古屋圭司の発言 (憲法審査会)
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○古屋(圭)委員 自民党の古屋圭司でございます。
先週に開催されたG7エルマウ・サミットの首脳宣言に、次のような文言が記されました。国際法の諸原則に基づく、ルールを基礎とした海洋における秩序を維持すること。具体的には、東シナ海、南シナ海での緊張の懸念。威嚇、強制または武力の行使及び大規模な埋め立てを含む現状の変更を試みるいかなる一方的行動にも強く反対する。
ここで大規模な埋め立て云々は明らかに中国を指していることは、疑いの余地もありません。フィリピンのアキノ大統領も、国会にて同様の主張をしています。昨今における世界の安全保障環境の劇的変化をサミット首脳宣言でもこのように明記されたことは、大きな時代の変化を象徴しています。
また、北朝鮮による核開発と日本を射程にしたミサイル配備も大きな脅威であります。
このように安全保障環境の大きな変化に切れ目なく対応するために、極めて厳しい新三条件のもと、集団的自衛権の行使を現行憲法上の枠内で限定的に必要最低限の範囲で認めようというのが、現在審議中の平和安全法制です。政府は、日本国民の安全と生命を守り抜く責務があります。あくまでもその責務を遂行するための法制であります。
過日の憲法審査会で、出席した三名の参考人が、集団的自衛権の行使は憲法違反であると述べています。長谷部参考人は、従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつきませんと述べています。しかし、憲法の条文の枠内で政府見解が変更されたことは、これまでも幾つかの例があります。すなわち、憲法の条文の枠内であれば憲法違反に当たらないという考えもあると思います。
そこで、国際法と憲法に照らして、我が国の集団的自衛権行使は許されないのか、また九条は集団的自衛権の行使を禁止しているかについて述べます。
国連憲章及びサンフランシスコ講和条約は、我が国に対して無条件で集団的自衛権を認めています。
他方、九条は、集団的自衛権について保持も行使も禁止していません。すなわち、主権国家に認められた固有の権利である集団的自衛権を我が国が保持し行使し得るというのが自然です。行使に当たって何らかの制限は、九条二項の戦力の不保持や交戦権の否認に伴うものであります。
もちろん、集団的自衛権と個別的自衛権の関係はさまざまな解釈があります。国内法の正当防衛権と比較すれば、両者は不即不離の関係にあり、切り離して考えること自体が不自然ではないでしょうか。
さて、憲法解釈には、有権解釈と私的解釈があります。有権解釈は、最高裁判決、国会での議論の積み重ね、国会決議、政府見解がそれに当てはまるでしょう。最も重要な意味を持つのは最高裁判決であることは、憲法八十一条が、憲法解釈についての最終判断を有するのは最高裁と記されているからであります。これに対して、憲法学者等の学識経験者によってなされるのが私的解釈です。憲法学者の意見に耳を傾けることは大切ですが、国家機関を拘束するのはあくまでも有権解釈です。したがって、憲法学者が違反と言っているから平和安全法は廃案にせよというような論理はおかしいのではないでしょうか。
憲法九条については、高村委員が指摘の、最高裁の判決が存在をしています。この砂川事件は、九条は主権国家として持つ固有の自衛権は何ら否定していない、我が国が存立を全うするために必要な措置をとることは国家固有の権能の行使として当然としています。
判決は、自衛権としか述べられておらず、集団的自衛権については言及していないと指摘する人もいます。しかし、問題とされたのは、米駐留軍と旧安保条約の合憲性なので、集団的自衛権を射程に入れての判断であって、判決の言う自衛権の中には、集団的、個別的問わず、さきにも述べたように、不即不離、不可分一体のものと考えれば、一括して自衛権と呼んでも不自然ではないと考えます。
同判決が集団的自衛権の名称を用いていないことを根拠に集団的自衛権について言及したものではないということであれば、個別的自衛権も言及をしていないので、一体この判決の自衛権は何なのかという奇妙なことになってしまうのではないでしょうか。
以上、私の意見陳述といたします。