加藤陽子の発言 (議院運営委員会新たな国立公文書館に関する小委員会)
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○加藤参考人 私は、これから資料に基づきながらお話をさせていただきたいと思います。
「新たな国立公文書館に向けて」という題を振っておりますA4の縦の資料でございます。本当は、「新たな国立公文書館の建設に向けて」と書きたかったのですが、「の建設」という部分は小委員会がお考えいただくことでありますので、ちょっと文法的におかしな表現になりましたけれども、「新たな国立公文書館に向けて」ということで、十分程度お時間をいただきたいと思います。
前回の第一回の小委員会におきまして、これはここに書いていないことでございますけれども、衆議院の土地の提供となろうが、土地をどこにするかということを小委員会がお考えいただく、もう一点は、夏に向けて予算をつけていく作業で、非常に大きな仕事となろう、そういう高木小委員長の御発言がございました。
ですから、私としましては、平成十五年、十二年前から、公文書館のあり方、公文書管理のあり方、そういうものを考えるということを、福田康夫氏が官房長官時代からのことでございますが、その有識者会議、懇談会、名前は変わりましたが、いろいろずっと参加していた人間として、そしていわゆる公文書館、国会図書館のヘビーユーザーとして何を考えているかということを申し上げたいと思います。
ですから、衆議院の側が土地を提供していただく、そういう提供していただく側の論理をまとめてお話しできればと思っております。
それで、一番ですが、「「世界に誇る国民本位の新たな国立公文書館」の建設を議論するにあたって」というのは、これは昨年二月に結成された議員連盟の正式の名前から頂戴しまして、スローガンとしても大変結構だと思うんですね、世界に誇る国民本位ということであります。
一つ目の丸のところでございますが、とにかく、国の歴史を残す、国民の記憶の場所としてのナショナルモニュメントであるということでございまして、大体、国会が話題に上りますと国会議事堂からテレビが映し始めるわけで、やはりこれは象徴、荘厳なる象徴という役割で建物が使われます。
ですから、もし建てていただけるのであれば、将来、新しい国立公文書館というものが荘厳な象徴として建ち得るようにぜひお願いしたいと思うのです。
例えば、国会議事堂は、一九三六年、昭和十一年、二・二六のときに建ってございますけれども、やはりこれは、明治以来ずっと、大蔵省臨時議院建築局で設計したり、大変な国家事業だったようです。そういうことにも鑑みまして、ナショナルモニュメントとなるように。
そして、丸の二番目ですが、これは、国民の目に映ずる場合の国の文書ということで考えますと、私ども、どうしても、国、行政が、公文書管理法というのをつくって、それに基づいて四年目というふうに施行してきた、だから新しい公文書館も考えていただこう、立法、司法、行政という三権ののりを越えない形でのお話をいつもするわけですけれども、国民としては、国の大事な記録、今老川先生からお話をいただきましたが、そういうことを考えたときに、国家として一体的になされた政策決定過程であります。
先生方の前でこういうことを申し上げるのは本当に釈迦に説法なんですけれども、国の歩みというのは、立法府ができるのは明治二十三年で、近代国家ができてから二十年かかる。それから、司法の独立も試行錯誤を経て行われました。ですから、立法、司法、行政というものが一体として明治維新以来できてきた、これが正直に残るような、そういう展示をする場所があったらいいなということなんですね。
それで、議連の先生方も多いとは思いますが、公文書管理法の第一条に、健全なる民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源、こういう言葉があるんですね。健全なる民主主義の根幹を支えるのが公文書だというような定義がある。こういう立派な法を、二〇〇九年に制定、二〇一一年に施行ですけれども、今、日本の国は持てたわけなんですね。
