照屋寛徳の発言 (憲法審査会)
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○照屋委員 社会民主党の照屋寛徳です。
限られた時間で、本日のテーマについて意見を述べます。
最近、決められない政治から決められる政治への転換をとの声がよく聞かれます。私は、衆参両議院ともに、いわゆる改憲勢力が三分の二以上の議席を占め、巨大与党のもと、一強多弱とやゆされる国政の状況にあって、安倍内閣は、決められる政治から反立憲の決めてはいけない政治へと暴走し続けていると思います。その典型的なものが、安倍総理と自民党日本国憲法改正草案の理念に見られる立憲主義の無視であり、改憲という名の憲法破壊であります。
二〇一四年四月に、憲法学者、政治経済学者らによって設立された立憲デモクラシーの会は、その設立趣旨書において、一時の民意に支持された為政者が暴走し、個人の尊厳や自由をないがしろにすることのないようにするよう、さまざまな歯どめを組み込んでいるのが立憲デモクラシーである、それは、民衆の支持の名のもとで独裁や圧制が行われたという失敗の経験を経て人間が獲得した政治の基本原理であるとうたっております。まさにそのとおりです。選挙で多数を占め、巨大与党を形成しているからとおごり高ぶり、憲法が定める三権分立を無視して行政権独裁と化し、人間が獲得した正義の基本原理である立憲主義を破壊してはなりません。
立憲主義とは、憲法によって権力を制限し、憲法を権力者に遵守させる、国家の統治を憲法に基づき行うという原理です。安倍総理が、二〇一四年二月三日の衆議院予算委員会において、憲法は国家権力を縛るものだという考え方は、かつて王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方である、今の時代には絶対的なものではないとの持論を展開しております。その底流には、憲法は国家権力を縛るものではなく国民を縛るものであり、国民に義務を課すものであるとの自民党日本国憲法改正草案の理念と思想があります。
太陽王とも呼ばれたフランス国王ルイ十四世には、朕は国家なりという有名な言葉がありますが、安倍総理は、朕は憲法なりと考えているのではと批判せざるを得ません。その言動に、立憲主義の危機と国家の危機を強く感じます。
次に、憲法改正の限界について論述します。
衆参両議院でいわゆる改憲勢力が三分の二以上の議席を占めているのだから、憲法第九十六条が定める改正手続に従えば、いかなる内容の改正も許されるのでしょうか。断じて否であります。
確かに、憲法に定めた手続による限り、その内容については制約を課すことはできないとする無限界説もあります。しかし、私は、国民主権、基本的人権尊重、平和主義という日本国憲法の三大原則や、憲法第九条の改正、憲法の同一性を損ねる改正などは許されないとする限界説こそが正しいと考えます。
日本国憲法は硬性憲法と呼ばれます。実際、憲法公布から七十年たって、一度も改正されておりません。一方、ドイツ基本法は五十九回改正されましたが、同基本法第七十九条第三項で、人間の尊厳の不可侵、民主制、法治国家、連邦制などの憲法原則については改正の対象にならないと定めています。フランスも、現在の第五共和国憲法第八十九条第五項で、共和政体は改正の対象とすることはできないと定めています。
このような理念に基づく憲法改正の限界説に立脚すると、自民党日本国憲法改正草案に見るような憲法前文の全面的書きかえ、憲法九条第一項の改正及び第二項を削除した上での新条項による国防軍創設、審判所という名の軍法会議の設置のための改正などは認められません。また、憲法第十三条の個人の尊重から抽象的な人の尊重への変更、公共の福祉から公益及び公の秩序の概念による人権制限などは、憲法改正の限界を超えた憲法破壊、憲法クーデターそのものであります。
立憲主義と憲法改正の限界とも絡む論点として、自民党日本国憲法改正草案が、基本的人権の根本、本質を無視、憲法第九十七条を全面的に削除した点に論及しなければなりません。
結論を先に言うと、憲法第九十七条の全面削除は、立憲主義の破壊であり日本国憲法の三大原則の破壊であって、憲法改正の限界を超えるものであります。しかも、自民党日本国憲法改正草案には、国防義務、領土・資源保全義務、家族助け合い義務、緊急事態指示服従義務、憲法尊重義務などを国民に課しており、到底承服できません。
最後に、違憲立法審査のあり方について述べます。
憲法第八十一条が裁判所による付随的違憲審査制であるとの通説、判例は理解します。一方で、三権分立が三権一体と化しているのが現実であり、統治行為論や第三者行為論の採用などによって、国民の権利救済を忘れた違憲審査のあり方、時の政治におもねる安易な司法判断の回避には大いに問題ありと批判し、最高裁判所は憲法の番人であることを忘れてはならないと申し上げ、意見表明を終わります。