雄谷良成の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(雄谷良成君) 皆さん、こんにちは。
早速なんですが、子供も若者も、それから高齢者も、障害のある人もない人も、日本人でない人も、みんなごちゃ混ぜになる場所があるかということをちょっと考えてみたいと思うんですね。決して特別な場所ではありません。ふらっと行ける場所。(資料映写)
いろんな取組をやってまいりました。私たちの法人はこれで約六十年近くになるわけですけれども、その中で、これは、左側の日本海倶楽部というのは二十年前に農福連携を、ビールを始めたりとかという話をしています。この右側の、実を言うと、この三草二木西圓寺というのは今年で十一年目でありますが、廃寺をコミュニティーに開放していろんな活動が行われた。
実を言うと、子供は子供だけとか、障害者は障害者だけとか、それから、本当に縦割りにやってきたことが実を言うと大きな弊害になっているのではないかという。
この写真は、実を言うと、左側の人は重度心身障害の方です。首から下は全部麻痺です。知的障害も持たれています。ところが、この右側の足湯に入っている方は、障害のある方も認知症の方も、あるいは元気な方も、いろんな人が入っていますけれども、十一年前に、あるとき、この障害のある人に認知症の方が自分のもらったゼリーを食べさせようとするんですね。私たまたまその場にいまして、そうすると、手が震えて食べさせられないんです。職員が止めようとしたんですけど、もう少し様子見ようと。そうすると、またやっぱりおばあちゃん行くんですけど駄目なんです。二、三週間して食べさせられるようになったんですよ。
彼は首の麻痺があるので向けないんですね。我々、このごちゃ混ぜの場所ができるまでは、二年間ぐらいプロとしてリハビリやっていました、彼の。首の可動域が二年間で十五度ぐらい改善できたかなと。ところが、今この角度は七十五度以上です。三週間で、認知症のおばあちゃんと重度心身障害の方が関わるだけで、プロをほったらかしてですよ、元気になる、首の可動域が三十度も四十度も改善されると。
二、三か月たって、今度は認知症のおばあちゃんのところのお嫁さんが来ました。理事長さん、どうもいつもはって。もう本当に、一週間に二回も三回も深夜に出る。深夜徘回という言葉は使わないですね、最近は。徘回というのは目的がないというふうに取られやすいんですけれども、それに当たる、代わる日本語がありませんで、認知症の人は必ず目的を持っています。ですから、言い方にすると深夜にお出かけになるというような話になるんですけど、それが、まあなくなったわけではありませんが、一か月に一回ぐらいになる。本当に助かりましたと言うんですね。
で、一つだけ分からないことがあるので教えてもらえませんかと言うので、どうしましたと言ったら、おばあちゃんが西圓寺に行くときに、私が西圓寺に行かないとあの子が死んでしまうと言っているというんですよ。死なないですよ、別に、毎日ゼリーをあげなくても。でも、おばあちゃんは何らかの形で彼をという思いがあって、私たちのようなプロ、福祉や医療のプロをほったらかして、二人が関わったら元気になったんです。
そんなことが、これを見ると、高齢者、障害者、子供、野田町の住民ががあっと関わっていくと、どんどんどんどんいろんな人が元気になってきて、山田さん御存じですけど、小松市というのは人口減少の市です。ところが、二〇〇八年から二〇一八年までに、この廃寺だった西圓寺の周辺は田んぼしかありません。非常に不便なところです。コンビニに行くのにも車で行かないといけない。ところが、五十五世帯から七十五世帯、今七十六世帯まで増えました。二十一世帯増えたんです。
その人たちはどういう人たちかというと、若者が戻ってきたり、あるいは今まで出ていった若者が親の土地を分けてもらって家を建てたりという人たちが二十一世帯にもなったんです。なぜ残ったり戻ってきたりしたのか聞きました。そうすると、居心地がいいです、居心地がいい理由は何ですかと言うと、いろんな人がいると言うんです。いろんな人ってどんな人ですかと言ったら、障害のある人とか認知症の人とか、最初はびっくりしたけれども、何か居心地がいいと。そんなことが実を言うとごちゃ混ぜのエネルギーとしてある。