そういう中で、実は、我々大人は、健全なる民主主義の根幹を支える国民共有の資産であるということを、将来を支える国民である小中学生に示してこなかったんですね。これが本当にちゃんとした大日本帝国憲法の本物で、これが本当に苦しい中でつくられた日本国憲法の本物でというものを、立派な、荘厳な施設で展示してきていない。
私がお配りしております資料の十二ページをごらんいただきますと、大日本帝国憲法、これは御署名原本で、明治天皇の文字、それから御璽が押された原本の写真がございます。
それから一転しまして、十九ページをごらんいただきますと、非常に紙質の悪い日本国憲法がごらんいただけるんですが、実のところ、今、国立公文書館の本館におきましては、この大日本帝国憲法と日本国憲法をきちっと展示し得るような施設がございません。
ですから、この十二ページと十九ページの憲法の差、国家ができて二十年ほどたって、ようやくアジアに初めてと言われる憲法をつくったという、にぎにぎしい、その紙質も立派な大日本帝国憲法と、国が破れた翌年につくられた日本国憲法は、やはり違うわけです。こういうことをきっちりとお話しできるような、小中学生に見せる施設がなかったということですね。
ですから、一ページ目の丸の三つ目に戻りますけれども、とにかく建設場所の象徴的な意味というものを大人である我々が考えますと、やはり展示機能というものが本館になかったんですね。
ですから、一九七一年に設立された国立公文書館本館、昭和四十六年のことですけれども、この本館機能というものを根本的に考え直して、展示・学習機能中心、そして展示・学習機能をやるには、そのバックヤードでは、国会で生産された文書、司法、最高裁判所でつくられた文書、そして行政でつくられた文書、この三つを一体として、後の展示を支え得るような、整理や保管をし得るような場所がやはり随分必要ですね。ですから、その点が再考していただきたいことであります。
それで、この一ページ目の最後の丸になりますが、では、そういうものをお預けしていいのか、国立公文書館というところは司法や立法や行政機関の文書も含めて預けていいのかということについて、非常に御不安を持つ機関はたくさんあると思います。
それで、一つブレークスルーをやったなということの例を申し上げますと、国立公文書館が、この三月から五月におきまして、「橋を架けた大統領 「JFK—その生涯と遺産」」という展覧会をやりまして、先生方もごらんになられた方がかなり多いと思うんですね。実は、二カ月ちょっとの開催期間でありましたが、四万人を達成したのです。
公文書館をいつも使わせていただいている人間からしますと、すごいなと思いますのは、ここで展示したものの種類が、国家として一体的になされた政策決定過程をちゃんと再現できた、それを国民が体感できる場としてできたことが成功要因かなとしみじみ思いました。
私も一閲覧者として見に参りましたときに、人生で重要なものは国会周辺で学んだというのは大体一九四八年以降生まれの方だと思いますが、そういう方とかがお見えになって、しかも三割ぐらいが女性だったということで、私は非常に感銘を受けました。
この「展示の重要性」のところをちょっとごらんいただきたいと思うんですが、つまり、どんな史料を集めたか。
これは、アメリカ大統領として、太平洋戦争に従軍していたかどうかというのは勇敢かどうかという指標になって、とても大事なようなんですが、ケネディは、魚雷艇に乗っていまして、日本の駆逐艦と接触して海に放り出された人であります。そういう日本の防衛省の戦史センターの史料。それから、ケネディが大統領に就任したときの佐藤栄作日記、これは首相の史料を公文書館がいただきました。それから、キューバ・ミサイルのとき、六二年というときですから御存じの方もおいでだと思いますが、このどきどきした感じ、東条の気持ちがわかるということをケネディがメモに残していたものをケネディ大統領図書館からお借りしてまいりました。
この展示物を見ながら、見ていた方が随分メモをとっていました。つまり、アメリカ大統領が、日本の首相、太平洋戦争開戦時の東条の気持ちが理解できるというメモを残されている、ああ、歴史の瞬間だなということですね。
