と感染分子進化と書いておりますが、これはHIVあるいはHIVと非常に似たウイルス感染症であるHTLVⅠ、あるいは結核を対象として行っておりまして、感染症というのは基本的に人類の農耕、定住が始まった後に家畜から人社会に持ち込まれたものでございます。それがどのようなプロセスでどのような時期に持ち込まれてどのように変化していったかということを調べることによって、感染症の深い理解をしていこうという研究を行っている。こうした研究を横断するかぎとなる言葉が時間軸及び空間軸の中における感染症理解ということで研究の部分を行っているということでございます。
 一方、社会貢献の方は、先ほど申しましたが、政策提言としてG8やTICAD、アフリカ開発会議などに市民社会の一員としてかかわっていこうというもの、あるいはJICAあるいは外務省、NPO、NGOを通じた現場での草の根レベルでの協力をしていこうといったことを行っているということでございます。
 これは、左の三枚の写真がベトナムに行ったときのマラリア研究の調査の写真でございますが、そうした活動、研究、社会貢献を、あるいは教育を行っている中で非常に重要だなと思う考え方があって、これがそのスライドでございまして、シンクローカリー、アクトグローバリー、元々これはシンクグローバリー、アクトローカリーという言葉だったわけで、地球規模で物事を考えてそれに対して現場で行動しましょうと。確かにそれは非常に重要な考え方なんですけれども、それと同時に、今我々に必要なのは、現場の活動を通して考えたことを国際的また地球規模でどういうふうに発信し、活動に結び付けていくかという多分概念なんだろうと。こういうことを頭に置きつつ、研究、社会貢献、人づくりというものをやっていきたいというふうに考えているところであります。
 そうした研究、社会貢献、人づくりを通して我々は何を目指しているかというものがこのスライドでございまして、それはミレニアム開発目標の達成に貢献することであると。特に、目標六のHIV、エイズ、マラリアその他の疾病の蔓延防止ということを通して、世界の中から極度の貧困や飢餓の根絶に貢献しよう、あるいはその研究を通して環境の持続可能性についての提言を行おうということを考えているわけであります。
 そのミレニアム開発目標でございますが、成立の背景に一つの国際的な状況があったと考えております。
 それは、貧困や飢餓が許容し難い人道上の問題という認識が一九九〇年代の後半から二〇〇〇年ごろにかけて出てきたと同時に、九・一一のテロ、あるいはアフガニスタン、小規模紛争の原因が貧困にあるという認識も共有されてきたと。こうした貧困の問題に取り組むことなく、テロや小規模紛争は恐らくなくならないという現状認識をみんなが持ち始めたというのがミレニアム開発目標の背景にあったのではないかと考えております。
 しかし、そのミレニアム開発目標に関する達成状況は必ずしも順調ではありません。これは一日一・二五ドル未満で暮らす人々の割合を示したものでございますが、サハラ以南アフリカ、南アジア、西アジアといった国々では、ミレニアム開発目標の達成状況は、目標に達成できる状況にはないというふうになっております。東アジア及び東南アジアを中心にミレニアム開発目標の達成が行程表の上に載って達成ができるだろうという地域がある一方、サハラ以南アフリカや南アジアでは達成が困難であると考えられています。また、西アジアや中央アジアと呼ばれる地域では、この二十年間、逆に状況が悪化しているという現状も見られているわけでございます。
 こうした、特に貧困が厳しい地域やあるいは小規模の紛争が起こっている地域においてミレニアム開発目標の達成が困難であるということが、成立の背景から含めて考えても非常に大きな問題であろうと考えております。
 そうしたミレニアム開発目標の達成に関して、欧米は、現在資金量を非常に重視した議論をしていると。GNI比で〇・七%のODAがあれば目標は達成できるという意見がかなり強い意見となっている一方、そういう意見がありつつも、資金量だけでは達成は難しいのではないかという議論も現在行われているところだと認識しております。
 一方、こうした議論とは異なる話になりますが、認識という点でいえば、ミレニアム開発目標に対する認識が日本国内において非常に低いという現状というか課題というものがあるのではないかと考えております。この問題は、ミレニアム開発目標に対する認識のみにかかわらず、ODAや開発途上国支援あるいはアフリカ支援といったものに関する認識と一致する部分も多いのではないかというふうに考えております。
 一方、二月に首都を襲ったハイチの地震に対して、以前ハイチに暮らしていたこともあり、今回国際緊急援助隊の一員として参加してまいりました。その後、その支援活動等々を見ておりますと、一方では非常に別な側面も見えてくるという気も最近してきておりまして、それは非常に皆さんの関心が高いと。ハイチというのは、私が暮らしていたときもそうなんですが、大使館の関係者を除くと日本人がほぼ三人とか四人、数人しか暮らしていない国でございました。現在でも、地震が起こる前であれば、ハイチという国の名前を知っている人の数は非常に少なかっただろうと思われます。にもかかわらず、今回この関心の高さというのは何に起因するんだろうかということに非常に今後の日本のODAを考えるに当たってのポイントがあるのではないかと思ったりすることがあります。
 そこで考えることが、最後のスライドになりますが、一つ、初心に返った援助ということなのかもしれないということでございます。
 六十数年前に敗戦を迎えた日本は、戦後、国際社会への復帰を希求したと私は学校で習ってまいりました。例えば、国連への加盟であるとか、あるいはアジアへの援助の再開であるとか。戦後が終わり、復興が始まり、その復興が軌道に乗り、アジアへの援助が始まったとき、それは例えば初めての青年海外協力隊がカンボジアへ派遣されたときなんかもそうなんだと思いますが、そういう時代を迎えようとしたときに、戦後長く日本人がアジアの国々から受け入れてもらえない状況があったとも聞いたことがありました。日本人に二度と祖国の土を踏ませないという声がアジアの国々からあったとも聞いたことがあります。
 そうした中、例えば青年海外協力隊が初めてアジアの国々に受け入れられたとき、国会で万歳の三唱があったという話も聞きました。それは恐らく、国際社会から日本が受け入れてもらえて、その社会の一員になれたという大きな感激だったのではないかと思います。そうした初心をもう一度私も含めた国民全体で共有することも、今後の日本のODAをどういうふうに進めていくかということについて非常に重要な点になるのではないかと考えております。
 以上で私の発表を終わらせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。

発言情報

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発言者: 山本太郎

speaker_id: 8436

日付: 2010-03-10

院: 参議院

会議名: 政府開発援助等に関する特別委員会