日比野克彦の発言 (国民生活・経済に関する調査会)

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○参考人(日比野克彦君) ありがとうございます。
 なぜこのタイミングでそういう障害者との取組を始めたのかというところなんですけれども、いわゆるアールブリュットという言葉があります。それはフランスで百年ほど前に生まれた言葉で、いわゆる美術というものは美術の歴史があります。例えば、印象派というグループがあったり、その後、例えばピカソのような人が出てきてすごく抽象的な展開をしたりとか、すごく今度はストイックに物事を考えるような世界が生まれたりとか、必ず美術というのははやり廃れというのがあります。やっぱり、先人が作ったものに対して、それに対してまた次の時代の人がどう考えるかというようなことの繰り返しなんですね。
 例えば、昔、絵画というと、王様がいて肖像画を描きなさいと、まだ写真ができる前ですね。いかに威厳があって美しく描くかという、その絵師、宮廷画家というものがやっぱりとても重要視されていた。そういう時代で、やはり大きなパトロンがあってアートというのはあったんですけれども、そういう時代背景に必ずアートというのは社会性を帯びて動いてきました。
 その中で、でも、純粋に絵を描くという行為というのはこれは昔からあったわけで、例えば世界中で一番古い絵画は何かというと、我々、教科書で学ぶのは洞窟壁画ですね。ついこの間も上野の科学博物館でラスコードゥー展というのがありましたけれども、もう二万年、三万年前に人間は絵を描いていたわけですね。その絵を描くという行為というのは、我々が、それは描いた人に聞くしかないし、描いた人の気持ちを想像するしかないんですけれども、決して誰かに注文されて描いたわけではなく、純粋に何かの衝動で描かざるを得なかったと。世の中の全てのものというのは誰かが発明したものでありますから、最初に描いた、行った人がいるわけですから、最初に絵を描いた人も必ずいるわけですね。その人がなぜ絵を描いたのかということも、ずっとやはり絵描きの人たち皆考えています。
 そんな中で、障害者の人たちの絵と出会います。百年前のフランスの作家たちも、障害者が描いた絵と出会って、なぜその絵を描くのかということはすごく聞きたいわけですよね。でも、コミュニケーションが取りづらいのでなかなか分からない。けど、そこには、我々のように普通に何か絵を勉強してしまった人間、絵を勉強してしまった人間が戻れない世界観がそこにはあるんですね。
 今、僕たちって、例えばコップを絵を描こうと思うと、いつの間にか美術の授業の中で遠近法があるとか、遠くのものはちっちゃく見えて、手前のものは大きく見えて、一枚の絵の中に遠近感をやると一個の風景が描けるというのは習っちゃっているし、習っていますし、そういう絵を見ればそういうふうに理解してしまいますけれども、それは教育ですね。でも、その教育がないと、もっとすごい純粋に絵を描く人たちが存在するわけです。僕らはもうそこには戻れない。
 なので、僕も一番最初にそのアールブリュット、障害を持った人たちの絵を見たときに、なぜそんな絵が描けるんだろうとすごく驚きました。例えば、そこに例えば観葉植物が二メーターぐらいのがあるとすると、ここにいる皆さんが絵を描きましょうといって画用紙を渡されて描くと、きっと、その二メーターの観葉植物を縮小してここに描くと思うんですよね。縮小して描く。みんな入れなきゃいけない。じゃ、これを描きましょうねといった瞬間に、この例えば三十センチぐらいのところに縮小して描いてしまうんですけれども、僕が施設で見た作家は、その二メーターぐらいの観葉植物をまず紙に描き始めると、まず一番下の植木鉢だけ描いちゃうんですね。僕、横で見ていて、あっ、これもう全部描けないよね、描き切れないのにと思ったら、その紙の上に紙を足しました。足して、植木鉢の上にまた幹を描いて、そしてどんどんどんどん足していくんですね。そうすると、原寸に近いような、そこにある緑の物体が描ける。
 僕、それを目の当たりに見たときに、自分が今まで間違っていたんじゃないかということを思ってしまうんですよ。あれ、なぜ知らないうちに、絵、それをここに入れようとしていたんだろうということを彼に学ぶことができた瞬間に、それはもう十五年ぐらい前の話ですけれども、そこから障害を持った方々の表現行為にすごく興味を持ってきてというところが背景にありまして、それで、さっきの流れでいくと、地域に、東京にはない地方でのアートプロジェクト活動、マイノリティーの地域に入っていって制作活動をする時代があった。今度は、マイノリティーの人に対してそこにアーティストが入り込んでいくことができるんじゃないかということは、地域で始まったアートプロジェクトと、長年持っていた、障害を持った人たちの表現の力に対する興味というものが合わさってきたというところです。
 そして、もう一つ、二つ目の質問の、今TURNということをやっていて、まずは一番の障害というか、行う上でというのは、やはり福祉というある部分確立された世界のルールがありますので、全ての施設が、ああ、いいです、是非是非アーティスト来てくださいというわけではないです。多くの施設がやはり、それは困ります、外部の人が入られると。当然、つい昨年のああいうような事件もあったりすると、なかなか外部の人が入ると、当然厳しい部分もあります。まずは、そこのところで、そこの施設長なり理事長なりと話をしながら、少しずつアーティストも、先ほどのドアのようなところで人材育成をして、最低限の福祉の座学を受けた上で入っていくという、そこのまず入り方というのは、当然もう時間を掛けてゆっくりやっていかないといけないところかと思います。

発言情報

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発言者: 日比野克彦

speaker_id: 4502

日付: 2017-04-19

院: 参議院

会議名: 国民生活・経済に関する調査会