柳本卓治の発言 (本会議)

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○柳本卓治君 本日は、院議をもちまして在職二十五年の永年勤続表彰として、敬愛している溝手顕正先生と共に賜りました。身に余る光栄に、心よりの感謝を申し上げます。議長を始め、先輩、同僚議員の皆様、本当にありがとうございます。また、ただいまは、橋本聖子会長より御懇切なる御祝辞をいただき、誠にありがとうございます。
 また、本日このような栄誉を賜ったのも、ひとえに今日まで私を御支援、御鞭撻をいただきましたふるさとの大阪西成区を始め、旧大阪一区、大阪三区の皆様、大阪市民、府民の皆様のおかげでございます。改めて、ここに心から深く感謝申し上げます。
 私は、さきの大戦の終戦前年の昭和十九年十一月十一日、父、柳本松太郎、母、近子の八人兄弟の末っ子の五男坊として生まれました。
 上の兄四人は天上界に帰っておりますが、今日はこの議場に、私の姉の長女、次女、三女と、三男の妻、そしてその息子で、兄亡き後、私が実子同然に薫陶してまいりました私の後継者であります柳本顕、さらに、私の最愛の妻、るり子も出席させていただいております。
 私の永年勤続のこの議員生活は、こうした親や兄弟姉妹と親族、それと妻の献身的な支えがあったればこそでございまして、本当に感謝でいっぱいでございます。
 私は、平成二年の衆議院議員初当選以来、衆議院議員六期十九年八か月、参議院議員一期五年四か月を務めさせていただきました。
 衆議院にありましては、平成九年には労働政務次官、平成十一年には環境総括政務次官、平成十五年には衆議院法務委員長、平成二十年には衆議院拉致問題特別委員長を歴任いたしました。
 特に、法務委員長としては、裁判員制度導入の司法制度改革の審議におきまして、憲政史に残るでありましょう審議時間を経て成立させたことは思い出の深いものでございました。
 私の国政活動を貫く原点は、実は二つあります。
 一つは、私の両親と私が生まれ育った通天閣を見上げる西成区山王町なんです。
 大阪市会議員でありました父は、子供の私によく、通天閣のようなどでかい男になれ、通天閣は大阪のシンボルであり、大阪は東洋のマンチェスターだと、よくそういうことを言っておりました。私は、何のことか分からなかった。
 父は、毎日のように自転車に乗りまして、西成区の隅々まで回っておりましたことをよく記憶いたしております。
 母は、そういう父を助けまして、八人の子だくさんを立派に育ててくれました。そのおかげで、私があるわけです。
 私を育ててくれた町、西成区山王町というのは、御存じのない方がたくさんおられるでしょうが、庶民的な人情の温かい町で、釜ケ崎の労働者の方々が仕事を終えて、コップ酒で焼酎をうまそうに飲みながら、今日も一日仕事ができた、そういう話をしているのを見て、子供心に人間の幸せというのはこういうところにあるんだなということを感じたものでございました。
 もう一つの私の原点は、私の政治の恩師の中曽根康弘先生との出会いでございます。
 今から、古くなりますが、約五十五年前、昭和四十年、私が早稲田大学の三年生のとき、雄弁会の幹事長を務め、その夏、大隈講堂で河野一郎先生の追悼演説会を開催いたしました。
 このとき、河野派を継承いたしました中曽根先生のお言葉が、その颯爽とした雄姿とともに、今も私の脳裏に焼き付いています。
 恩師中曽根は、我々学生に向かってこう言いました。早稲田出身の政治家は、なべて悲劇の政治家だ、それはなぜか、それはそれだけ大衆と密接していた政治をしていたからにほかならないんだと、こう喝破されたのであります。
 その言葉から私は、政治というのは大衆のためにある、喜び、悲しみを分かち合える感激のある政治こそが大切なのだと。それ以来、中曽根先生を敬愛し、父亡き後、先生の門をたたき、当時、佐藤内閣の末期でございましたが、秘書として先生の下で現実の政治を学び、昭和五十年、ふるさと西成に帰り、大阪市会議員となり、三期を務め、その後、衆議院議員に挑戦をいたしたのであります。
