枝野幸男の発言 (憲法審査会)
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○枝野委員 まず、本題に先立ち、国会運営が著しく不正常になっていることを指摘し、特に、厚生労働委員会の審議について強く抗議します。
厚生労働委員会は、昨日、我が党などの要求を無視し、委員長職権で派遣法の審議を強行しました。年金記録漏えいという、国民的にも関心が高く、迅速な対応が求められているテーマについて、厚生労働省等に、対応に多々問題が指摘されている以上、法案審議に優先して審議を進める必要があることは論をまちません。
ところが、一方、きょうは、定例日でないにもかかわらず、今度は年金漏えい問題の審議だと称して、これまた委員長職権で強引に委員会開催を決定しました。
言うまでもなく、定例日は、国会運営を効率的、効果的に進めるための基本的ルールであり、全会派一致の場合ならともかく、委員長職権で定例日以外に強行するという暴挙は許されるものではありません。定例日以外の例外的審議を強行するくらいなら、なぜ、昨日、法案審議を強行したのか。まさに御都合主義のきわみであります。
民主政治は、中身と同様、手続の正当性が求められます。各会派で建設的な議論をするための手続的正当性に関し、最低限の前提が一方的に無視され、国会は不正常な状況であることをまずは申し上げておきたいと思います。
その上で、せっかくの機会ですので、本題について申し上げます。
言うまでもなく、四日の本審査会にお招きした三人の参考人の先生方、いずれも憲法学界を代表する先生方でありますが、その皆さんがそろって、現在審議中の安保法制について憲法違反であると述べられたことは、それ自体重大なことです。
これを軽視したり無視したりしようという声が出ていることは、それだけでも、国会における参考人質疑そのものを軽視するもので、国会議員みずからがおっしゃることは、天に唾するものです。
中でも、長谷部先生については、自民党の推薦に基づいて参考人としてお招きしました。安保法制についての意見は結果的に自民党と異なっているとしても、お招きしたテーマである憲法保障をめぐる諸問題、つまり立憲主義などについては、意見を伺うにふさわしい専門家であると自民党の皆さんも判断されたわけです。
そして、定着した解釈の変更という安保法制の問題点とは、お招きしたテーマの中心である立憲主義との関係で、憲法適合性が問われているものです。
立憲主義について自民党の皆さんも傾聴に値すると判断された先生から、立憲主義違反との指摘を受けたということは、誰よりも自民党自身が重く受けとめるべきであります。
また、長谷部先生は、一部マスコミから、先生には大変失礼ながら、自民党の御用学者という表現がなされたことすらあります。特定秘密保護法の審議に際して、自民党推薦の参考人として特定秘密保護法に賛成の意見を述べられたことなどが、こうした失礼な表現が一部でなされた背景であります。
つまり、長谷部先生は、自民党の皆さんと異なる特別なイデオロギーや政治性を持っておられるわけではありません。憲法学の専門的、客観的見地から正しいと判断されれば、自民党の進める政策を支持することを含め、中立厳正に意見を述べられてきた方であり、自民党寄りとの誹謗があっても、学者としての信念に基づき、筋を通されてきた先生であるということであります。
小林先生については、自民党の皆さんこそよく御存じでしょう。憲法九条について、早くから改正の必要性を強調しておられました。失礼ながら、私は、ある時期に小林先生の詳細な御意見を学ぶまで、自民党寄りの偏った学者さんではないかとの偏見を持っていたくらいです。その小林先生が、今回の安保法制を違憲だと明言されているのです。
要するに、単にたまたまお招きした三人の先生方がそろって違憲とおっしゃったのではなく、中立的で、むしろ自民党の考え方に近いとすら受けとめられている方が少なくとも二名も含まれている中で、一致して憲法違反との指摘を受けたということであります。
その上で、四日の審査会の後に一部から出ている、その重みを無視しようとする具体的な意見に対し、二点ほど指摘をしたいと思います。
まさに専門家中の専門家である参考人の先生方御自身がさまざまな場面で反論しておられるので、浅学非才の私が申し上げるのは僣越かもしれませんが、しかし、同様に専門家でない同僚議員の中からさまざまな意見が示されている中では、それに対する反論を明確に議事録に残すという役割もあります。そこで、先生方のこの間の御発言などをできるだけ参考にしながら、二点ほど申し上げたいと思います。
一つは、自衛隊発足の当時から、憲法学者の間では自衛隊違憲論が多数であり、最高裁はその学者の意見を採用してこなかったとの指摘です。また、現状においても、憲法学者の間では自衛隊違憲論が多いとして、自分たちとは基本的な立場が異なるという発言もあります。
