伊藤信太郎の発言 (本会議)

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○伊藤信太郎君 ただいま大島議長から御報告がありましたとおり、本院議員北川知克先生は、去る平成三十年十二月二十六日、六十七歳で御逝去されました。
 昨年十二月十日、第百九十七回臨時国会の会期終了日に先生はこの議場にいらっしゃったにもかかわらず、今はそのお姿を拝見することはできません。政治家として一層の御活躍が期待されていたやさきの、思いも寄らぬ訃報に、ただただ言葉を失うとともに、今もって信じがたい思いであります。ましてや、御遺族皆様のお悲しみはいかばかりかと察するに余りあり、お慰めの言葉もございません。
 私は、ここに、皆様の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。
 北川先生は、昭和二十六年十一月八日、大阪府寝屋川市において、衆議院議員六期、環境庁長官を務められた父石松先生と母愛子さんの御次男としてお生まれになりました。北川石松先生と私の父伊藤宗一郎は、同じ政治グループに属し、長年の盟友でした。北川家と伊藤家は親子二代の深い関係にございます。
 先生は、地元の中学校から関西大学第一高等学校を経て、父君、そして現寝屋川市長の兄君と同じ関西大学に進学されました。学生時代から地理や歴史に興味を持たれ、夏、冬問わず、スポーツを通じて自然との触れ合いを大切にしていらしたと伺っております。
 先生は、昭和四十九年に関西大学法学部法律学科を卒業され、その後、衆議院議員であった父君の秘書につかれ、約十七年もの間、父君をお支えになり、政治の世界での経験を積まれました。先生は、政治家である父君のお姿から、誰かのために働くということの意義を痛感されたと聞いております。
 先生は、平成二年、父君の環境庁長官就任の際、秘書官につかれました。それは、地球環境問題が国際的な政治のテーマとなり始め、日本でも環境問題が大きく取り扱われ始めた時代でありました。そのような中、環境庁長官秘書官として、長良川河口堰建設計画をめぐる問題や水俣病国家賠償請求訴訟の対応に当たる父君を支え続け、現場を視察し、人々の声に耳を傾けました。
 このような経験を通じて、環境問題の重要性を認識し、よりよい環境創造のために自分が率先して行動しなくてはならないという強い思いを持たれたのであります。
 平成八年、父君が政界を引退。翌年、先生は、父君の志を引き継ぎ、国政の舞台を目指すことを決断されます。
 平成十二年、第四十二回衆議院議員総選挙への立候補が先生の国政への初挑戦となりました。このときは、次点、惜敗に終わりました。しかし、先生は決してくじけることなく地道な活動を続けられたのであります。
 最初の挑戦から三年後、国政への再挑戦のため準備を本格化させたやさきの平成十五年七月、先生のもとに、突如、近畿ブロック比例代表繰上げ当選の知らせが届いたのです。
 「生まれ来て受け拓かれし道ありき道つなげしは人の道なり」、これは、短歌を詠むのが御趣味であった先生が初当選のときの心境を詠まれた歌です。こうして先生は信念を持って政治家としての第一歩をスタートさせたのであります。
 私たちは補選と繰上げで初当選した議員同士の親睦のため「ほくの会」を立ち上げ、先生にも会長を引き受けていただいた時期があります。先生おなじみのおでん屋での「ほくの会」で政治の未来を語り合ったことが、まるできのうのことのように感じられます。
 議席を得られてからの先生は、厚生労働、経済産業、環境、財務金融、青少年、郵政民営化等の各委員会の委員又は理事として、卓越した識見と行動力を発揮されました。
 とりわけ、環境問題に熱意を傾けられ、環境委員会に長く籍を置く中で環境委員長まで務められたのであります。さらに、環境委員会の理事として、誠実なお人柄と環境問題に対する情熱を持って各党との調整、交渉に当たられ、生物多様性、地球温暖化問題、生活環境に関連した諸問題に粘り強く取り組まれました。
 特に、最近、マイクロプラスチックの海洋流出が問題となっている中、昨年の第百九十六回通常国会で、議員立法として初めてこの問題を取り上げた海岸漂着物処理推進法改正案の成立に向けて、与野党の調整など大変な御尽力をされました。
 さらに、気候変動の抑制に関するパリ協定の具体策の検討状況を確認するため、平成二十八年の国連気候変動枠組み条約締約国会議、COP22と翌年のCOP23の両年における議員会議の日本国会代表団の団長として参加され、環境問題についての日本の現状認識、気候変動対策における立法化の取組について発言されるとともに、各国の議員団に対して地球規模で取り組むべき課題について強力に発信されたのであります。
 党にあっては、文部科学副部会長、国会対策副委員長、環境部会長、副幹事長、広報戦略局長、環境・温暖化対策調査会長を歴任されるなど、幅広い分野を担われました。