 私の政治の恩師である中曽根は、本年満百歳、百寿を迎えられ、今なお御健康で日本の指針を示すべく御活躍をされています。私は、約半世紀、中曽根先生のおそばで、その国家観、歴史観に触れ、御指導いただくことを無上の喜びとしてまいりました。以来、私の政治経歴は、全て中曽根カレンダーの中で活動してまいったのであります。
 中曽根カレンダーの中には、たくさんのメニューが豊富ですが、その一つは、恩師中曽根が提唱し設立したAPPF、アジア太平洋議員フォーラムであります。私は、国会議員をお辞めになりました後も、中曽根名誉会長のメッセージを預かりまして、事務局長として毎年出席してまいりました。また、中曽根先生設立の日韓協力委員会の副理事長も務め、毎年訪韓しております。
 さらに、中曽根カレンダーの最も最たるものは、新憲法制定運動のことであります。
 私は、中曽根会長の下、超党派の新憲法制定議員同盟の事務局長を務めております。同時に、参議院執行部の皆様の御配慮で、参議院憲法審査会の会長を連続五期務めるという、憲法をライフワークとしている私にとりまして、無上の天職をいただいております。審査会にありましては、各党の皆さんの御意見を十二分に拝聴し、必ずや未来の子孫にも喜ばれる実りある論議を重ねてまいる決意でございます。
 恩師中曽根は、常々、政治家は歴史という名の法廷の被告席に座ると述べ、政治とは文化に奉仕するためにあるとも語っています。こうして自分を厳しく律し、高い理想を掲げて憲法問題にも取り組んでまいる所存でございます。
 中曽根恩師は、また、目標なき民族は滅びるとも語り、国政の一番の基軸にあるものは憲法であり、憲法問題とは、日本とは何かと問うことであると、かように指摘しております。
 今年は明治百五十年、昭和も終わり、平成の御代も最後の年を迎えております。こういう大きな歴史の節目に、時代が大転換しつつあります。世界情勢も、民族、宗教の問題、覇権主義の台頭など、新たな火種もあります。
 このようなとき、政治に携わる私たちは、他人の不幸せの上に自分の幸せを築かない、他国の不幸せの上に日本国の幸せを築いてはならない、他国の幸せが日本国の幸せなんだという信念を新たにしていかなければならないとの思いを強くしているのであります。
 この不滅の信念と情熱を持って、明年七月の任期いっぱいまで、この愛する国と国民に私の全身全霊をささげる決意であることを、ここに皆様にお誓いを申し上げる次第でございます。
 私が古希を迎えた四年前、恩師中曽根から古希の祝いに色紙をいただきました。それには、「老驥伏櫪 志在千里 烈士暮年 壮心不已」と墨跡鮮やかに書かれておりました。
 それには、三国志の魏の曹操の漢詩の一節でございますが、釈迦に説法でありますが、一日に千里を駆けるという駿馬は、老いて厩舎につながれていても、その志は日々千里を駆けている。天下に志を持つ者も、晩年になって年老いても、若々しいチャレンジ精神はやむということはないんだという意味なのであります。
 この恩師の激励の下、私もまたこの老驥の精神で与えられた天職を全うしてまいる所存でございます。
 結びに当たりますが、私を健康に産み育ててくれた父と母、兄弟姉妹と親族、そして私の政治活動を共に歩んでくれた地元西成を始め浪華の後援会同志の皆様、そして活動をサポートしてくれた秘書の皆さん、そして一番身近で支えてくれた妻、るり子に最大限の感謝をささげまして、私の在職二十五年のお礼の御挨拶といたします。
 本日は、皆様、誠にありがとうございます。(拍手)

発言情報

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発言者: 柳本卓治

speaker_id: 17932

日付: 2018-10-30

院: 参議院

会議名: 本会議