上川陽子の発言 (憲法審査会)
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○上川委員 おはようございます。自由民主党の上川陽子です。
今回、立憲主義、憲法改正の限界、違憲立法審査の在り方についてをテーマに、会派を代表して意見表明の機会をいただき、大変光栄に存じます。
立憲主義は、憲法による政治と言われます。その字義どおり解釈すれば、憲法によって国家権力の行使に何らかの制限を加えることを意味すると考えられます。このような意味での立憲主義は、近代市民革命以前から存在したものではありますが、国家、公に対して、個人、私の存在を積極的に評価する観念のもとに成立したものではなく、むしろ、個人の幸福は国家の幸福の中においてこそ存在するとの考え方を基盤とするものであったということができます。
このような立憲主義の考え方は、十八世紀の近代市民革命を経て、私、すなわち個人の存在を積極的に評価するものとして再構築されました。個人個人が人間らしい平和的な社会生活を送ることができるように、価値観が多様であることを認めるとともに、互いの価値観を尊重して生きていくことができる社会を目指し、そのような社会の実現のためには、単に憲法によって権力行使に制限を加えるというだけでは足りず、権力分立により基本的人権を保障するという構造を憲法に規定することが主張されました。我が日本国憲法も、このような近代立憲主義的な考え方を重要な要素として構成されていることは言うまでもありません。
このような近代立憲主義の考え方は、近代市民革命の当時から、さらに大きな変容を遂げてきました。すなわち、行き過ぎた自由主義による貧富の差の拡大を背景として、人間、特に社会的、経済的弱者の自由と生存を確保するために、国家が市民社会の領域に一定限度まで介入するという社会権の考え方が取り入れられるなど、人の支配ではない、法の支配の実現による人権保障が追求されています。また、憲法的正義を実現するため、裁判所に違憲立法審査権が付与されるなど、時代や国家観の変化に対応した変容も認められるところです。
自由民主党は、このような近代立憲主義に基づき、多様な価値観をよりどころとして、個人個人が人間らしく生きていくことができる社会を構築するために一貫して努力してきたものであり、今後もその努力を続けてまいります。
ここで目標とされる社会は、個人個人が自分がよって立つ価値観、アイデンティティーを唯一絶対の正しいものと位置づけることなく、相手の価値観を尊重して生きていくことが当然の前提となっている社会のことです。我が国において、個人個人のよりどころとなっている価値観は、個人が生まれながらに有しているものではなく、社会における共同体の中で育まれ、成長していく過程で培われていくものなのです。
憲法論議に際しても、我が国の歴史的、文化的背景のもと、個人個人が共同体の中で他者とのつながりを大切にし、他者への寛容の精神を持ち、生き生きと人間らしく生活してきたという事実にも目を向ける必要があるのではないでしょうか。日本国民は、数ある選択肢の中で、このような社会のあり方、そしてそのような社会を守るための国の形を選び取ってきました。今後予想される大きな環境変化を受けて、あるべき国の形を絶えず模索しながら、そのよりどころとなる憲法について議論を進めることが重要と考えます。
ところで、さきに述べましたように、立憲主義という概念自体、現代的変容を遂げて日々進化しています。
我々憲法審査会においては、憲法と社会の実際との間にずれが生じているとされるさまざまな論点について、さまざまな角度から議論を深めていく必要があります。その際、立憲主義に反するといった抽象的な言葉のみで豊かな憲法論議が閉ざされることがあってはなりません。
議論に際しては、立憲主義の究極の目的が個人の権利、自由の保障にあることを十分に認識し、さらに、立憲主義の概念自体が、社会的、経済的弱者保護のための社会権の考え方が取り入れられるなど変容していること、さらに、諸外国には、立憲主義を具体化する規定に加え、国家の歴史的、文化的背景を前提とした規定を設けている立法例があることも無視すべきではないと考えます。
例えば、近代立憲主義の母国であるフランスは、共和国の標語は自由、平等、博愛である、共和国の原理は人民の人民による人民のための政治であるなどと規定しています。これらの規定は、必ずしも国家権力を縛るものではありませんが、フランス国民が打ち立てた建国の理念を高らかにうたい、単なる過半数、時の権力によって容易に変更できないようにしたものと理解されているものです。
ところで、国の形は、憲法典と憲法附属法規や一連の基本法などの総体から成る生きた憲法、リビングコンスティチューションとして具体的なものとしてあらわれます。
我が国は、条文の抽象度が高いとともに条文数が少ないという日本国憲法の特色を生かしながら、憲法典そのものの改正ではなく、法改正などを通じて時代の変化に向き合う努力を続けてきました。しかしながら、制定以来七十年を経て、その特色であった、条文の抽象度が高いとともに条文数が少ないという点につき、規律密度が低く、権力を統制する力が弱いのではないかといった指摘があります。
規律密度が低いと指摘されている分野としては、例えば、憲法第八章において、地方自治体の組織及び運営に関する事項を全て法律に委任している点などがあります。
このように、規律密度が低いと指摘されている分野について、国民の権利、自由の保障を究極の目的とする立憲主義の観点から、憲法改正の要否も含め、それを補うのであればどうしたらよいかという発想で、今後、憲法審査会において議論をしていくべきと考えます。
次に、現代における立憲主義の重要な要素である違憲立法審査のあり方について申し述べます。
かつて、人権は議会が制定する法律によって保障されると考えられていましたが、現代においては、人権は法律からも保障されなければならないと考えられるようになってきました。
その典型例が、裁判所による違憲立法審査権の行使です。かかる違憲立法審査権に関しては、裁判所による違憲立法審査が機能不全に陥っているといった指摘や、終審裁判所として違憲立法審査権を行使する最高裁判事の任命手続に対する民主的統制が諸外国に比べて弱いといった指摘がなされています。
違憲立法審査権の問題については、裁判所に違憲立法審査権が委ねられた趣旨や、三権分立の理念のもとで、政治的権力から独立し、個別具体的な事件の解決を通じて国民の人権保障を図っている司法の役割等を踏まえた慎重な議論が必要であると考えます。
最後に、憲法改正の限界に触れつつ、冒頭発言の結びとしたいと思います。
先ほど、日本国民は数ある選択肢の中から国の形を選び取ってきたことを申し述べました。この国の形が端的にあらわれている日本国憲法の基本原理、すなわち、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の変更は、憲法改正の限界を超えるものであると考えます。
この憲法審査会においても、あくまでも日本国憲法の基本原理を堅持するとの共通の認識の上で、憲法が我が国の民主主義国家、平和主義国家としての礎を築く上で果たしてきた役割をしっかりと踏まえ、国民目線で建設的な憲法改正論議を進めていくことが肝要であることを訴え、意見表明といたします。
以上です。