横路孝弘の発言 (本会議)

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○議長(横路孝弘君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。
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    武部  勤君のあいさつ
  このたび、在職二十五年の表彰を賜り、万感胸に迫るものがあります。この栄誉は、ひとえに私を育ててくれた郷里の皆様及び先輩や同僚のご指導とご支援のおかげであります。また、家族、親族、友人、事務所の皆様にも感謝の誠をささげます。
  私の政治活動は、三木武夫先生に師事していた私が、郷里の若い仲間に推されて、昭和四十六年、北海道議会議員選挙に当選したことから始まりました。その後、中川一郎先生の遺志を継ぐ一人として衆議院議員選挙に挑戦し、一敗地に塗れましたが、渡辺美智雄先生のご支援のもと、遂に昭和六十一年の衆参同時選挙で大願が成就したのであります。初登院一番乗りで赤じゅうたんを踏んだあの時、生涯忘れ得ぬ感激とともに、胸のバッチが実に重く感じました。
  私は、国会議員としての目標を「いま、心の時代、郷土と子供たちの未来のために」というキャッチフレーズに掲げ、世界観、国家観、人生観などをしっかり持った日本人を育て、世界から敬愛される日本国をつくろうと誓いました。波乱に富んだ私の政治家人生でしたが、いつも「偉大なるものは、嵐の中に育つ」の言葉を胸に積極果敢に頑張ってきた所存であります。
  衆議院商工委員長、法務委員長、議院運営委員長、北海道開発政務次官、運輸政務次官などを歴任、小泉内閣の農林水産大臣として初入閣したのであります。「小泉内閣は、改革断行内閣だ頼む」との一言に身が震えたのを覚えています。大臣就任を心から喜んでくださった地元の皆様に「初心一貫、国家国民のために一身を捧げます」とあらためて誓いました。
  やがて、わが国初のBSE患畜が確認され、対応に困難を極めました。辛抱強く問題解決にあたり、「食品安全委員会」の創設、「食育」の提唱など農水省の大改革に着手し、八千人を擁する食糧庁の廃止を実現しました。
  さらに、自民党幹事長を二期二年間つとめ、立党五十年記念党大会を主宰し、あの郵政解散では、歴史的な大勝利へと導き、小泉改革の一翼を担うことができたと自負しています。
  この二十五年間、三回も選挙区の区割が変りました。しかし、いずれの場合もすばらしい人間的な絆を結びあうことができたと確信しています。
  いま、わが国は、東日本大震災により、未曾有の危機に直面しています。このピンチを日本の新しいチャンスにすべく微力をささげることをここにお誓い申しあげ、感謝と御礼のご挨拶を結びます。
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    園田 博之君のあいさつ
  初めて登院した日、あるいは先輩が二十五年表彰を受けられるさまを見た時でも、自分がその対象となることなど想像もしたことはありませんでした。
  どこかで挫折するであろうし、健康で体力も気力もあるうちに次の人生をどの様に歩むのかなどと考えてすらいるうちに二十五年になってしまいました。
  二世であったお蔭で立候補の機会を得ることが出来、国会に議席を得られたばかりか今日まで活動を続けてこれたのは、何よりも期待を持ち続けて国会に送っていただいた郷土熊本の方々のお力あればこそであり、また指導していただいた先輩議員、同僚議員、選挙活動だけでなくご支援下さった方々、お一人お一人の顔を思い浮べながらただただ感謝するばかりであります。ありがとうございました。
  この間の政治活動は御恩に報いるだけのことが出来たのだろうか、その時その時一生懸命に取組んだとは思っていますが、悔いの残る反省すべきことの方が多い様な気持でいます。
  先人が築いてくれた平和で繁栄してたはずの日本が年々力を失っているのではと焦ってさえいた時に東日本大震災に見まわれてしまいました。
  被災地の復興に政治が全力を注ぐのは勿論のこと、今こそ日本の復興に与野党を問わず政治力を結集して、他国にも尊敬され、国民が幸せを実感できる国づくりに向わなければなりません。
