奥野総一郎の発言 (憲法審査会)
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○奥野(総)委員 民進党の奥野総一郎でございます。
憲法改正の限界について、やはりきっちり議論の土俵として議論しておくべきだと思います。
先ほど来、中谷筆頭幹事は、憲法の三大原則を自民党の日本国憲法改正草案は守っている、逸脱しておられない、こういうことをおっしゃっていました。
一つお尋ねしたいのは、逐条で一条一条全てが日本国憲法の三大原則を逸脱していないとはっきり言えるのかということをまず伺いたい。
そして、その上で、ちょっと私が気になるのは、一例ですが、先ほどお話がありましたけれども、二十一条、表現の自由の問題ですね。
日本国憲法改正草案では、二十一条、表現の自由に新しく第二項を設けて制約を加えています。言うまでもなく、第一項は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。」こう書いてあるんですが、二項で、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。」という形で制約を設けています。
日本国憲法は、ダブルスタンダード、いわゆる経済的自由、基本的人権の経済的自由については公共の福祉による制約を認めています。二十二条と二十九条ですね。そして、それ以外の、心の自由、精神的自由については個別の規定には制約を設けないという、十三条で一般的な公共の福祉の制限はありますが、設けないということになっています。
これは、いわゆるアメリカで出てきたダブルスタンダード理論ということで、精神の自由は尊重していこう、規制しない、厳しい判断をしていこう、これが憲法に反映されているものであります。これはまさに日本国憲法の基本原理中の原理だと思うんですね。これに修正を加えるということは、私は、日本国憲法の改正限界、これを超えていると思います。
これは世界の常識でして、フランスは確かに、第五共和制ですから、何回も憲法が変わっているんですが、人権宣言はそのまま現在も生きていますよね。ドイツも、基本法の中で改正しちゃいかぬ事項ときちっと入っているわけです。ですから、やはりそういった常識を踏まえながら、こういった精神の自由については制限を加えないということをしっかり守るべきではないかと思います。
私はずっと総務委員会の方で報道の問題も取り上げてきたんですが、この表現の自由というのは報道の自由にもつながってくる重要な規定であります。言論の自由、報道の自由というのはやはり民主主義の基礎ですよね。それをもとに国民は意見を闘わせて世論を形成していく、その世論に基づいて投票が行われているということですから、こういう条文、二十一条の表現の自由に制限を加えるということは、民主主義の基盤を崩す、改正の限界を超えていると重ねて言いますが、重要な問題だと思います。
重ねて尋ねますが、この二十一条は改正の限界を超えているのかいないのかということを明確にお答えいただきたいと思います。それから、もう少し言えば、この二十一条をもとに、報道の自由への制限が認められるのか、報道の自由について制限される場合があるとお考えかということもお答えいただきたいというふうに思います。
以上が、表現の自由についてです。
それから、違憲立法審査権、憲法裁判所について、抽象的違憲立法審査権の話が出ています。これは憲法判断を明確にすべしということで一考に値すると私も思いますが、ただし、NHKの状態を見ていると、きちんと人事を、任命を中立にしていかないと、むしろ政府の判断にお墨つきを与える、合憲判決ばかり出すようなそういう裁判所になりかねない、そこに注意をして議論を進めるべきだと思います。
以上、二点申し述べさせていただきます。