田中直紀の発言 (本会議)
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○田中直紀君 ただいま院議によって在職二十五年の永年在職議員としての表彰を受けましたことは、誠に光栄の至りであり、心から御礼申し上げます。
また、溝手顕正先生より、身に余るお祝いの言葉をいただき、感謝いたしております。誠にありがとうございます。
私は、衆議院約十年、参議院十五年と国会に送っていただき、今回、両院を通算しての表彰となりました。国権の最高機関である参議院で本日まで国会活動を続けることができましたのも、ひとえに長年にわたる先輩、同僚議員の皆さんの御指導、御交誼のおかげであり、また、これまで私を支えてくださった多くの方々の御支援のたまものであります。この機会に改めて厚く御礼を申し上げます。
選挙は、福島県と新潟県でお世話になりました。当初の選挙区は中選挙区の福島三区で、相馬、双葉、いわきの太平洋沿岸の浜通りでした。「暁の船出つぎつぎ国の春」と詠まれた漁港の多い土地柄であります。
二年八か月前の東日本大震災により未曽有の大災害に見舞われましたことは、私にとりましても痛恨の極みであります。私の父親の生家が津波で流されましたが、それ以上に、多くの知人を失い、今なお原発事故により多くの住民が避難を余儀なくされて帰郷できずにいることは誠に残念であります。
今後も、私は、東電福島第一原発の事故の処理や放射能汚染水漏れを早期に解決すること、原発事故で被災した子供たちを始め、住民、被災者への支援強化、そして地域再生のため、いわき—南相馬間の常磐自動車道延伸の供用開始を急ぐなど、引き続き全力で取り組みたいと思います。
一方、新潟県には現在でも約五千人の方々が福島から避難されており、将来への不安を早急に解決しなければなりません。
私の参議院での選挙区であります新潟県では、ここ数年で三回の大地震に見舞われました。特に忘れられない出来事は、九年前の十月に発生した中越地震であります。当日は土曜日で、私は地震の震源地近くの小千谷市妙見堰におりました。激しい揺れの中、何とか長岡市に避難し、その後数日間、現地で災害本部とともに復旧活動に奔走いたしました。
また、その三年後には、田中家の実家のある柏崎市で中越沖地震が発生。さきの地震の教訓を基に、被災者生活再建支援制度の改正を実現させ、被災者の住宅再建を促進したことは忘れられない事実であります。
日本海に臨む長い海岸線、信濃川と阿賀野川の両大河、越後山脈に抱かれた広大な平野と穀倉地帯、そして冬は寒さ厳しく、「荒海や佐渡によこたふ天の川」と詠まれた新潟県であります。
中国、韓国、ロシアなど北東アジアの国々との玄関口として、日本海交流拠点地域として重要性が増大しております。日本海側と太平洋側との連携、日本海沿岸地域を縦貫する日本海国土軸の形成の推進に引き続き全力を尽くしてまいります。
私は、参議院では、外交防衛、農林水産、財政金融の委員会で主に活動してまいりました。そして、外務政務次官、農林水産副大臣、防衛大臣で政府の一員として職責を遂行してまいりました。参議院が熟議の府としてその機能を存分に発揮できるよう更に努力してまいります。
最後に、我が国をめぐる内外の情勢は、国民生活の安定向上のため、緊急かつ的確に解決すべき多くの課題が存在いたしております。
私は、この表彰の栄に浴したことの意味を重く受け止め、我が国議会制民主主義の発展のため、一層精進、努力してまいります。
本日は誠にありがとうございました。(拍手)
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