  明らかに政治力は低下し続けていると反省せざるを得ません。改めて奮起して全力投球致します。
  皆さまに感謝の意をつくせませんが、心からの御礼を申し上げ、二十五年の節目にあたってのご挨拶と致します。
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    金子 一義君のあいさつ
  この度、在職二十五年の表彰を賜りましたこと、この上ない光栄であります。思えば昭和最後の総選挙で初当選を果たし、これまで二十五年間、多くの皆さんのご支援をいただき、国政という極めて重要な仕事に携わることができました。厚くお礼申し上げます。
  特に地元後援会の皆様には言葉では言い表せない感謝の気持ちでいっぱいです。政治には選挙という試練は避けて通ることはできません。幾たびか覚悟を決めて挑んだ時もありました。その時後援会の皆さんは、日頃は温厚ながらひとたび燃え上がるとすさまじいエネルギーを発揮し、私は激しい修羅場を突破することができました。
  私を信じ、代表として送り出してくれているふる里。そのふる里を大切に。そして未来を象徴する子供たちのために誇れる日本を残したいとの思いが強まってきております。
  衆議院では予算委員長などや、内閣では行革担当大臣・国土交通大臣と、私が力を入れて取り組んできた分野の閣僚を二度にわたり勤めさせて頂くことができました。この経験を活かし、引き続き国民のために働いて参りたいと思います。
  私が政界に初めて入って以来、最も大切にしてきた政治信条が「信なくば立たず」でありました。古色蒼然とした信条ですが、二十五年を経た今でも大切なものだと思っております。どんなに我が国のために必要と思われる政策でも国民の理解が得られなければ通りません。ましてや、国民の負担増を伴うものについては、理解されなければ悪法となります。
  有権者に解説するだけなら評論家でもできます。しかし、納得してもらいその上で投票所に出向いて、自分の名前を書いてもらう、これこそ政治家以外の誰もできません。
  政治家と有権者に信頼関係があってはじめて出来ることです。この過程を積み重ねて我が国の形が作られていきます。
  平成二年、私の二回目の選挙の焦点は、消費税導入の是非でした。まさに薄氷を踏む思いの消費税選挙でした。「あいつが必死で言うから仕方ないか」と投票所に出向いてくれた後援会・有権者の方々に今でも足を向けては寝られません。
  政策を作り、それを実現していく。その道のりで多くの先輩・同僚のご支援が必要でした。
  また、官僚の力も大切です。官僚と一緒に進めて行くにも、まず「この政治家には追いて行って大丈夫だ」という官僚の信頼が必要です。ここでも「信なくば立たず」が基本です。
  最後に波瀾万丈の道を一緒に歩んできてくれた妻と家族に心からお礼を言いたい。そして二十五年を振り返り、あらためて初心に立ち戻って今後とも進んで参ります。
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    川端 達夫君のあいさつ
  このたび、永年在職議員の表彰を賜りましたことは、誠にありがたく、また身に余る光栄であります。これも、二十五年の長きにわたり、私を国政に送っていただきました地元滋賀県の選挙区の皆様をはじめ、多くの仲間の皆様のご支援、先輩・同僚の議員各位のご指導の賜物であると心より感謝申し上げます。
  顧みますと、私の初当選は二十五年前の昭和六十一年七月、衆参ダブル選挙でありました。前任の西田八郎先生の引退表明を受け後継候補者として指名され急遽上京し、民社党国会両院議員総会で追加の公認を頂きました。その日夕刻、地元大津駅を降り立った時に最初に受けたのが「国会解散」の連絡、いわゆる六月二日の「死んだふり解散」でした。そして五週間後の七月六日、知名度ゼロの私が僅差で初当選させていただき、国会議員としてスタートをいたしました。
  当時属していました民社党の初代委員長の西尾末広先生は、「政権を獲らない政党はネズミを獲らない猫である。」と言われました。自由主義か共産主義かといったイデオロギー選択を国民に求めるのではなく、国の根幹に関わる防衛安保、外交、エネルギー、等の基本政策は与野党の差なく一体で進め、政権はもっぱら、税の徴収と配分による国民生活のあり方を中心とした政策を、主権者である国民が選択して決めるべきである。私はこの二十五年間、ひたすらに政権交代可能な政治勢力の結集と国民の一票による政権交代の実現、そして身近でわかりやすい政治を通じて、まじめに生きれば実を結ぶ社会の実現に全力で取り組んで参りました。