しかし、そもそも自衛隊発足時の違憲論は、日本国憲法が制定され、九条についての解釈が確立する前の、いわば白地での議論でありました。これに対し、今回の参考人の御意見は、いずれも、これまでに積み重ねられ、定着している政府の憲法解釈を前提として、集団的自衛権の容認などが憲法違反であると論理的に指摘をするものです。つまり、参考人の御意見は、自衛隊合憲論を前提としており、その限りで、私たちとも自民党とも基本的な立場は一致しています。
そして、白地の状況では、批判自体が確立していませんから、条文の文言に基づき、どのような規範を導くのかということが問われます。このような場合には、法論理の問題だけにとどまらず、一定の価値判断が含まれ、政治性を帯びることも避けられません。すなわち、条文とそごを生じない限り、新たな規範の定立に向けた政治判断、価値判断が加わることは、この時点ではあり得ることです。当時の公権力が、法論理の専門家である学者の意見を参考にしながらも、政治的価値判断を踏まえ、当時の多数意見とは異なる結論を導いたことにも一定の正当性があります。
これに対して、今回の参考人の指摘は、既に確立した解釈、つまり一定の規範を前提に、論理的整合性がとれないことを専門的に指摘するものです。論理的整合性は、政治性を帯びる問題ではなく、純粋法論理の問題ですから、政治家が政治的に判断できることでなく、専門家に委ねるべき問題です。論理の問題と、一定の価値判断、政治判断が含まれる問題との峻別もできないのでは、法を語る資格はありません。
二つ目は、集団的自衛権容認の論拠として砂川事件最高裁判決を引っ張り出し、かつ、憲法判断をするのは学者でなく最高裁だとの主張がなされていることです。
言うまでもなく、砂川判決で論点になっていたのは個別的自衛権行使の合憲性であり、集団的自衛権行使の可否はこの裁判では全く問題となっていません。そこで示された論理はあくまでも個別的自衛権行使の可否に関するものであり、その論理の一部をつまみ食いして集団的自衛権行使が可能であると導くのは、判例の捉え方に関する法解釈学のイロハのイ、基本に反するものであります。
また、政府が示すように、砂川判決の論理から集団的自衛権行使容認を導き得るのなら、砂川判決の後も、政府が一貫して集団的自衛権行使を憲法上許されないとしてきたことをどう説明するのでしょうか。最高裁判決では容認されていた集団的自衛権行使を、内閣の判断で、できないとしてきたのでしょうか。
政府は、最近の安全保障環境の変化によって、集団的自衛権行使の一部容認が、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要になったのだと言っていますが、つじつまは合いません。仮に最近の環境変化で必要性が生じたのだとしても、法論理上は可能であったはずであり、この間の説明も、砂川判決に基づき、集団的自衛権行使も法理論上は合憲であるが、その必要がないので行使しない、こう言ってこなければおかしかったはずであります。
要するに、砂川判決という唯一の自衛権に関連する最高裁判例は、集団的自衛権行使を容認したものでは全くなく、しかも、その判決がありながら集団的自衛権行使はできないという政府見解が積み重ねられたという事実を踏まえれば、砂川判決は、集団的自衛権行使容認が憲法違反であるということの補足理由にはなっても、行使容認には到底結びつきません。
このほかにも、全く論理性のない批判が参考人の皆さんに対してなされていますが、私の観点から、別途、戦前の失敗の分かれ道の一つとなった天皇機関説排撃運動について指摘をしておきたいと思います。
昭和十年、明治憲法において通説であった天皇機関説に対し、国会内外での排撃運動が燃え盛り、美濃部達吉東京帝大教授の著書「憲法撮要」が頒布禁止処分になるなどしました。そしてこの事件が、憲法という観点からは、道を誤るきっかけの一つとなりました。
私は、一部で言われているように、明治憲法が悪い憲法であったとは思っていません。あの当時の世界の状況の中では、昭和初期までの適切な運用が続いていれば、相当程度評価できる憲法であったと思います。
ところが、天皇機関説批判で、専門家でもない人たちが政治的思惑や感情論で憲法解釈の通説を排撃し、解釈を恣意的にゆがめ、その結果、その後の統帥権独立の拡大解釈などへとつながって、国を滅ぼす一歩手前まで進めたのであります。
今回の騒動も、あのときと同じように、専門家の論理と学識を政治家などが一方的に無視し、論理になっていない論理をごり押ししようとするものであり、同じ過ちにならないことを危惧するものであります。
安倍総理は、海外において法の支配を強調しておられます。
国内において、法の支配とは、法に基づかない権力行使を行わないということにほかなりません。そして憲法は、権力が守らなければならない基本中の基本となる法です。その解釈を、専門家の指摘も無視して一方的に都合よく変更するという姿勢は、法の支配とは対極そのものです。
国際社会において法の支配を軽視し、力による現状変更を進めるロシアや中国を強く非難するのは当然です。しかし、その御本人は、国内ではロシアや中国と同じように法の支配を無視しているということを指摘せざるを得ません。まさに同じ穴のムジナであるということを申し上げ、意見陳述といたします。