日比野克彦の発言 (国民生活・経済に関する調査会)

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○参考人(日比野克彦君) ありがとうございます。
 図画工作の時間というのは小学校にありまして、正直言って僕、決して成績良くなかったです。図工の時間はというか、ちょっと分からなくなっていて。僕も多くの人にこういう普通に話している中で、例えば、野村さん、図工、好きでしたか。──好きでした、そうですか。小林さんは。──嫌いですね。なぜ嫌いになりましたか。──そうですよね。それ、成績というのは小学校のときの図工の時間ですよね。小林さん、ほかの科目はきっとオール五だったと思うんですけれども、図工がなぜか五じゃないという。もう大体この答えが返ってくるんですよね。図工は分からなかった。
 小学生というのは、やはり当然、百点、よくできたって先生に褒められたい。例えば一クラス三十人、四十人いて、じゃ、一足す一は分かる人、はい、二、正解といって百点となるからテンションが上がるんですけれども、図工の時間って、同じ時間割の中に例えば六十分授業があって三十人生徒がいて図工の先生が一人で教えられるかというと、僕も経験あるんですけれども、絵を描いていて、先生が見回りに来て、自分ではよくできたと思うんですけれども、後ろの子には声掛けて、おお、何々君よくできたねといって、あっ、次、僕だと思ったら横を通り過ぎていくんですよね。そうすると、あれっと思って駄目だと思うんですよね。声掛けてもらえなかった。先生はそのつもりは全然ないですよね。与えられた時間の中で見回らなくちゃいけない、ちょっと気になる子には声掛けて、できるだろうと思った子は素通りしたのかもしれないし。でも、その経験があると分からなくなるんですよ。
 でも、あとは先生はどうしても成績付けなくちゃいけないので、五は何%とか、付けていきますよね。そうすると、自分で判断、なぜ自分がこれが良くないのか分からないので図工が嫌いになる、苦手になる、時間が面白くないというので美術、図工がちょっと苦手になっていく。
 これ、ちょっと言葉はきついんですけれども、よく僕も中学校とか小学校の図工の先生の集まりでこの話も時々するんですけれども、図工の時間というのは美術の嫌いな子を生み出しているということも言えますよねって、ちょっときつく言ったりすることがあるんですね。実際、小林さんが生まれたように、そうなのかもしれない。
 なので、僕は美術というのは、この多様性の話も今日しましたけれども、小中高というのは同じクラスに同じ年しかいないですよ。これ、美術にとって余りよろしくない。人と違ったことはいいよということを確認するには、同い年の子しかいないという集まりはこれ良くないですよね。ずれるのをやはり怖がりますし、ずれないように教育していて、答えを、一個の答えを求めよとか、はい、前へ倣え、起立、礼みたいなそういう中でずれていいよって言われても、子供は、えっ、さっきまでちゃんとやれって言っていたのに、急にずれろと言ってもずれられませんという。
 となってくると、美術の教育というのはどこでやるべきかというと、僕は地域だと思うんですよね。地域の中でやる。スポーツクラブがあるように、地域に行くといろんな年齢層があって、そして、そこで集まった中で、地域のおじいちゃんもいる、外国人もいる、障害者もいる、そして他の小学生の人がやってきて、土日なのか週末なのか、あるときに、何か物を作りましょうよなのか、何か、じゃ地域のことをリサーチしてそれをきっかけにして造形活動しようよ、そういう仕掛けるアーティストがやってきて一緒にワークショップやると。そうすると、例えば小学四年生、高校生、大学生、外国人、障害者がいて一つのテーマでやったとしても、わあ、太郎ちゃんは太郎ちゃんらしいね、やっぱりブラジルの人が描くとこうなるのね、障害者の描くと、わあ、面白いね、この絵もというふうにして、それぞれのずれているものがすごく楽しめる環境があると思うんです。
 だから、もっともっと美術というのは、当然、小学校の中で彫刻刀を彫りましょうとか基本的な美術の勉強をしましょうという授業はあってもいいと思うんですけれども、それだけじゃなくて、もっと地域の中でアートの本来の魅力を体験できるような時間は、仕掛けは必要なのかなとは思います。

発言情報

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発言者: 日比野克彦

speaker_id: 4502

日付: 2017-04-19

院: 参議院

会議名: 国民生活・経済に関する調査会