 特に、環境・温暖化対策調査会長として、気候変動の影響の適応策の法制化について、議論を重ねて党の見解を取りまとめて環境省に提言され、環境省はその提言をベースにした法案を策定することとなりました。法案は気候変動適応法案として昨年の通常国会に提出され、成立したのであります。まさにこのことは、先生が気候変動適応対策に大きな道筋をつけられたことであると言えましょう。
 平成十八年九月二十七日、先生は第一次安倍内閣の環境大臣政務官に就任されました。環境問題の解決には、一人一人の意識改革が必要との観点から、環境教育が重要であると考えられた先生は、環境教育に関する日中韓の環境教育シンポジウムに積極的に参加されるとともに、みずから横須賀市の小学校に出向いて、子供たちに環境教育特別授業を行うなど、将来を担う子供たちが地球温暖化等の環境問題を正しく理解し、環境に配慮した行動に取り組むよう、地道に努力を積み重ねられたのであります。
 その後、平成二十五年九月三十日に第二次安倍内閣において環境副大臣に就任後、その翌日深夜に日本を出発、ポーランドで開会された国連気候変動枠組み条約締約国会議閣僚級準備会合、プレCOP19に日本政府代表として出席し、環境先進国として温暖化問題に積極的に取り組んでいくという力強いメッセージを発しつつ、平成二十七年のCOP21で採択され、世界の大半の国が受け入れることとなるパリ協定に向けた事前交渉にかかわられました。そして、帰国後すぐに、熊本市及び水俣市で開催された水銀に関する水俣条約外交会議に出席するなど、就任早々、世界を駆けめぐっての御活躍がありました。
 さらに、地球温暖化対策に向け、喜びを分かち合うという意味のファン・ツー・シェア、「みんなの知恵で、低炭素社会へ。」という標語を積極的に推進されました。先生は、資源や幸せをひとり占めするのではなく、分かち合いの心が大切だと考えられ、環境への必要性を国民に訴えかける国民運動を展開すべく、全力で邁進されたのであります。
 先生は常に弱い立場の方々に心を寄せられておりました。水俣病対策では、しばしば現地に赴き、みずから進んで患者の方々と面会されました。厳しいことを言われることもありましたが、先生はその言葉に謙虚に耳を傾けられていました。副大臣をやめられた後も水俣病犠牲者慰霊式に出席され、患者の方々への思いを忘れることは決してありませんでした。
 環境問題は、先生のライフワークでした。先生は、水俣を始めとする国内問題、地球温暖化や海洋汚染等の国際的問題を、今何をすべきか、どうすれば後世に美しい地球を残せるのかという視点で考えられておりました。また、教育と環境を一体的に捉え、次世代の育成に向けた環境教育などの地道な活動を長年こつこつと積み重ねられてきたのであります。先生は、富士山清掃活動にも一般募集として参加して汗を流されていたとのことです。このように、個人でできるリサイクルや清掃活動にも日常から積極的に参加し、実行する人でもありました。これまでの先生の地道で堅実な取組が、いつの日か、必ず大きな成果となって花開くことを確信しております。
 先生は、世界全体の未来を考え、遠い将来の世代の人々を見据えた大きな理念を持った政治家であったと言えるでしょう。
 先生は、「志曲げず挫けず貫けば必ず拓く一筋の道」とみずから詠まれたとおり、国益を考え、地球に貢献するという大きな志を持ち、地道に政策を練り、揺るぎない決意を持って行動を起こし、諦めることなく粘り強く、大きな理想に向かって愚直に取り組まれた政治家でありました。
 先生は、ことし、御地元の大阪で開催されるG20サミットで提案される環境政策をよりよいものにするべく、みずから取り組んでいくことに強い意欲を持ち、そして、来年開催される東京オリンピック・パラリンピック大会を、復興に加えて環境五輪として、環境という観点から、日本のすばらしさや地球温暖化などの環境問題に対する積極的な姿勢を世界に示すべく、強い思いを述べられていました。
 先生は、常に冷静沈着、温厚にして公平無私、まさに政治家としても人間としても範となる存在でした。しかし、まさにこれからだというときに、先生は忽然と私たちの前から去ってしまわれました。もう先生のお知恵をお聞きすることも、先生のお力を頼ることもかないません。
 しかし、私たちはここでとどまっているわけにはいきません。先生の志、思いを受け継いでいくことが、残された私たちの使命と考え、全力を尽くしてまいりますことをお誓い申し上げます。
 ここに、ありし日の北川知克先生の面影をしのぶとともに、その御功績をたたえ、心から御冥福をお祈りして、追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――

発言情報

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発言者: 伊藤信太郎

speaker_id: 3302

日付: 2019-01-31

院: 衆議院

会議名: 本会議