日比野克彦の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(日比野克彦君) ありがとうございます。
そのきっかけ、先ほど言った滋賀県とか近江八幡とかがすごく中心になっている活動が中心になったきっかけかと聞いております。
障害者、障害を持った方々というのは、当然、世界中にたくさん見えるわけで、そして、そこに付き添っているスタッフもたくさんいます。そのスタッフの中のちょっと造形活動に興味のある人たちがいわゆるその障害を持った人たちと何か時を過ごすときに、ひょっとしたらこの人、絵が好きかな、何かこういう行為がすごくやっていると落ち着くからといって、道具とか材料とかを渡して、絵を描いていたりする場合が多くあります。その中で、それを、あっ、面白いねと思えばそれを取っておくけれども、多くの場合はそれはそれでまた、もう捨てちゃうんですね。絵画作品ではないし、その子が例えば絵を描こうと思って描いているわけでなくて、何かこう、やっているだけで終わってしまう。
なので、一番大事なのは、そのそばにいる人、それを見付ける人、それを作品として見立てていくその気持ちがある人がいるかいないかで、その障害を持った人が表現者になるか、作ったものが世の中に発信するものになるかというのは全然違ってくるんですね。
それが絵画だけではなくて、例えば障害者施設に行けない障害を持った方々が家の中にずっといる。お母さんがずっといる。これは一つの例ですけれども、ある人は、タオルの糸をいつも引っこ抜く。それが大好きで、そうすると一日やるとこれぐらいの糸の塊ができるんですね。でも、普通はそれは、普通はそれはというか、それは作品でないので捨てちゃいがちなんですけれども、お母さんは、やっぱり自分の息子が一日やったその時間の蓄積としてあるから、それをずっと取っておくんですね。ずっと取ってあるんです、糸のほわほわが。ずっと取ってあって、家の中はもうほわほわだらけなんですね。あるときに、障害者に対して造形活動を何か見付けようとしている人がそこのおうちに来て、わっ、これすごいねと言って、それをギャラリーに持っていって展示して作品にしていったんですよ。それはお母さんが捨てたらごみになっちゃうし、その子のその行為をお母さんがもし、そんなことをやっても何にもならないから、何やっているの、あなたと言って叱ったら、何か、やらないで終わっちゃいますよね。なので、本当、その特性をその人の表現だとして見付けて、それを発信していこうという、周りの見る、見付ける力がもう何よりなんですね。
施設よりかやっぱりそういう人を、リサーチャー的な人を、県内くまなくとか市内いろんな施設に行ってというのがまず一番地方でも大事なところで、僕は田舎、岐阜県岐阜市なんですけれども、岐阜県でも岐阜市でもまだまだ施設がすごくたくさんあるのは分かっているんですけれども、そこに誰がいて何をやっているのかというのは、全然そういうリストはないです。
障害者アート展とか何とかアート展で出品して、自主的に出品してくるその作品のリストはあるんですけれども、それ以前の、いわゆる絵を描く行為じゃなくて、何か本当、日常の行為の蓄積、紙を切るだけとか、新聞破るだけとか、段ボールを水道に行ってびちょびちょにして、ビニール袋のバッグに入れて、それをコンクリートの上に持って行って、水にあふれているビニール袋を傘でぴゅっと刺すと水がコンクリートの上にじゅわっと出てきて、そのじゅわっとしているものをずっと見ているみたいな、それを映像に撮って作品にしたこともあるんですけれども、そのどこが作品なのというところを見付ける、そういうキュレーションですね、キュレーションとかリサーチというのがとても大事になっていくと思います。