山崎正昭の発言 (本会議)
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○山崎正昭君 一言お礼の御挨拶を申し上げます。
ただいま永年在職議員の表彰を賜りました。この神聖な議場において院議をもって表彰いただきますことは、参議院議員として最高の名誉でございます。身に余る光栄であり、心より厚く御礼を申し上げます。
加えて、尊敬する大先輩の片山虎之助先生とともに表彰を賜りますことは望外の喜びであり、心からうれしく思っております。片山先生、本日は誠におめでとうございます。
また、先ほどは、敬愛する橋本聖子先生より御丁重なる御祝辞を頂戴いたしました。ここに深甚なる感謝の意を表する次第であります。
私が政治の道を志したきっかけは、昭和四十年九月にふるさと福井県大野郡西谷村を襲った豪雨災害でございました。総雨量千四十四ミリを超える未曽有の集中豪雨により、村全体が壊滅的な被害を受けました。翌年には西谷村に真名川ダムが建設されることとなり、村は廃村、全住民が離村を余儀なくされたのであります。そのときから私は、ふるさとの発展なくして国の繁栄はないと考え、愛郷無限を信条として政治活動に邁進してまいりました。
昭和五十年の大野市議会議員初当選を皮切りに、市議会一期、福井県議会四期を経て、今は亡き熊谷太三郎先生の後継として、平成四年の第十六回参議院議員通常選挙で初当選させていただきました。
その後、政府では大蔵政務次官、内閣官房副長官、参議院では議院運営委員長、参議院自民党幹事長などを務める機会を頂戴いたしました。
また、皆様方の御推挙を得て、平成二十四年には第二十九代参議院副議長、平成二十五年には第三十代参議院議長に就任させていただきました。その間、公正中立を旨として、本院の円滑な運営に力を尽くしたところであります。非力ながらも議長としての職責を大過なく果たすことができましたのは、ひとえに、昨年引退をされました輿石東前副議長を始め、皆様方の御厚情、御鞭撻のたまものでございます。ここに改めて衷心より感謝を申し上げます。
それぞれの役職におきまして与えられた職責を懸命に果たしてまいりましたが、取り組むべき課題は今も多くございます。人口減少や東京一極集中に歯止めを掛け、豊かなふるさとをつくる地方創生には一層力を尽くす必要がございますし、誰もが生きがいを感じられる社会を実現するため、子育て、医療、介護、年金などへの不安を解消しなければなりません。
また、北朝鮮による拉致被害者の御家族が帰国される際には内閣官房副長官として同行させていただきましたが、全ての被害者の御帰国はいまだに実現しておりませんし、北朝鮮の核、ミサイルは北東アジアのみならず世界全体にとって大きな脅威となっております。
もとより私一人になし得ることは限られておりますが、山積する内外の諸課題に対処するため、これからも、一参議院議員として、皆様方とともに更なる努力を続けてまいる所存でございます。
さて、議会人としての四十二年、参議院議員としての二十五年を振り返ったときに、思い起こすのはすばらしい人々との御縁であります。今日私がありますのも、市議会議員時代から熱心に支援してくださった後援会を始め地元福井の皆様方、厳しくも温かく御指導いただいた先輩、同僚議員の方々、そして私の議員活動を最も近くで補佐してくれた秘書の皆さんのおかげであります。改めまして厚く御礼を申し上げます。
また、家族にも感謝の気持ちを伝えなければなりません。今から八年ほど前、私は重い病を患いました。病院に向かう途中、もう帰れないかもしれない、もし帰れても政治の世界から身を引くことになるかもしれないと覚悟したこともございました。そのとき、私を支え、励まし、命を救ってくれたのは、妻と三人の子供たちであります。あのときほど家族の存在に助けられたことはございません。みんな、本当にありがとう。
今の私にとりまして一番の楽しみは、地元で大勢の孫たちと食卓を囲むことであります。この若い世代に平和で豊かな日本を引き継いでいかなければならない、それこそが国会議員に課せられた最も大切な使命であると確信し、報恩感謝の心を持って皆さんとともに政治活動を続けてまいりたいと存じます。
結びに、皆様方の変わらぬ御指導、御交誼のほどよろしくお願いを申し上げまして、お礼の御挨拶とさせていただきます。
本日は誠にありがとうございました。(拍手)
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