泉澤章の発言 (法務委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(泉澤章君) 弁護士の泉澤と申します。肩書は長いものがたくさん付いておりますが、ただ、今日は一人の刑事弁護人としてここに来て、裁判員裁判に関する話をしたいというふうに思います。
お手元にレジュメを配っておりますが、これに従ってお話をしていきたいと思います。
まず、裁判員裁判、これを導入したときですが、私たち弁護士の間でも様々な意見がありました。今までの硬直化した裁判、官僚的裁判を、国民の司法参加、一般の市民の方々の社会常識を反映させることによって打破するという意味もあるのだろうという意見もございました。ただ、裁判員法一条、これが制定されており、これは司法に対する国民の理解の増進とその信頼の向上に資すると書いておりますが、国民の司法参加への一般市民の社会常識を反映ということは書かれておりません。
当初あった解説によれば、現在の刑事裁判は基本的にきちんと機能しているという評価を前提として、新しい時代にふさわしく、国民にとってより身近な司法を実現するための手段として導入されたとある裁判官の方が解説で書かれております。果たしてそうでしょうか。
その後、刑事司法を取り巻く状況は激変と言ってよかったというふうに思います。偶然かもしれませんが、裁判員裁判が施行された二〇〇九年五月二十一日以降、非常に大きな刑事司法をめぐる状況の変化があったというふうに思います。
一つは足利事件。これは同じ年の五月にDNA鑑定が他人であるということが分かった事件で、私もその弁護団の一員として活動しておりましたが、この足利事件、また布川事件、東電女性社員殺人事件等が再審無罪になるということで、連日マスコミを騒がせたのは御記憶のことだというふうに思います。昨年は死刑事件であります袴田事件、これが、まだ即時抗告審が続いておりますが、再審開始決定が出ております。
このような重大冤罪事件、これまでの刑事裁判において重大な冤罪事件があったのだということが皆さんの目の前に明るみに出たということです。また、厚労省事件、これは最終的には村木さんが無罪になりましたけれども、これをきっかけとして、検察、そして裁判所、さらには刑事司法そのものへの国民の信頼がかなり低下したのではないかというふうに思います。
このような国民の言ってみれば世論を背景にして、検察の在り方検討会議や法制審特別部会、これらが設置されて、新しい刑事司法改革はどうなのだという議論が続けられてきたのだというふうに思います。
このような言ってみれば裁判員裁判施行後の事情を見ると、やはり既存の刑事司法は果たして本当にきちんと機能していたのだろうか、こういう疑問が私はあるというふうに思います。現在の刑事司法が基本的にきちんと機能しているという評価を前提とするという当初の理念は、これはやはり置き換えるべきである。そういう意味では、裁判員法一条、この理念は、やはり一般市民の方々の社会常識が反映される、そのような国民の司法参加、この点に非常に重点を置くべきではないかというふうに私は考えます。
さて、日本国憲法の問題を少し話します。
憲法が刑事手続について詳細な規定を置いているのは皆さんも御存じかと思います。人権規定の中でやはり分量としても一番多いことになっています。憲法三十一条以下、もちろん通常の裁判に関する規定もございますが、四十条まで、これが刑事手続に関する規定になっております。
なぜ憲法上このような刑事手続に関する規定が詳細に規定されているのか。それはやはり、刑事事件、これによって対象とされる人は個人。被疑者、被告人は、国家という大きな権力との間で対峙するという究極の場に置かれるからだというふうに思います。また、そのように習いました。
刑事裁判の手続の原則である推定無罪の原則であるとか、また疑わしきは被告人の利益、このような原則を前提とした刑事手続、その一環として、要するに刑事手続の一環としての裁判員裁判制度、これにも当然ながら生かされるべきであるというふうに私は思います。一人の無辜も罰してはいけない、この考え方が前提となって裁判員裁判制度も運用されるべきであるし、また、改正が必要なのであれば改正されるべきであるというふうに考えます。
その意味で、裁判員裁判の存在意義は、国民の司法参加によって、刑事裁判、この中で特に事実認定がありますけれども、に社会常識を反映させて、最終的には誤判や冤罪を防止すること、そこにこそ重点が置かれるべきではないかなというふうに私、刑事弁護人の立場としては考えます。
事実認定と書いたのは、やはり事実認定、事実のあるなしについては、裁判官はもちろん慣れてはいるでしょうが、プロというふうには言えないと思います。一般市民の方々も、一般の社会の中で生きてきて事実の有無についてはきちんと判断ができる、こういう前提に立っているからこそ、私たちはその国民の常識というものを信頼できるのだというふうに思います。国民の司法参加の持つ非常に積極的な意義、これを重視して私たちは裁判員裁判制度を運用すべきであるし、制度を担っていくべきであるというふうに思います。
