比嘉奈津美の発言 (厚生労働委員会)
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○比嘉委員 感染症に関しては、交通網が非常に世界じゅう緊密になっておりますので、ぜひ対策をとっていただきたいものだと思っております。
さて、実は、沖縄の昔の感染症について少しお話しさせていただきたいと思います。
沖縄は、七十年前の戦火でたくさんの方がお亡くなりになりました。その戦中戦後、実は、マラリア、フィラリアで命を落とした方もたくさんいらっしゃいます。そして、戦後、マイナスの医療からの始まりの中、米軍統治下で、しっかりとした蚊の駆除を行い、公衆衛生の管理を行って、沖縄は長寿の島を形成していきました。
その中にまた、医療が足りないというところで、戦時中、医師の助手をした人、あるいは衛生を手伝った助手の皆さんを医介輔という位置づけで、医者としてのある程度の仕事を認めることをやってもらった歴史がございます。必ず自分の地域に戻って仕事をしていただく、そういう医介輔制度というものを沖縄は位置づけました。
そしてまた、米軍式の医師のインターンシップによる医療の充実。これは一九五〇年代、沖縄の米軍の陸軍病院というのは、アジアで一番、東洋最大、東洋で一番水準の高い医療を提供していたそうでございます。そういうところと沖縄県の病院は提携を結んで、ハワイ大学とも連携して、進んだ医療を取り入れていったのが沖縄でございます。そういう病院に日本全国から新卒の先生方を研修に迎え入れて、その先生方は現在でも日本全土で仕事をしているという、この医療環境がございました。
そしてもう一つ、スーパーナースと呼ばれる、公衆衛生看護婦の存在がありました。有人の島々、小さい島々に、公看さんといいますけれども、この公衆衛生看護婦さんを配置し、特に母子健康の教育に当たらせたのがあります。乳幼児の死亡率削減、あるいは妊婦の健康改善に取り組み、目をみはる成果を上げてきたということでございます。この取り組みがいかにすぐれたものであったかというのは、現在でも、東南アジアやアフリカの諸国から、看護婦さんがこのノウハウを習得するために沖縄に訪れております。
申し上げましたように、沖縄は、戦後独自の医療環境、公衆衛生の管理があった歴史を持っております。
沖縄は地政学的にも、アジアにおける感染症を研究、あるいは先進、途上国に対する医療を提供する土地として最適ではないかということで、二〇〇〇年の七月、九州・沖縄サミットで、我が国は沖縄感染症イニシアチブを発信して、地球規模での連携を呼びかけたこともございます。
そしてまた、昨年、ことしと、国内外から産学官民の感染症対策のキーパーソンが集い、日経アジア感染症会議を沖縄で開催しております。私も出席させていただきましたが、エボラ出血熱の現場で医療に当たった方々のお話をいろいろ聞かせていただきました。アフリカの脆弱な社会基盤、貧困、知識不足、また、遺体を埋葬する前に必ず洗浄しておさめるという風習など、厳しい環境の報告がございました。
我が国会からも武見敬三先生が参加され、私も分科会で発言させていただきましたが、この会議に厚労省からも出席の方がございました。今、その会議をどう評価されたか、ちょっとお尋ねしたいと思います。