麻生太郎の発言 (財務金融委員会)
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○麻生国務大臣 日本とアメリカのこの種の経済交渉の歴史というのは、ニクソン・佐藤会談から起きた例のいとへんというか繊維交渉と言われたものが多分、一九六〇年代ですけれども、これが最初だったと思うんですが、それ以後、鉄鋼、鉄の交渉やら自動車の交渉やら、関税障壁だ非関税障壁だ何だかんだ、ありとあらゆる話が出て、全部、向こうから出たのをこっちが受けてどうするという歴史がずっと続いていたんだと思っております。最後に、経済産業政策までいろいろ問題なんだと言われて、通産省が産業政策を手放して、一九八〇年代、それでももたなくて、ついに、八五年度のプラザ・アグリーメントでいきなり二百四十円がどんと、一年間で百二十円まで円高になっていったというあの歴史なんです。
そういうのに対して、今度は明らかに日本の方から、今後の日米というものを考えたときに、あらかじめ日米でどういったようなことをやるかということをよく詰めようやというので、エコノミックダイアログといって、経済対話という話にして、こちらから向こうに話を持ち込んでおります。
したがって、各省みんな関係してきますから、うちの方は副総理を出すからそっちも副大統領で対処してくれと言ってうちは振り込んで、当然、向こうとしてみればUSTRがあるとかなんとかかんとかいろいろ言ったんですけれども、いやいや、それは格が違う、うちは副総理なんだ、そっちは副大統領だと言って、向こうがそれはおりて乗ってきたんですけれども。
最初にペンスという人がこれを受けるかどうかわからなかったものですから、午前中の会議でペンスさんと会ったときにこの話をしたときに、私は、先ほど申し上げましたように、俺は大変光栄だけれども経験がないということを言ったので、いや、経験がないといったって、みんな周りのスタッフがいるだろうがと言ったんだけれども、今はあそこはスタッフは三千人からの人がいなくなっちゃっていますから、今からずっと詰めていくまでに時間がかかると思います。いずれにしても、そういった、時間をかけてやっていくんだと思いますが、きちんとした対話をやれるようになるまでの間、こっちと事前にいろいろ交渉はやっていくんだと思います。
いずれにしても、真面目にこういったものに取り組もうという姿勢だけははっきりしていましたので、指名が終わった後も、こっちに来てからよろしく頼むという話を向こうがしていましたから、そういった意味では、一緒にやろうという話をしておるので、何か四月に、何とか会合で日本に表彰されたので、それは副大統領になる前の話らしくて、この何月か、春か何かに日本に何とかの表彰を受けに来るというから、ぜひ来いという話はしてありますけれども、ちょっと今から、まだまだ、とてもそのときまでにスタッフなんかそろっているはずがありませんから、第一回目としても、そこはそんなに詰めた話ができるとは思いませんけれども、まずはそれが最初になるかなという感じはいたしております。