斉藤鉄夫の発言 (憲法審査会)
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○斉藤(鉄)委員 おはようございます。公明党の斉藤鉄夫です。
本日は、立憲主義、憲法改正の限界及び違憲立法審査のあり方の三点について、私の考えを申し述べさせていただきます。
まず第一に、立憲主義についてです。
立憲主義とは、主権者たる国民が、その意思に基づき、憲法において国家権力の行使のあり方について定め、これにより国民の基本的人権を保障するという、近代憲法の基本となる考え方と理解しております。
別の言い方をすれば、国民の基本的人権の保障のため、主権者である国民が権力を名宛て人として権力の行使の原則を定めたのが憲法であるということです。
日本国憲法は、人間の尊厳に価値の根源を置き、全ての人が生まれながらに有する基本的人権を保障すると規定しています。基本的人権を保障するその目的のため、国民主権のもと、権力分立を定め、権力の濫用から国民の自由、人権を守る統治機構を規定しております。さらに、最大の人権侵害ともいうべき戦争を放棄し、国民を守る平和主義を宣言しております。
すなわち、まず基本的人権の尊重があり、それから国民主権、恒久平和主義という原理が導き出されます。この三つが日本国憲法の三原則となります。
このように、日本国憲法は権力から国民の人権を保障しようとする立憲主義憲法であって、三原則は立憲主義と不可分の一体のものというべきであります。立憲主義は、これからも日本国憲法の本質として維持していかなければなりません。
さて、立憲主義の根幹である国民の基本的人権の保障の基本的人権の意味について考えてみたいと思います。
基本的人権の中身は、人類史の中で歴史的な議論、闘争の積み重ねがあり、変容してきました。すなわち、フランス人権宣言に見られる権力の分立によって権力を制限するという権力からの自由という考え方を基礎にして、時代の変遷の中で、生存権や社会保障など社会権を保障する権力による自由、また普通選挙など参政権の拡大を実現する力となった権力への自由なども含まれるようになってきました。自由、基本的人権の意味が時代とともに豊かになってきた、拡大されてきたわけです。
今、我々は、第四の産業革命、地球環境問題、グローバリズムと反グローバリズムの対立などと称される激動の世界の中にいます。その大きな変化の中にあって、憲法が保障すべき基本的人権の中身についても、常に、どうあらねばならないのか、拡充していかなければならないのではないかを考え続ける必要があると思います。
例えば、さきに挙げた地球環境問題です。
十数億年にわたる地球上の生命と時間と環境がつくった高分子、化石燃料を、我々人類はたった数百年で使い果たそうとしています。そして、それは人類生存の根幹を脅かす地球環境問題として我々の前に立ちはだかっています。
そして、この環境の中で、健康で豊かに生きていきたいという基本的人権は、今を生きる我々だけでなく、将来を生きる我々の子孫のものでもあります。今を生きる我々は、将来を生きる人たちによりよい環境を残していかなければならないし、それが将来の世代の基本的人権の基礎となります。立憲主義を考えるとき、これら新しい基本的人権の保障についても考える必要があるのではないかと考えます。
以上、論じてきたように、立憲主義とは国民の基本的人権を保障するための憲法であるということですが、憲法にはもう一つ大きな役割があると思います。それは、国家の理念、別な言葉で言えば、こういう国を皆でつくっていこうという目標を掲げることです。もちろん、国民的議論を十分行って、大部分の国民が納得するものでなくてはならないのは当然です。例えば、国際協調主義のもとの平和国家、文化国家を目指すとか、地球環境の保全のため世界のリーダーになるなどです。世界の平和と文化、そして環境のため日本が貢献したいという意思を明確にするのも、憲法の役割であっていいと考えます。
次に、憲法改正の限界について述べます。
憲法第九十六条に憲法改正の手続が定められていることから、改正そのものは否定されていないが、憲法の最高法規性を定めた第九十七条に、「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、」中略しまして「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」とあり、基本的人権の保障については変えてはならないと明確に宣言されていると考えます。
また、憲法が改正されたとして、その新憲法と現行憲法との同一性、一体性が疑われるような改正は限界を超えていると考えるのが自然ではないかと考えます。その同一性、一体性とは、日本国憲法の場合、基本的人権の尊重、そしてそこから導き出される国民主権と恒久平和主義の三原則が貫かれているかどうかだと思います。この三原則の原理を損なうような変更は、憲法改正の限界を超えたものと公明党は考えています。
最後に、違憲立法審査について述べます。
違憲立法審査について、我が党の議論として、司法消極主義、司法積極主義、両方の意見があるというのが正直なところであります。ただ、具体的な事件から離れて抽象的審査を行うことになる憲法裁判所の設置は、実質的に裁判所の政治化を招くのではないか、ひいては社会の混乱と分断を助長するのではないかとの懸念の声が多くありました。現在の個別具体的な案件について個別に違憲審査を行う制度が妥当ではないかと私は考えます。
その上で、裁判所が憲法判断に消極的過ぎるのではないかとの批判も他方であります。例えば、裁判所に憲法部を設置する案や、最高裁と高等裁判所の間に特別高等裁判所を設けて最高裁の違憲審査機能と上告審機能を切り離すなどの改革案が提案されております。裁判官やそのスタッフの増員が必要ですが、検討に値すると考えます。
以上、立憲主義、憲法改正の限界及び違憲立法審査のあり方の三点について申し述べさせていただきました。
最後に、今後の衆議院憲法審査会での論議について、時の政局から一歩離れて、冷静に議論を積み重ねることが大切だと申し述べさせていただき、私の本日の意見表明といたします。