  政界再編の激動の中、民社党、新進党、新党友愛、そして民主党と政党は変わりましたが、「初心生涯」をモットーに活動する中、一昨年八月、私にとって八回目となる第四十五回総選挙の結果ついに国民の一票による政権選択、政権交代が実現しましたことは、夢のような感無量の出来事でした。私自身、文部科学大臣ならびに内閣府科学技術担当特命担当大臣を拝命し、「教育は国家百年の計」「科学技術は国の柱」といわれる重要な分野を担うこととなりました。教育・文化・スポーツ・科学技術の各分野で一定の責任を果たせ、政治家として、また大学・企業で研究・開発に関わった者としてまことに幸せでありました。
  民主党は国民の多くの皆さんにご支援をいただき政権交代が実現できましたが、現在その期待にお応えできていないところも多々あるかと思います。三月十一日に発災した東日本大震災という未曾有の大惨事、この国難を乗り越えていくためにも、民主党は政権与党として、またわれわれ国政を担う議員一人一人は今何をすべきであるか、原点に戻り覚悟を決めた行動が求められていると、私自身決意を新たにしているところであります。
  結びにあたり、今後の政治活動になお一層努力を重ねこの国の発展に尽くしてまいりますことをお誓いし、そして最後に、この二十五年間私を支え苦楽を共にしてくれた家族に感謝を述べ、お礼のご挨拶とさせていただきます。
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    鳩山由紀夫君のあいさつ
  この度、院議をもって永年在職議員の表彰を賜りましたことに対し、厚くお礼申し上げます。親戚友人のいない北海道から、落下傘候補と椰楡された中での政治家への転身ではありましたが、今日まで政治活動を続けて来られましたのも、ふるさとを想う地元後援会の皆様の熱きご支援と、この道をご教示下さいました諸先輩や、この国を愛する同志の皆様のお蔭と、心より感謝を申し上げます。
  今私たちは、大胆な意識の変革を求められているのではないでしょうか。これまでの日本を築いて来られた先人たちに敬意を表しながらも、経済成長至上主義を超え、物質的な豊かさを超えた強い精神的理念を一人ひとりが擁する時代を迎えているのではないでしょうか。地域主権への大転換を断行し、一人ひとりがより自立して幸せな生活を送れるように、みんなが協働する社会を政府が支援する。このような新しい公共の精神に裏打ちされた友愛の社会を実現する。また、我が国が生きていく基本的な生活空間であるアジア太平洋地域の安定のため、東アジア共同体の形成に主体的な努力を続けていく。これこそが、再び世界から尊敬される日本の国のあるべき姿であると考えています。
  そうは申せ、二十五年間も国会議員を務めながら、この度の東日本大震災の悲劇を前にして、一体政治は何をやっていたのだろうかと痛切に悩みました。「いのちを守りたい」、「国民の生活が第一」と訴え続けながら、こんなに多くの貴重な命を失ってしまったことに心から申し訳なく思います。このようなとき、想定外と言う言葉が発せられがちですが、これを政治家が口にしてはなりません。とくに、国策として原子力発電政策が推進されている以上、どんなことが起きても国家の責任として国民の安全は守られねばならず、国難に際して、必ずしも国民の、とくにこれからの日本を背負っていく子供たちの命が十分に守られていないことをとても残念に思います。
  福島第一原子力発電所では毎日多量の水が圧力容器に注入されていますが、結果として大気が、海水が、地下水が、土壌が放射能で汚染され続けています。今の私に出来る最善の道は、世界の叡智を結集しながらこの問題に取り組んでまいることと肝に銘じております。
  日本の創生のため、どのような立場であれ、微力ながら全力を尽くすことをお約束し、謝辞とさせていただきます。
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    村上誠一郎君のあいさつ
  この度、院議をもって永年在職議員の表彰の栄誉を賜りましたことは、身に余る光栄であり、感慨無量の思いです。
