浜地雅一の発言 (憲法審査会)

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○浜地委員 公明党の浜地雅一でございます。
 私、一言だけお話をしたい点が、国民の責務について先ほどからお話がございました。立憲主義の立場からいきますと、基本的には、国民の責務というのはやはり抑止的であるべきだろうというのは各党派共通していると思いますが、どうしても、この憲法議論の中で国民の責務をもう少し書こうというお話がございますので、果たしてどこまでこの立憲主義の中で国民に責務を課すことができるのかというところは議論を深めていただきたいと思っております。
 現在の日本国憲法は、三つの義務しか規定をしておりません。御存じのとおり、勤労する義務、納税する義務、そして自分たちの子女を教育させる義務でございます。この三つというのは、実は、国家としての形成をなすために、主権者にどうしても負ってもらわなければ国家としての形成ができないというのが、国民に勤労していただき、納税をしていただき、将来の子女を育てていただくということでございますので、かなり日本国憲法は抑止的に書いてあるわけでございます。
 ですので、実際、立憲主義の中で国民に義務を課す中で、どうしても国家としての形成をなす中で必要なもの以外はやはり書くべきでないのか、それともさらに書くのかという議論は深めるべきであろうと思っています。
 我が党の憲法改正の、加憲の一つの例示でございます環境権につきましても、これは社会権として捉えるのか、それとも環境保持としての国民に対する責務まで求めるのかという点でも、我々としても考えていくべきであろうと思っております。
 先ほど少しお話がありましたが、どうしても私人間のぶつかり合いという点については、御存じのとおり、これは憲法の私人間効力というところで、やはり一般法、民法の世界等で処理すべきものでございますので、私は、このあたり、憲法改正議論を進めるに当たっては、国民の責務をどこまで書けるのかという部分の議論の深化が必要だろうと思っています。
 個人的には、先ほど申し上げました、国家の基本をなす、形成すべき点に限って国民に責務を課すべきで、余りそういったものは書くべきでない、そのように私は考えております。
 以上でございます。

発言情報

speech_id: 118904183X00220150507_028

発言者: 浜地雅一

speaker_id: 20553

日付: 2015-05-07

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会