赤羽一嘉の発言 (東日本大震災復興特別委員会)
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○赤羽委員 公明党の赤羽一嘉でございます。
まず、今村復興大臣におかれましては、連日、福島復興の陣頭指揮に立っていただいております。大変お疲れさまでございます。
きょうは、福島復興再生特別措置法、待望の法案についての審議でございますが、それに入ります前に、委員会冒頭、大臣からも謝罪がございましたが、先日の記者会見について、私自身が原子力災害現地対策本部長として一年九カ月間務めていたことをもとに、ちょっと思うことを一、二点確認したいと思います。
私は、平成二十三年三・一一の東日本大震災、また東京電力福島第一原発の事故発災のときには、残念ながら浪人をしておりました。私は在野におりましたが、二十二年前の阪神・淡路大震災で私自身も住む家を失った経験をし、以来一貫して、防災政策こそ我が政治家としての使命だという思いで闘ってきた。そういう私にとりましては、単身、現地に何回か、福島また東北地方にも乗り込みましたが、当時、未曽有の大津波、また原子力災害という未曽有の災害であったにせよ、余りの混乱と余りの復旧復興の遅さに大変悔しい思いをしていたことを、記憶を鮮明にしております。
そして、二十四年の十二月の選挙で復活をさせていただきまして、十二月二十七日、安倍総理から、経済産業副大臣兼原子力災害現地対策本部長の任命を受けたわけでございます。
私は、阪神・淡路大震災のときに、みずから被災者という立場で、当時の村山政権と被災地の余りの温度差に本当に悔しい思いをしました。やはり現場に行かなければ何もわからないという思いで、十二月二十七日、任命と同時に、一日も早く福島の現地に入らなければいけないという思いがございました。しかし、残念ながら、事務方も、年末年始だと迷惑がかかるというような話があって、なかなか日程が組めませんでしたが、あえて一月二日から、飯舘村と、また南相馬の市役所に足を運び、一月十七日の阪神・淡路大震災のその日まで、被災十二自治体は全て訪問させていただきました。
以降、一年九カ月間、原子力災害現地対策本部長を一人で務めたわけでございますが、できるだけ足しげく現地に入って仕事をしようということを心がけてやってまいりました。
私にとりましては、原子力災害現地対策本部長というのは、被災地また被災者のために仕事をする、そのためだということで意気込んで現地に入ったわけでございますが、被災地での反応はかなり冷たいものであって、どうせまたこれまでどおり一カ月か二カ月でかわるんだろう、またすぐ東京に戻ってしまうんだろうと、大変冷ややかなものでありましたし、冷ややか以上に、いろいろなことが、さも敵対関係であるかのように、頭ごなしに、けんか腰に、いろいろな物言いをされました。
本当に、びっくりすると同時に戸惑いの連続であり、また、時には腹も立ちましたけれども、ある日気づいたことは、福島県民の皆さんというのは一〇〇%被害者であって、我々は加害者なんだ、やはり敵対関係そのものなんだということでございまして、以来、任期の一年九カ月間においては、私自身の思いの中で言いたいことがあったとしても、被災者の皆さんに対しては絶対それは抑えなければいけないということを肝に銘じて仕事をしてまいりました。
そうしたことで、本当に足しげく通うことで、はっきり申し上げて前政権下で失ってしまった信頼のきずなを築くことから始めなければ何も福島の復興というものは成り立たないということで、私自身は仕事をしてきたつもりでございます。
その点、復興大臣は私以上に使命と責任が大きいものだと思いますが、このことは共通のことだと思いますので、どうか決して忘れることなく、与えられた使命と責任を全うしていただきたいというのが第一点でございます。
他方、やはり現場におりますと、被災者の皆さんとのリスクコミュニケーションの難しさということが、本当に仕事が大変だったということでございます。
例えば、政府として、当時、避難指示解除の要件というのを三つ決めて、そのうちの放射線の線量は二十ミリシーベルトと決めたんですね。ところが、決めた当人から、被災地とのいろいろなやりとりがあったんだと思いますが、一ミリシーベルトを目指すということになって、以後、私たちが引き継いだときには、一ミリシーベルトにならないと安全は保たれないということが大変強く被災者の皆さんの中に浸透された。このことが結果として復旧復興のおくれの最大の要因の一つになったと私は思っております。
私自身、科学的根拠において、百ミリシーベルト以下であれば医学的な発生の原因とはならないという、これは医学界の常識と思われる発言をした瞬間に、2ちゃんねるで相当たたかれたような経験もいたしました。しかし、こうした科学的根拠を無視したような、風評をあおるようなマスコミ報道があったことも事実でありまして、そのときには、当時の事務方に対して、事実と異なることは事実を報道していただくように徹底的に議論するべきだ、それをしなければ、ふるさとに帰りたいと思っている被災者にとってもマイナスであるし、既にふるさとに帰られている方々にとりましても安心した暮らし、日々を送ることができないんだ、これは大事な取り組みだということも強調しました。
しかしながら、今回の記者会見のやりとりで、恐らく自主避難者に対するテーマがあったと思います。これはいろいろな見方があるわけでありますが、六年たって今なお、避難指示区域でない地域のところ、福島市とか郡山市から、放射能を心配されて県外に自主避難されている方も少なからずいらっしゃるのも、これも現実でございます。こうした方々に対して、国としては安全な環境は整備したのだから、戻るか戻らないかは本人次第だ、こういうような発言は、まさに私は正論だと思いますけれども、その正論がそういう方たちに通るかどうかというのは、また別の話であると。
特に、自主避難者の方の多くは、小さな子供さんの将来を心配されて自主避難をされている若いお母さんたちが多いというふうに承知をしておりますので、そうした人たちの心配というのももっともなことで、私は、いま一度、そうした方たちに対して国が責任を持って丁寧にリスクコミュニケーションをして、事実はこうなんですよ、ああなんですよということを、信頼のきずなを構築しなければ、なかなかこの問題は解決しない。大変根本的な問題だと思います。
そうした点で、連日、大変難しい仕事で、いろいろなやりとりがあると思いますけれども、どうか、忍耐心をと言うと、私は、僣越ですけれども、忍耐心を持って、思いを寄せて、ぜひ自主避難者の問題というのも、これも非常に難しいと思いますが、できることに限りがあることは承知をしておりますけれども、丁寧に取り組むべきだというふうに思いますが、大臣の見解をお聞かせいただきたいと思います。