サーラ・スヴェンの発言 (国際経済・外交に関する調査会)
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○参考人(サーラ・スヴェン君) ありがとうございました。
非常に難しい質問なんですけれども、おっしゃったとおり、ヒールシャーさんが九〇年代にこのテーマをエーベルト財団が東京事務所の仕事で導入したときに、日本でも早く近隣諸国との和解が進んで、それにドイツは何らかの参考になるのではないかということで、日中韓のシンポジウムをやったりとかしていますが、それ以来はドイツと日本は少し違っていた方向に来たとは私も感じております。
私がいつもそういうことを聞かれると、ドイツと日本は基本的には戦後において和解政策に関しては似ているところの方が多いと思います。いろんな段階があって、和解が積極的に進められた時期とそうじゃない時期もありました。今、杉尾先生がワイツゼッカーを例として取り上げましたが、ワイツゼッカーがこの有名な演説したと同じ年だったと思うんですけれども、コール首相はある戦没者の墓園に行って、アメリカのレーガン大統領を連れていったんですね。それが大きな事件になりました。なぜかというと、その戦没者墓園にSSという団体の兵士も埋葬されていましたからです。ドイツでもコール首相の時代にはやっぱり和解よりも国内にはこの戦争を再考しようとする勢力が出てきて、コールはその代表例なんですね。そういう議論があって、結局、それに対してワイツゼッカーが違う答えを出て、かなり海外で注目されて、結局、それでその方向性が付けられました。
でも、現在までドイツでもいろんな問題がありまして、同じとき、二〇〇〇年代ぐらいに、ドイツは、例えば旧ソ連からドイツに連れてこられた捕虜にようやく賠償金を払い始めたのは二〇〇〇年以降なんですね。そのために、一つのまた財団をつくって賠償金を払いました。今は、去年かおととしだったと思うんですけれども、また別の国の捕虜がまだ賠償済みではなかったということが明白になって、今でもまだ現在進行形なので、ドイツでもまだそういうことに取り組みつつありますが、おっしゃるとおり、和解が割合に成功してはいるんですけれども、まだ残っている課題はドイツの方にもあります。