最初に述べました裁判員法一条におけるこの理念、これは、現在の刑事裁判が基本的にきちんと機能しているんだと国民に理解してもらう、刑事裁判を理解してもらうというふうなものであれば、国民はやはり客体でしかないわけなのです。教え導かれる客体としての国民でしかないというふうに思います。
しかし、国民の司法参加の持つ積極的意義を考えれば、もはや国民は単なる客体として見ることはできないと思います。民主主義を支える主体としての国民、これが司法の場に参加することこそが積極的な意義を持つのだというふうに思います。それゆえ、国民のこの司法参加を安易に制約するということは、私はできないというふうに考えます。
さて、視点を若干変えまして、私も刑事弁護人ですので、一番気になるのはやはり冤罪です。これらの構造的原因が裁判員裁判とどう関係するかということについて、私の若干意見を述べさせていただきたいというふうに思います。
先ほど様々な冤罪事件が明るみになったというふうな話をしましたが、日本型冤罪事件、その構造の分析というのがされておりまして、様々な原因が言われております。
例えば、長期の被疑者、被告人の身体的拘留、いわゆる人質司法と呼ばれますが、そのようなことや、捜査機関による密室取調べ、そしてそこで得られた自白、これが裁判所では非常に偏重される、そして調書裁判、証拠の偏在、弁護人や被告人の方にはなかなか自らに有利な証拠というものが手に入らない、また弁護人による防御権が弱い、様々なことが言われております。
これらにより今までの重大な冤罪も発生してきたとすれば、それらは裁判員裁判制度が成立することによってどう変容してきたのかということを私は考えるべきだというふうに思います。もちろん、裁判員裁判制度は対象事件が限られておりますから、刑事裁判一般の議論にそのままストレートに入らないかもしれませんが、やはり裁判員裁判制度が今までの、従来の刑事司法に与えた影響というのは、私はあるというふうに思います。
長期の身体的拘束はまだ続いておりますが、しかし、保釈率の上昇ということも言われております。捜査機関による密室の取調べは、これは現在、全面可視化の議論に行っています。まだ遅々として進まないところはあるでしょうが、そのような議論に進んでいる。自白の偏重と調書裁判については、裁判員裁判は公判中心主義によるのだというふうにされ、またそのような運用もかなり進んでおります。証拠の偏在については、証拠の開示、類型証拠開示や争点関連証拠の開示で進んでいるというふうになっています。また、弁護人の防御権についても様々な試行がなされているという、そういうプラス面も私はあるというふうに思います。
個人的体験によると、私も裁判員裁判の否認事件を担当しまして、昨年、千葉地裁で無罪事件を一つ獲得いたしました。それはなぜそうなったかというと、私の分析によると、やはり証拠の開示が非常に全体的なものがなされたということと、それを、裁判長の一つの力量もあったのかもしれませんが、非常に絞り込まずに裁判において出し、また裁判員の方々に適切にそれらを示して説明、指摘を受けたと、そういうところがあったのだというふうに思います。
ただ、マイナス面というものを見逃せませんでした。非常に期間はタイトです、短いです。これはやはり裁判員の方々に負担を掛けないという面はあるかもしれませんが、しかし、ちゃんとした刑事裁判をやるのであれば、ある程度のやはり負担は、私は免れないというふうに思います。この点については、やはり改善する必要があるのじゃないかなというふうに私は考えました。
さて、最後に、裁判員裁判制度改定を含む現在の司法制度改革について、その論議に望むものについて幾つかお話をしたいと思います。
一つは、今まで話してきました国民の司法参加の積極的意義を前進させるために、ここに求められているものを是非議論していただきたいというふうに思います。率直に言えば、国民の司法参加を広げるという意味、前進させるという意味での例えば否認事件の選択権であるとか、そういうことについては議論していただきたいなというふうに私は考えます。
さらに、裁判員制度それだけではなく、それを含めた一体としての刑事司法制度改革の視点としても、先ほど言った、例えば誤判のもとになっておる様々な原因を払拭するような制度改革を更に進めていただきたい。可視化、また証拠開示、特に全面開示を私たち弁護士は求めてきましたが、そういうことについて更に前進させていただきたい。今、ほかのところでは刑事訴訟法等一部改正案も議論になっているようですが、そこではむしろ治安立法であるとか司法取引のような、私から見れば、残念ながら冤罪の可能性を含むような制度が取り上げられようとしていることについては、私自体は危惧を抱いております。
いずれにしましても、国民の司法参加の積極的意義、これを前進させるような議論を是非していただきたい。また、一体としての刑事司法制度改革、これを是非進めて、更に広めて、刑事司法を本当に国民のものとして、誤判、冤罪をなくす社会制度を是非先生方にはつくっていただきたいと切に願う次第であります。
御清聴ありがとうございました。