尾辻秀久の発言 (本会議)

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○尾辻秀久君 光陰矢のごとし。身の程も知らず、鉄幹に倣い、「ああ、我、ダンテの奇才なく、バイロン、ハイネの熱なきも、石を抱きて野にうたう、芭蕉のさびを喜ばず」と血潮をたぎらせ、身ぞ躍らせました若き日は、はや夢と過ぎました。先に逝った友垣が無性に懐かしく、彼らの我を呼ぶ声がかすかに聞こえてきそうな今日この頃であります。
 本日は、少しばかり長生きをした故をもちまして、表彰をしていただくことになりました。馬齢を重ねますと、恥をも忘れて、有り難く存じます。過分なお言葉を頂戴しました溝手顕正先生、先生方、皆様に御礼を申し上げます。
 私の父は、三十二歳で戦死をいたしました。母は、残された私と妹を女手一つで力の限り育ててくれましたが、四十一歳で力尽きてしまいました。母もまた戦死であったと思います。平和な時を生きた私は、父より四十年、母よりも三十年長く、まだ生きております。平和の有り難さをつくづく感じます。
 余りに、余りにも大きな犠牲を払って手にした今日の平和であります。戦争を風化させてはなりません。戦争の悲惨さを身をもって知る者は平和の尊さを語り続けてまいります。
 高校生の妹と二人きりになりました私は、必死で職を求めました。すがる思いで訪ねた会社で、片親でも仕事がないときに、両親のいない、高校を出たばかりのおまえに仕事があるはずがなかろう、我が社は慈善事業をしているのではないと言われました。
 私の政治の原点にある言葉であります。政治の世界に身を置くことになりましたとき、虫の目になると言いました。地べたをはいずり回って、光の当たっていないところに政治の光を当てたいと願ったのであります。ドミニカ移民問題にこだわったのは、そのためでありました。
 妹と渡りました世間は、嵐も吹きましたし、雨も降りましたが、私たちは、終戦の日に、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ覚悟をしたのであります。風の寒さやひもじさには慣れっこでありました。B29に丸焼けにされた片隅で、鉄くずを拾い、それを売って得た一個のコッペパンを皆で分けて食べました。
 その仲間は、今も、友の憂いに我は泣き、我が喜びに友は舞う、友の情けをたずぬれば、義のあるところ火をも踏む絆で結ばれています。親はいませんでしたが、仲間はいつもそばにいてくれました。おかげで、泡沫候補と言われた最初の県議会議員選挙以来、数多くの選挙を乗り越えてこれました。
 多くの先輩、恩人に助けていただいて、まさに今日この瞬間があります。振り返れば短く、顧みて長い二十五年であります。
 委員長として個人情報保護法を成立させましたときに、今日もこの議場におられる一人の先生に、審議を尽くしたとは言わないが、信義は守られたと思うと言っていただきました。
 山本孝史先生の追悼演説では、男は人前で涙を見せるなという薩摩の教育を受けた私が、不覚にも言葉を詰まらせてしまいました。先生方の拍手に助けていただいて全うすることができました。
 不敏なる私が二十五年間つつがなく勤めることができましたのは、先生方の御厚情のおかげさまであります。御恩をいただきました方に、恩返しをしたいと思うなら、私に返してくれなくていい、できるときに誰かに返しなさいと言われました。いまだ万分の一のお返しもできていないことを恥じております。義理と人情、浪花節の古い人間であります。
 老兵は死なず。去る日まで少しでも多くの御恩返しができますよう努めます。先生方の倍旧の御指導、御鞭撻を賜りますようお願いを申し上げます。
 この議場に妻と子供たち、そして妹を座らせていただきました。初めてありがとうと言って、お礼の言葉を結びます。
 生涯を通して、一つのパンは皆で分けるとおいしいと教えてもらいました。虫の目になる政治を全うしてまいります。
 本日はありがとうございます。(拍手)
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発言情報

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発言者: 尾辻秀久

speaker_id: 28032

日付: 2014-03-12

院: 参議院

会議名: 本会議