高井芳樹の発言 (政府開発援助等に関する特別委員会)

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○参考人(高井芳樹君) それでは、座らせていただきます。
 まず最初に、大切な国のお金をたくさん、今回、FS調査だとか案件化調査、あるいは実証事業、この三つの支援をいただきまして、誠にありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
 カンボジアへの進出の経緯なんですけれども、皆様のお手元に行っているこれにも書いてあると思うんですが、簡単に申しますと、一九九四年、私が初めてカンボジアへ訪問いたしました。なぜカンボジアへ行ったかといいますと、何となく行ったわけでして、特に理由はありませんでした。
 行きましたら、日本のODAで日本橋という橋が建ったばかりで、まだ落成式も終わっていないようなほやほやのところでございました。それは大変明るい、いいニュースでしたが、ポル・ポトの後始末で、たくさんの人が亡くなっている関係で大変な国だなということをそのときには肌で感じたわけでございます。
 友達がカンボジアで仕事をしておりましたので、友達がフン・セン首相に会わないかいと言うものですから、いや是非会えるものなら会いたいということで、公的な面会じゃなしに私的な面会ですから、日曜日を選んでフン・センさんのおうちへ行きました。
 私の先入観が悪かったんでしょうけれども、僕は、日本の明治維新に活躍した西郷隆盛だとか大久保利通だとかあるいは坂本龍馬だとか、ああいうごつい人といいますかすごい人を先入観で持っておったんです、フン・セン首相というのはそういう人かなと思って。御自宅へ訪問してみましたら、今ちょっと太られましたけれども、ちょっと痩せ型で、おとなしい大学の先生というような感じで、あれっというのを記憶しております。だけれども、お話を聞けば聞くほど、国に自分の全生命をささげてもいい、国のために頑張ろうと、これだけ傷んだカンボジアを立て直そうという非常に純粋な高い意識を持っておられる方だなということに感銘を受けました。
 そして、フン・セン首相にカンボジアにとって今何が一番大事だと思いますかという質問をしましたら、安定した食料が得られる、安定した外貨が得られる、そのためのことが一番大事ですとおっしゃったんです。私のタイワ精機は小さな会社ですし、精米機メーカーという限られたものを造っているものですから、これという応援ができなかったんですけれども、フン・センさんの非常に純粋な気持ちに打たれまして何とかお役に立ちたいということで、モデル農村がありました、今でもあるんですが、フンセン村というモデル農村がありました。モデル農村といっても何にもないんです、トラクターもなかったですし、何もないところなんですが、そこへちっちゃなミニ精米プラントを一セット寄附をさせていただいたわけでございます。
 そして、オープニングセレモニーのときに、私は、恥ずかしい話ですが、初めて失敗したという気持ちになりました。なぜそういう気持ちになったかというと、私は精米機のプロでありながら、ロングライスのこと、インディカ米ですね、学術用語で言いますとインディカ米、日本はジャポニカ米なんですが、インディカ米のところだということをうっかりしておりまして、日本にはインディカ米がないものですから、私どもが造っております精米機はジャポニカ用の精米機なんです、丸いお米を精米する精米機なんですね。これは、皆さん御存じのように米と米との摩擦で白くしていくわけです。
 ところが、オープニングセレモニーのときに向こうの米を精米しましたところ、長い米が折れるんです。日本でいう砕米、砕け米になって、日本だったらもうとてもお金にならないくらいのひどいお米が出てきたわけです。いや、恥ずかしいやら情けないやら、本当に自分はプロだと思っていたのに何てうかつなことをしたかなと思って、もう二度とカンボジアへ来れないなと思って、平身して、情けない思いして帰ってきたことを覚えています。
 それから十年ほど、私はカンボジアのことを忘れようと、恥ずかしくて行けないということで行かなかったんですが、ライオンズクラブという国際的な組織があるんですが、ライオンズクラブの役員をしておった関係でカンボジアへ、日本のライオンズが本部からお金をもらっていろんな学校を建てたり図書館を建てたりしているわけですけれども、そのお金の使い方を調査してきなさいという指示がありまして、そしてプノンペンに十年目に訪問したわけです。
 夜遅く着きまして、迎えに来てくれた運転手を見てびっくりしました。私が一九九四年にフン・セン首相の自宅へお邪魔したときの通訳さんだったわけですね。その方が運転して迎えに来てくれたわけです。僕は、今でもそうですが、仏教徒です。仏教徒は、皆さんも御承知のように、御縁という人間の力では及ばない縁ですね、この御縁を大事にします。私も、不思議な御縁だったな、御縁があったんだなとそのときに思いました。
 それまでカンボジアは恥ずかしくて避けておりましたけど、その方に会ってから、よし、ロングライス用の精米機を開発してやろう、ロングライス専門のいい精米機を開発してやろうという気になりまして、現地法人をつくったわけでございます。日本にはそういう米がないものですから、開発しようとしても試験ができません。それで、現地に研究所を建てまして、そして日本からも技術屋を送りまして、三年足らず掛かりましたけれども、ロングライス用の精米機を造ったわけです。ちょうどその頃にODAのお話がありまして、お世話になったわけでございます。
 初めて九四年にカンボジアを訪問したときに、まず大使館に行きました。大使館に行きましたら、今とちょっと場所が違いますけれども、当時の大使が電話で誰かにすごく怒っておられました。言葉が分からないものですから、ああ、御機嫌が悪いところへ来たなと思っただけで、しばらく待っておりましたら大使がにこやかな顔をして迎えてくださいましたが、そのときに大使が私にこぼされたことは、これはカンボジア人も良くないけれども、先進国も良くないねと。カンボジアを甘やかしたものだから、援助が当たり前という国民性ができたんだと。今も、これだけ努力したからこれだけはできるんだと、残りが足りないのでお願いしますというんじゃなしに、丸々頭から応援してくれと、こう言ってきたものだから私は怒っているんだということをおっしゃっておられましたが、それは、カンボジアを回ってみますと、あちこちで感じることができました。
 御存じのように、カンボジアはベトナムと一緒で、約百三十年から百四十年間フランスの支配下にありました。しかし、カンボジアの町、カンボジアの国をあちこち歩いてみましても、ほとんど教会が見当たらないんですね、クリスチャンもいらっしゃらない。今でも九〇%以上が仏教徒なんですね。不思議で不思議でしようがない。何が原因だったんだろう、フランスだって一生懸命に布教したはずなのになと、そう思ったけど、原因が分かりませんでしたけれども、やっと昨年、その原因をつかむことができました。それは、村に一か所ずつあるお寺のお坊さんに対して大変お世話になったという気持ちが先祖代々から強いんです。お坊さんに字を習った、おじいちゃんもおばあちゃんもお父さんも、みんなお坊さんに算数を教えてもらった。そのお坊さんに対する御恩があるためにクリスチャンにならなかったということが分かったんですね。そういう国民性なんです。ですから、非常にある意味では日本人とよく似ているなと思ったわけでございます。
 ODAをやらせていただいて良かった点、それから反省点もありますし、これからうちのように小さな中小企業がODAを活用する場合にはどういうことに注意したらいいかという、生意気ですけれども、先輩としての考えもあります。それは後ほど、もう時間がありませんので、またお話しさせていただきます。
 どうもありがとうございました。

発言情報

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発言者: 高井芳樹

speaker_id: 14975

日付: 2015-05-27

院: 参議院

会議名: 政府開発援助等に関する特別委員会