斉藤鉄夫の発言 (憲法審査会)

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○斉藤(鉄)委員 公明党の斉藤鉄夫です。
 日本国憲法は、個人の尊厳に価値の根源を置き、全ての人が生まれながらに有する基本的人権を保障すると規定しています。この基本的人権の尊重は現行憲法の主柱であり、その骨格は今後も変わるものではないと考えますが、時代の進展とともに、いわゆる新しい人権と呼ばれる考え方が問われるようになりました。現行憲法にこの新しい考え方、新しい人権を書き加えることについての見解を申し述べます。
 現行憲法の人権規定は、十三条の個人の尊厳、幸福追求権や、二十五条の生存権など、懐の深いものであって、いわゆる新しい人権については、十三条や二十五条などの条文の解釈によって導き出されるものであると一般に考えられてきました。また、新しい人権を憲法上の権利として承認できるかどうかは、特定の行為が個人の人格的生存に不可欠であるばかりでなく、その行為を社会が認め、他の基本的人権を侵害するおそれがないかなど慎重に判断すべきであり、権利のインフレを招くべきでない、また、それらは立法においてなすべきだという意見です。
 他方、憲法制定当時には想定されていなかった権利がその後認められるようになったこと、その憲法への明記が国民の人権の保障に有益であること、憲法への明記が立法や裁判の基準となること、また、いかに憲法が抽象度の高い規範であるとしても全ての新しい人権が十三条の幸福追求権等によって保障されるわけではないこと等を理由として、新しい人権を加えるべきという意見も多くございます。
 時代の変化は極めて激しいものがあり、迫られる課題も多いわけですけれども、二十一世紀の日本をいかに築くかという未来志向の憲法議論に立った場合、むしろ、憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、時代の変化に対応した積極的な立法措置を可能にすることが望ましいのではないかと考えております。
 個別の論点について、四つほど申し述べたいと思います。
 まず、環境権です。
 環境権とは、国民が良好な環境を享受する権利であり、国家及び国民には環境保全に努める責務があるといった趣旨の権利、責務であります。一九七〇年代、それまでの独裁的色彩の濃い体制から民主制へ移行した際、新しくつくられたギリシャやスペイン、ポルトガル等の憲法に規定されております。また、憲法改正によって環境条項が規定された例として、一九九四年のドイツ基本法における二十a条の追加や、二〇〇四年のフランス憲法前文における環境憲章への言及があります。この環境憲章とは、前文への言及と同時に制定し、憲法と同一の効力を持つものであります。
 我が党の議論では、環境権は、憲法十三条の幸福追求権の解釈や環境基本法などの立法措置によって十分実現し得るという意見があります。その一方で、かつての人間中心主義ではない、地球環境、自然生態系の中の一部としての人という全く新しい視点や、地球温暖化という生存の根本にかかわる問題が提起される中で、一つの大きな基本的人権として憲法に明記すべきという強い意見があります。
 衆議院の憲法審査会の平成二十六年の海外調査では、この環境権条項を憲法に持つヨーロッパのギリシャ、スペイン、ポルトガルの三カ国を訪問し、専門家、議員、行政官らからお話を伺いました。その代表的な意見の一つが、リスボン大学法学部ゴメス助教授の次の言葉かと思います。引用です。
 私の個人的な意見として申し上げる。先ほど、ポルトガル憲法では権利と義務が両方規定されているという話をしたが、個人的には権利を規定したのは間違いであると思う。権利を主張すれば個人主義に走る場合もあるし、権利ばかりになってしまってもいけない。憲法に環境問題について何か書くとすれば、義務だけでよいのではないか。
 私の個人的なアドバイスとしては、憲法に環境問題に関する文言を入れるのであれば、欧州基本権憲章のような簡潔な文言で、国家の義務、市民の義務、さまざまな機関の義務、そして環境を保護して将来にこれをつなげる、将来の我々の子孫につなげるという内容を盛り込むのがよいのではないか。余り細かく書くとまた問題が起こるので、シンボリックなものとして簡潔に入れるのがよいと考える。
 以上、引用終わりです。
 この議員団調査報告書は、党内では驚きを持って読まれました。しかし、これで我が党の中の環境権の議論が下火になったということではありません。例えば、諸外国憲法の規定に多く見られるような、国の環境保全の責務を明記することや、地球環境問題について前文で規定する可能性なども含め、党内の議論はまだ続いているというのが現状です。
 二つ目に、科学技術の進歩と生命倫理、学問の自由の問題です。
 再生医療、生殖医療においては、人として成長する可能性のある受精卵が研究に使われてきました。この受精卵は、いわゆるクローン禁止法では「生命の萌芽」と表現されています。iPS細胞の登場によってその数は少なくなっているとはいえ、将来にどのような研究分野が登場するかわからない状況の中で、研究の世界の自主的ガイドラインに任せておくだけでよいのかという生命倫理の問題があります。
 また、遺伝子操作技術、AI技術の発展と結合を考えれば、学問の自由という基本的人権について生命倫理的な観点からの制約も議論すべきではないかという問題提起もあります。
 なお、衆議院憲法調査会においては、ドイツ基本法には人間の尊厳規定があり、フランス憲法には明文の規定はないものの人間の尊厳の理念が見出されている中で、我が国においても、個人の尊厳の上位概念として人間の尊厳や生命の尊厳の理念を憲法に明記すべきではないかといった議論も行われてきました。
 我が党では、こうした議論の蓄積も踏まえ、生命倫理の問題について、加憲の一項目として議論をしているところです。
 三つ目に、情報化が進展したネット社会における表現の自由や知る権利とプライバシー権、忘れられる権利の問題の存在です。
 インターネット検索サイトで表示される逮捕歴を削除することの是非が争われた裁判で、一月三十一日、最高裁は削除を認めない決定をしました。削除ができるのは、事実を公表されないことによるプライバシー保護の利益が、検索事業者の表現の自由を明らかに優越する場合に限るとしたものです。
 今回の判決では、忘れられる権利そのものへの言及はありませんでしたが、いわば忘れられる権利よりも知る権利に重きを置いた判断と言えるでしょう。忘れられる権利を平穏に生きる権利と表現する人もいます。欧州では、削除権、忘れられる権利がEUの個人情報保護強化規則に明記されているそうです。
 一方で、最高裁は三月十五日、令状なしのGPS捜査を違法とするプライバシー重視の判断をしました。
 これからさらにネット情報化社会が進んでいく中で、プライバシー権、忘れられる権利も憲法で規定されるべきではないかという議論も、今後あり得るのではないかと考えています。
 四つ目に、高等教育無償化についてです。
 高等教育の無償化は決して否定されるべきものとは考えませんが、それには莫大な財源が必要です。財源の裏づけがなければ、目標を示すような規定しか置けません。
 大学や大学院に進学したいのに、経済的な事情で断念するようなことがあってはなりませんが、大学や大学院に行かない進路を選ぶ若者も多く存在する中で、一律的な無償化が必要なのか、それとも奨学金制度の拡充が望ましいのか、一般的に、高等教育の無償化が適切かどうかは慎重な議論が必要と考えます。
 以上、いわゆる新しい人権について、環境権、生命の尊厳と学問の自由、プライバシー権、そして高等教育無償化について述べました。
 冒頭にも触れましたが、いわゆる新しい人権について、憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、時代の変化に対応した積極的な立法措置を可能にすることが望ましいのではないかと再度申し上げ、意見陳述といたします。

発言情報

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発言者: 斉藤鉄夫

speaker_id: 16806

日付: 2017-05-25

院: 衆議院

会議名: 憲法審査会