それから、この下記に三点書いたような、さまざまな、例えば、国民としては非常に興味が高い、今の皇后陛下ですが、皇太子妃がイグナチオ協会で追悼ミサに出られるかどうか、こういうことを宮内庁と打ち合わせているような史料もございます。
つまり、国家が記録を残すということは、外交面も含め、このような多角的な作業で残されることであるんですね。恐らく立法府でもさまざまな議論があったと思います。例えば、これが全部一堂のもとに展覧会が開ければ、すごく国民としては臨場感のあるものだったと思うんですね。これで四万人をたたき出したということであります。
それで、ここの一番目のお話を閉じる際に、一言申し上げたいのは、つまり、我々は、展示、学習ということをちゃんとやってこなかった国なんですが、心を改めまして、やろうという決意のもとでありました。
ですから、先ほどの、ロタンダというところで子供たちが一晩過ごす、これは本当に大事なことで、例えば南北戦争の記憶で、南軍の司令官の気持ちになって、これからあした総攻撃がある、どういう気持ちで一晩過ごそうねなんという課題を出すんですね。
ですから、例えば一九六二年にケネディからキューバ危機だよという連絡が来たときに、どういう気持ちで日本の首相は一晩過ごしたんだろうねというような問いを考える場所にもなり得るということであります。
それから、少し急ぎますが、二ページ目の二番目ですが、それでは、国立公文書館が保有するとき、さまざまな史料をいただくときにどういう工夫をしたらいいか。これは実はそんなに難しくないんですよというお話をしにきょうは参りました。
(1)の丸のところをごらんください。
つまり、立法府が学ぶべき一つの例として、司法府の文書をどういただいたらいいかという話は十一ページをごらんください。これは別紙3ということで、司法府との申し合わせ、内閣総理大臣であります麻生太郎首相と最高裁長官が申し合わせまして、二〇〇九年にこういうものができているんです。
ここのポイントは、1の(1)、(2)あたりで、裁判所がその適切な保存のために必要な措置を講ずるものとされている中核となる文書を、司法府の側から指定していただきまして、それで、それは(1)、(2)というような文書である、だから、これに関しての管理については内閣府などがアドバイスをしながら、適宜、司法府がいいと言った文書に関してはいただきますよ、そういう申し合わせをしてございます。これは、非常に活用の範囲の広い、すぐれた文書だと私は思います。
ですから、立法府との間で、つまり衆議院議長である大島議長と内閣総理大臣が申し合わせをしていただき、そして、今の1の(1)、(2)というような、どういう概念の文書を管理、保存、移管などの申し合わせの対象にするかという御提案をいただければ、我々、ああそうですかということで協議ができるということなんですね。
それで、私どもが非常に心強いと思いますのは、(2)のところの二つ目の丸、三つ目の丸をごらんいただきたいんですけれども、既に衆議院の中ではさまざまに、先生方のオーラルヒストリー、そして事務局方の事務総長などのオーラルヒストリーを聞くような先生方が、京都大学法学部、ここに名前を挙げておりますのは奈良岡聡智先生、それから九州大学法学部の赤坂幸一先生、こういう先生方が「国会運営の裏方たち」という題名の御本を書きまして、事務総長経験者のオーラルヒストリーや、それでは立法府の中からどういう文書を、移管の相談、保存の相談のアドバイス、そういうものにしたらよいかということについて、どうも調査をしておいでです。
ですから、そういう先生方と私ども、内閣府の公文書管理委員会の有識者などが御相談して、どういう立法府の文書をいただけるか、括弧つき移管で、ここにお持ちいただく形で、しかし、管理などの御相談はするということ、こういうことができると思います。
お時間を随分長くとりまして申しわけございませんが、骨格となる新しい公文書館では展示・学習機能を荘厳な建物でやりたいんだということ、それから、立法府の文書を移管もしくは保存ということの御相談をさせていただく際には、随分基礎ができているので、お話し合いをさせていただけるのではないか、この二点について申し上げました。
以上です。