中川正春の発言 (憲法審査会)
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○中川(正)委員 お試しの方は、私たち、九条に関連して、これはどこかで憲法自体を議論はしていかなければいけないだろう。ここはまさにそのとおりだと思うんですが、安倍さんが今いて、その思惑の中で憲法改正議論が進んでいるとすれば、これは、政治的に、国民がそこまでの信頼感を持って、安心感を持って憲法議論に乗ってこれるかというと、今、決してそういう状況ではないということ、ここに懸念があるということだと思うんです。
これは私の考え方、意見ということでお話をさせていただいて、その関連の中で、今、安保法制が進んでいますけれども、それに基づく議論、ここで起こっている問題について、少しお話を聞きたいと思うんです。
一つは、基本になる言葉というのが、揺れているといいますか、変遷をしてきています。
例えば、専守防衛。これは、今の九条を語る基本理念というか規範みたいな形で説明をされてきた言葉でありますが、これを定義すると、相手から直接の武力攻撃を受けたときに初めて自衛隊が防衛力を行使するということ、それで、だからこそ必要最小限にとどめて、保持する防衛力も自衛のための本当に必要最小限のものにしていく、こういう定義、これが一般的にこれまで使われてきた定義だと思うんですね。
今回、それに対して、三要件が出てきました。二つのことにおいて、これは超えると思うんですよね。
一つは、我が国に直接ということだけではなくて、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃の発生が前提だということ、これで一つ超えています。
それからもう一つは、直接の武力攻撃でありますから、三要件の中の最後の可能性とかおそれとかいうことではないわけですね。そこが、三要件というのをそのまま持ってくると、可能性とかおそれという形で、超えているというような形。
これをもって、私は、この専守防衛という言葉は超えた、だからこれは使うべきでないというふうに思っているんですが、政府の方は引き続き、我が国の防衛の基本的な方針である専守防衛を維持することに変わりはないということを言い続けています。
それからもう一つ、幅が広過ぎるというのは集団的自衛権なんですね。これは定義が、いろいろなものを見るとまちまちでありまして、日本がベースを提供しているということ自体がもう集団的自衛権だということから始まって、いや、これは限られた形で武力を前提にしたものなんだという定義までさまざまでありまして、そのときそのときで使い分けしている。限定的な集団的自衛権とか、一般的なとかという言い方。平和という言葉もそうですよね、法律の名前自体がとんでもない欺瞞的な使い方をされている。
こういう話になってくると、議論にならない。国民にとって、ますますわけがわからなくなってくる。両方が同じ言葉を使いながら意味していることが全く違うということをわかってもらわないと、議論が進まない状況になっているというふうに思うんです。
この言葉の定義を誰がどこで確実に制御していけるのかということも一つのキーだと思うんですけれども、これは憲法解釈そのものとの関連、いわゆる解釈で変えていくということとの関連もあるんですが、そこはどう考えられますか。
これは笹田参考人とそれから小林参考人、お願いします。