  昭和六十一年の初当選以来、八期連続私を支え続けて下さった地元愛媛の皆様、全国で応援して下さった方々、議員同僚の皆様、党職員、事務所・役所のスタッフ、そして母、家族に心から厚く御礼申し上げます。
  私は、小学生の時に宮沢賢治の「全人類が幸福にならない限り、個人の幸福はありえない」という文章に出合い、政治家を志しました。
  父信二郎、伯父孝太郎が私の大学入学前後に早世したため、二人の遺志を継ぐべく、財政、国防、外交、教育を中心に政治活動を行ってきました。
  大蔵政務次官を皮切りに、自民党財政部会長、衆議院大蔵常任委員長、初代財務副大臣を歴任してきました。大蔵委員長の時はバブル崩壊後の金融危機で、日本発の世界金融恐慌を起こさないという固い決意の下、六十数本の法案を処理しました。財務副大臣の時には二度予算編成をし、戦後初めての診療報酬の引き下げ等を担当しました。自民党愛媛県連会長としては、中選挙区から小選挙区への移行時に、七人の衆議院議員の調整に尽力し、また明るい県政の実現のために努力しました。
  平成十六年に、行政改革・構造改革特区・地域再生担当の国務大臣、また規制改革・産業再生機構担当の内閣府特命担当大臣として初入閣しました。行政改革では三十二の独立行政法人を二十二に再編し、公益法人制度改革・公務員制度改革等に取り組みました。規制改革においては市場化テスト・混合診療の解禁・中医協の見直し・幼保一元化等を手掛けました。地域再生においては地域再生法の成立と地域再生計画を四百五十三件認可し、特区においては学校の天井高規制の撤廃等全国的な規制緩和を実現しました。産業再生機構においてはダイエー・ミサワホーム・アビバジャパン等十八件の支援決定等を行いました。不眠不休でありましたが、非常に充実した十四ケ月でした。
  今、日本の喫緊且つ最大の課題は、財政・外交・教育の立て直しと、東日本大震災の復興です。財政は歳入欠陥構造を一日も早く是正し、受益と負担のバランスの取れた持続可能な社会保障制度を構築し、財政破綻を食い止めることです。外交は日米関係を修復し、更に強化して世界に貢献できる国家を目指すことです。教育は「読み、書き、そろばん」と躾、即ち読解力・文章力・数的処理能力を強化し、中等教育において自分の頭で考え抜く力をつけ、公の精神と青年の衿持を持ったリーダーを作ることです。
  この財政・外交・教育の立て直しと、福島原発事故の早期収束と東日本の復興のために政治生命ある限り、河本敏夫先生の「政治家は一本のローソクたれ。(政治家は己の身を焦がして周りを明るく照らせ)」という言葉を肝に銘じ、全身全霊で立ち向かう所存であります。
  最後に、政界においてご指導ご鞭撻頂いた皆様、とりわけ河本敏夫先生、竹下登先生、梶山静六先生方に感謝を申し上げ、表彰に対する御礼の言葉といたします。
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    逢沢 一郎君のあいさつ
  私は昭和六十一年七月六日投票の衆議院総選挙で旧岡山一区で初当選をいたしました。以来衆議院議員選挙に連続八期当選、ここに在職二十五年を迎えることとなりました。心より感謝申し上げます。
  ケガや事故もなく、健康で元気に今日を迎えることが出来ましたのは順風のときも逆風の時も変わらず私を支えて下さった選挙区岡山の支持者の方々のお陰でございます。本当にありがとうございました。
  また厳しい選挙戦はもちろんのこと、平素の政治活動を支え続けてくれた妻俊枝そして家族、さらに秘書スタッフの皆さんの力があったればこそです。心よりありがとう、と申し上げます。
  さらに国政の場ではよき同僚、先輩後輩の議員の方々、自由民主党や国会議員の方々にもいろいろとお世話になってまいりました。心より感謝致しております。今後共どうぞよろしくお願い致します。
  衆議院本会議で院議を持って永年在職の表彰をいただきました。感激でございます。この二十五年間初当選以来、自分なりに力いっぱい国政に打ち込んでまいりましたが、今自らを振り返るとき日本国と国民の皆様のためにいったいどれほどの仕事が出来たのか、いかほどの貢献が出来たのか、まさに忸怩たる思いです。
  平成二十三年三月十一日、日本は未曾有の大震災に見舞われました。私たちはこの国難とも言うべき困難を克服して日本の未来を拓いて行かなくてはなりません。政治の責任はまさに重大です。私は国権の最高機関、立法府の一員としてさらに研鑽、精進を重ね新しい日本づくりに全力を尽くす決意です。よろしくご指導の程お願い致します。
