野田毅の発言 (憲法審査会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○野田(毅)委員 ことし初めての審査会で、私から、五分間という限られた中で、たくさん言いたいことがあるんだけれども、少し絞って、また次の機会に残りをしゃべりたいと思うんです。
今、長妻さんからもお話があったんですが、今までよりもはるかに憲法改正問題について、保岡会長の努力もあって、前進してきていることは大変結構だと思います。
ただ、常識的に、この憲法ができたころは、まだ北朝鮮はなかったんですよね。世界じゅう、まだまだ終戦直後の、世界の国際安全保障の環境というのは全く違う。それから一体何回転、世の中、安全保障環境は変わってきているんだろうか。だから、そのときにつくられたままの、そういうものが今日において適用がうまくいけるわけがない。
既にこのことは、冷戦構造が激化をし、それが緩和をされる、ソ連が崩壊をする、途中でさまざまな過程を経て、結局、それぞれの時に合わせて、いろいろ苦労しながらも、現憲法はそのままですから、これを、どういうふうにして適用できるように解釈するか。言葉は悪いけれども、解釈改憲と言う人もいるけれども、いわば憲法解釈の適正化というか、そういうことの積み重ねをして今日までやってきている。
したがって、よほどの法律の専門家でない限り、先ほど北側先生がおっしゃったようなことが世の中のどこまでの国民に広く浸透するかというのは、容易なことではないので、できれば、やはりわかりやすい形で、義務教育が終わった子供たちにもある程度理解が進むような表現にするというのは常識のことだと思うんですね。
だから、そういう意味で、これまでは、何も安全保障環境の話のみならず、あのハイジャックのときに超法規措置でやりましたよね、あるいは私学助成もそうなっている。いろいろなことはあるんだけれども、みんな黙っていて、知らぬ顔して、見て見ぬふりしているんですよ。これを今後も続けていくのか。そろそろ本来の、やはり法治国家としての最高規範ということである以上は、もう少しきちんとした整理整頓をするというのは常識的なことであっただろう。かなり遅きに失している。
私どもは、保岡さんも同じだけれども、まさに昭和四十七年に初当選して、世界の情勢が戦後は一段落したという年だったので、殊のほかこの問題に関しては深く関心を持ってきた一人で、本来なら前世紀の間にしておかなきゃならなかったテーマの一つだと思っています。この点をぜひ進めてもらいたい、これが一つ。
それからもう一つは、現在の憲法も西欧諸国の憲法規範と大体同じなんですが、できた源流は市民革命ですね。国家権力、それは王権であれ独裁権力であれ、要するに基本的人権ということで、ある意味では抵抗側の市民革命の精神にのっとった形での憲法事項になっている。そういう意味で、西側の憲法体系は猜疑心の憲法だ。権力に対する猜疑心が原点にある。そういう点で、いわゆる共産圏の方は人民民主主義ですから、いわば権力を握った者がオールマイティーであって、その権力に対しては極めて従順な形、つまり自動的に独裁を容認する前提の憲法体制になっている。これが東西対立のときの世界の情勢だったんだけれども、随分変わってきた。
そういうことを考えますと、今、もう一つ、第三の視点から、市民対市民の中にかなりの権利の相克があるわけですよ。
先ほど、いわゆる環境権の話もあるんだけれども、権力対市民ということだけで基本的人権を捉えるのか、それを、やはり市民の間のトラブルをどういうふうに乗り越えるかということも一つの視点として必要なのではないか。やはり、お互いが自分の権利を行使するときには周りの人にも配慮するような配慮義務があるだろうし、そういったこともある程度のことは我慢をするという受忍義務があってもいいのかもしれない。それをどこかで入れておかないと、今の形は、少なくとも基本的人権ということを軸にしながら、いろいろな形に、権利行使にかなりウエートの高い憲法体系になってしまっていることがさまざまな分野でのトラブルを起こしているのではないかと思います。
それから、幾つか視点はあるんですが、改正条項。これはやはり、二院制においてのこれですから、しかも、参議院は解散がない、半数改選だということを頭に置いた場合に、現在の改正条項がもしもう少し柔軟なことであれば、既にかなり憲法改正はできておったんじゃないかということも考えられるように思います。
それから、まだいろいろあるんですが、道州制の話がよくあるんだけれども、私は、これはちょっと違うんじゃないか。少なくとも地域の自立性ということは、徳川時代よりもっと昔から、地域土着の、地域の一体感、地域共同体というものがどこの国でもあると思うんです。だから、何か粘土細工をこねるように、単に統治機構をどうするかという上から目線だけで論ずるのは、極めて現実とは遊離することになっていくんじゃないかということを覚えます。極めて権力的に、強制的に行政をやるということはいかがかと思っています。
以上です。