根本匠の発言 (憲法審査会)
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○根本(匠)委員 今から七十年前の昭和二十一年、日本国憲法が公布されました。
この憲法は、まず、昭和二十七年のサンフランシスコ講和条約発効よりも前、すなわち我が国に主権が存しない時期に制定されたものであること、内容も、マッカーサー三原則とGHQ草案が示され、それを翻訳したものがほぼもとになっていることは事実であります。これらの史実をもとに、押しつけ憲法だから改正すべきだとする意見があります。
他方、現憲法は、GHQ草案をもとにしつつも、我が国で起草し、議会の審議、承認を経て制定されたこと、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則は国民に深く根つき定着していることもまた事実です。
重要なのは、押しつけ憲法だから改正すべきであるとか、一言一句改正すべきではないという安易な二元論ではありません。憲法が制定された七十年前と現在では我が国が置かれた状況は異なることを踏まえ、今日における憲法のあり方をしっかり考えることではないでしょうか。
ここで、先人の言葉を紹介させていただきます。
サンフランシスコ講和条約の発効により我が国が主権を回復したのが昭和二十七年。その後、昭和三十一年、当時の鳩山一郎総理は、「わが国が真の自主独立を達成するためには、占領中に制定されました各種の法令や制度を、わが国情に即したものに改める必要がある」とおっしゃいました。
また、昭和三十二年には、当時の岸信介総理が、「この憲法制定の由来及び制定された事情等から見まして、われわれがわれわれの憲法を一つ検討して自主的な憲法を作ろうという考えがある」「民主主義や、あるいは平和主義、あるいは基本的人権を擁護するところの人権尊重の主義等の大きなこの柱は動かすべきものではない」「いかにしてわれわれが民主主義を徹底し、また平和主義によって日本の安全保障を確保するか、あるいは基本的人権を擁護して行くかという問題について、われわれみずからが、民族みずからが考えて、民族みずからがこれを憲法として作り上げる」とおっしゃいました。
私は、このような先人の言葉を重く受けとめ、三原則のような大きな柱は維持しつつも、今日の国情に即した憲法を目指す議論をしていきたいと思います。
現憲法に今日的な視点を取り入れるに当たり、私から次のような切り口を提示したいと思います。
まず、立法技術の観点。
例えば第二十一条は、集会、結社、言論の自由及び通信の秘密をまとめて規定しております。一方で、国際人権規約のように、これらを独立して個別に規定を設ける考え方もあろうかと思います。
次に、条文上明らかではないため、解釈で補っている事項があります。
例えば、憲法八十九条と私学助成金の関係。今は解釈で広く認められ、実施されている事項について、憲法に明記する改正も考えられます。これは、実態を変えるのではなく、実態に憲法を合わせるという切り口。一方で、現在議論されている参議院の合区解消のように、現状を変えるために憲法改正を行うという切り口もある。
別の論点として、現憲法の前文を現代の私たちの言葉を使って整理することも考えられると思います。
前文は、アメリカ合衆国憲法等の原典をもとに、ハッシー中佐が原案を作成され、それを翻訳し、ほぼ修正なく国会の議決を経たものです。憲法のエッセンスであり国民に定着している国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の三原則は維持しつつ、より国民になじみ深く、より我が国らしさを追求すべく、今の私たちの言葉を使って整理し直すことも一考に値すると思います。
さらに、憲法全体に目を向ければ、日本の憲法は他国と比べて分量が少なく、次の二つの特徴が見出せます。一つは、非常事態条項や政党条項など、統治に必要な規範を憲法として定めておらず、権力統制力が弱いという特徴。もう一つは、政治改革や司法制度改革を憲法改正せずに実現できるなど、憲法解釈や法律が大きな役割を果たしており、憲法の規律密度が低いという特徴です。
両者は密接に関連しており、規律密度を高めると権力統制力が強まることになります。規定をどの程度つまびらかにし、どの程度権力への統制力をもたらすべきかという点も議論すべきだと思います。
最後に、我が国が憲法を制定してからの七十年間で、他国は幾度となく憲法を改正し、問題が生じたとき、憲法改正という手段も交えて対応してきた事実も指摘したいと思います。今後我が国が直面する課題に、これまでのように憲法解釈や法律の改廃で対応することに限界はないかという視点も取り入れてはいかがでしょうか。
私たちは、戦後七十年の憲法史において、新たな一歩を踏み出すのかどうかという岐路に立っています。その重みを十分に理解しつつも、本当に必要ならば、どれだけの時間をかけても一歩目を踏み出すのだという熱意を持って議論を進めていくべきことを申し上げ、私の発言を終わります。