  政治は国家と国民の今と未来に責任を持たなければなりません。常に世界の中の日本を考えること。地球的座標軸の中で日本の幸福をつくり出していかなくてはなりません。そして過去に学び未来を構想すること。長い歴史的時間軸のなかで日本人としての自信と誇りを持って強い日本をつくりたいと思います。
  私はいささか外交に関わってまいりましたが、世界の人々は、私たち日本人が想像するよりはるかに大きな期待を日本に寄せています。世界の平和と繁栄をつくり出していく日本でありたいと思います。
  明治維新による近代国家建設、廃墟の中から立ち上がり奇跡の復興を成し遂げた戦後の歩み。私たち日本人にはそうした困難に打ち勝っている力があるのです。前を向いて大いに前進していこうではありませんか。
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    石破  茂君のあいさつ
  本日院議をもって永年在職表彰の栄誉を賜りました。
  昭和六十一年七月、全国最年少議員として初当選して以来二十五年の長きにわたり、私のような至らぬ者を国政に送って下さった郷里鳥取県の皆様、後援会の皆様、今は亡き田中角栄先生、渡辺美智雄先生、竹下登先生をはじめとするご指導くださった大先輩の皆様、支えてくれた秘書ならびに事務所職員各位、そして家族に対し心より感謝いたします。
  当選一、二回の頃、政治改革の嵐が吹き荒れました。政党がその主張を国民に問い、国民が政権を選択する小選挙区制は、私にとってどうしても導入すべきもののように思われ、その実現に向けて全力を傾けました。その結果として確かに政権交代は実現しましたが、小選挙区制度がその機能を発揮するために必要不可欠であった地方分権も、政党法も、政界再編も、何一つ実現することなく、選挙制度だけを変えたため、その欠点が強調される結果となりました。導入を強く訴えてきた者として大きな責任を感じております。
  憲法観など、基本的な理念の一致による政界再編は何としても実現しなくてはなりません。政党助成金という権利を享受する以上、民主的な党運営や資金管理の透明性確保などにつき、政党は国民に対して厳格な義務を負うべきであり、政党法の制定も是非とも実現すべきです。
  議員であることも、閣僚であることも、あくまで何かを実現するための手段なのであり、それ自体が目的ではありません。
  日本国が真の独立国家となるために、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障基本法の制定と日米安全保障条約の改定は国会議員としてどうしても成し遂げたいことであります。政治家の使命とは、国家のためにどうしても必要なこと、しかし国民が必ずしも歓迎していないことを説得し、納得いただき、実現することであり、それをなさないのなら、このような仕事に就くべきではないと信じております。
  我が国はまさに危機的な状況にあります。安全保障も、食糧も、エネルギーも海外に依存する体制から脱却しなくてはなりません。日本に残された時間は極めて短く、そして選択肢の幅は恐ろしく狭い。今政治が国民に対して果たすべき責任は、長く直視することを避けてきたこのような問題に明確な解決策を示すことであります。東日本大震災は、日本国に対し、覚醒を促しているように思われてなりません。
  その思いのもと、今後も更に力を尽くすことを申し上げて、御礼のご挨拶といたします。
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 日程第一 電波法の一部を改正する法律案(内閣提出、参議院送付)
 日程第二 電気通信事業法及び日本電信電話株式会社等に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出、参議院送付)
 日程第三 電気通信基盤充実臨時措置法の一部を改正する法律案(内閣提出、参議院送付)

発言情報

speech_id: 117705254X02320110526_007

発言者: 横路孝弘

speaker_id: 11665

日付: 2011-05-26

院: 衆議院

会議名: 本会議