泉澤章の発言 (法務委員会)
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○参考人(泉澤章君) 先生おっしゃったように、私も制度が始まる前は非常に懐疑的な部分も多かったです。何度も言いますけれども、制度自体が従前我々が求めてきたような陪審制度とはやっぱり異なるものであって、裁判官にリードされるような裁判になるのではないか、また、証拠が非常に絞られて、弁護側の主張や立証についても絞られるのではないか、そういう懸念を抱いておりました。
やってみてですけれども、実質六年たって、その懸念が当たっている裁判も残念ながらあるというふうに思います、聞いておる部分もあります。ただ、率直に私も体験して申し上げれば、もちろん運用がこれからどうなるかにもよるかもしれませんけれども、裁判官の言ってみれば自分の役割を自覚した上での適切なリードや証拠の絞り方等もしていて、非常に争った事件の中でも最近では従前にはない無罪判決なんかも出ているところを見れば、そういう意味でいえば、裁判員裁判は私が当初から申しております国民の司法参加、市民感覚を裁判に反映することによって誤判や冤罪を防止するという観点からいうと前進部分はあったかなと、また大きかったかなというふうには思います。
逆に、じゃ、当初思っていたのがそのとおりになったというのと悪い面があったかといいますと、これは私自身は体験しておりませんけれども、やはり裁判所によっては、合議体によっては非常に、先ほどの話にもありますけれども、主張や証拠を絞ると。今はもうないと思いますけれども、一時期は法廷でストップウオッチを持って弁護人が話すのを計っていたと。一分ちょっとオーバーしたとかいうような注意をしたという裁判所もあって、ちょっと新聞等で騒がれたことがありますけれども。審理計画を最初に決めておくばかりに、それにとらわれて、するべき、また、しておかしくないような主張や立証について尽くさないというようなのも散見されました。今後は是非なくなってほしいと思いますけれども、その点についてはまだ十分注意するべきかなと思っています。
最後に一つあるとすれば、私自身は国民の司法参加は必要だというふうに思っておるのです。裁判員裁判が一定の重大事件のみに限っているというのは、私はこれは何とかならないものかなと、繰り返しますが思っております。非常に被告人が争って有罪、無罪が注目されるという事件は、実は現在の裁判員裁判の対象事件以外にもたくさんございます。
いろんな審議会の例でも出てきますけれども、痴漢事件とか、私はやっておりませんけれども、私の友人の弁護人が何人もやっておりまして、かなり労力と時間を使って、いろんな方法を取って無罪を獲得したり、又は有罪になったりもしておりますけれども、言ってみれば裁判と格闘しているというような状況があります。こういうのをむしろ、それこそ通勤電車の中で、満員電車の中で、いつも乗る人たちを含めた一般市民の感覚で裁いた方が私はいいのではないかなというふうに思っています。その意味でも、否認事件で争っている事件については対象を広げていっても私はいいのではないか。
また、先ほど小木曽参考人もおっしゃいましたけれども、国民もこの裁判員裁判の意義というのをやはり自覚して、客体、要するに教え導かれる客体ではなくて自分たちが参加する、民主主義の言ってみれば基礎ですよね、そういうことの自覚をしていく、また、いけるのであれば私はそれを拡大する方向で考えていってもいいのではないかというふうに思っております。
以上です。