藤田幸久の発言 (国際経済・外交に関する調査会)
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○藤田幸久君 今日は三名の方々には、ありがとうございます。
川口先生が「異国の丘」の話をしていただきました。吉田正さんという作曲家は私が生まれた日立市の出身でございまして、吉田正さんは、シベリア等々で御自身の目の前で仲間が亡くなっていくたびに作曲をされて、貢献をしてきたという、吉田正記念館、日立市にございまして、私も参りますと、そういう形で吉田正さんが作曲をされたんだと、平和のための作曲だということを感じたことがありますけれども、そのことをおっしゃっていただきましてありがとうございます。
まず、菅原さんから質問させていただきます。
先ほど宮本委員がおっしゃったこの障害なんですが、実は、先ほど資料で配られました、二〇〇二年にシンポジウムをされたときに、当時のベーカー駐日大使の奥様、ナンシー・カッセバウム・ベーカーさんという女性議員として有名な方ですが、アメリカで国務省が抵抗したのに、どうやって我々議員が克服してこういうNEDのような法律を作っていったかという話をされました。これは各国共通ですけれども、大体どこも外務省、国務省は反対します。自分たちの権限が取られると。それを議員たちが動いて克服をしてきたということをこのベーカー夫人がおっしゃっていただいて、一番説得力を持ったわけですが。
それぞれの国でどういう形で外務省なり国務省が反対したものを克服してきたかという、当時の事例も含めて、二、三簡潔にお答えいただければ有り難いと思います。