この左は、JR北陸線の美川駅、乗降客数は今七百人ぐらいです。まあ今、八百となっていますが、七百ぐらいに落ちてきていますが、駅を高齢者や障害者、いろんな若者たちが使い出すとどんどんどんどん活性化して、電車には乗らないものの、そこに人が集まってくるというようなことになってきました。
この右側のシェア金沢というのは、実を言うと、そのごちゃ混ぜの世界をプランニングしていったらどんな町になるだろうかということでチャレンジして、二〇一五年には総理以下、歴代創生大臣とかにお越しをいただきまして、それで視察者が今年間四十万人ぐらいになっています。
このベースになっている考え方というのは、これは辻一郎先生が出された、東北大学のですね、生きがいのある人は生きがいのない人と比べると、七年間追っかけた宮城のデータですけど、三倍も生存率が違うんです。あるいは、人生の目的を強く感じている人と感じていない人では、要介護になる発生リスクは何と倍も違うんです。ということは、もう福祉や医療で悪くなってから追っかけるということではなくて、地域の中で人がつながりながら生きていくという社会をつくっていく。
それで、これは、人と人は交わるだけで健康になったり、あるいは付き合うグループや地域によってその人の行動が決まったり、あるいはオフィシャルなサポートではなくて、人が人を助けるといったサポートが自然に生まれてくると。私、金沢大学の医学部で公衆衛生学というのを教えていまして、こういった観点が今、実を言うと世界中で広まりつつあるんですね。
これは私たちの本部の場所です。核がありながら、周辺にはいろんなグループホームやサ高住、そういったものが住民の中に混ざりながらつくられている、これがいろんな化学反応を生み出すんですね。
これは白山市といいまして、金沢市の隣の市ですけれども、人口は十一万人、このプロット見ると、やはり少子高齢化が分かります。
私たちの本部を更に近くで見てみると、この右側の千代野という場所は、四十年前にディベロップしたいわゆる団塊の世代がたくさんいる。しかし、この団塊ジュニアは去ってしまったということで。ところが、この左側の北安田というところは、金沢は調子がいいですから、ベッドタウンとして若者が子供育てている。そうすると、これをほったらかすと、また右みたいになるわけですね。ですから、ほったらかしておくと、こういったショッピングモールなんかも潰れてしまうと。これが全国の状況であります。
そんな中で、ごちゃ混ぜの場所を、別にいろんな福祉施設をそれぞれつくっていくということもありますが、それを機能を集めていくとどうなるかというと、こういう光景が生まれてきます。これはスタッフの職員室ですけど、ここには地域の人も入れたり、あるいは障害のある人が入れたりするような場所にしていくと。
これは、左の方はしめ縄作りの名人なんですけど、この右側の人は認知症の非常に進んだ方です。もう息子さんの名前も分からないと。ところが、俺が手伝おうかと言って手伝うと、こういうしめ縄を作れるんです。一か月で、このおじいちゃん、四万ぐらいしめ縄でもうけまして、認知症ですけど、全てを失っているわけじゃないんですね。若いときに元気だったときの力というのは必ず使える。
この青年は、二年半前にうちにやってきました。それまでは七年半引きこもりです。地域の人がごちゃ混ぜの場所に連れてきたんですね。このとき彼が言った、二年半前にうちに来たとき言った言葉は、あっ、子供だと言ったんです。何でかというと、夜中の二時、三時にコンビニに行って、あとは家に閉じこもっているので子供を見ることはないと。実物ですね。そうすると、こういうごちゃ混ぜの場所に来たときに、あっ、子供だと言う。それから二年半、一度も休んでいないんですよ。こんなことは福祉や医療にはできません、引きこもりを治す薬なんてありませんし。
例えば、この方はダンス講師の人だった。でも、だんだん股関節が開かなくなって、医者に行っても分からない、全く異常がないと言われる。ところが、どんどんどんどん可動域が狭くなっていって、あるとき生徒さんから先生大丈夫と言われて辞めることになったんですけど、なかなか一年たっても原因が分からない。この右側の女性は知的障害の高齢者の方です。あるとき彼女に、私が治してあげると言うんです。そうすると、二、三か月して良くなっていくんです。
こんなことが普通に起こる、原因の分からない股関節痛を治す外科的な手術もありませんし、引きこもりを治す薬もありませんが。
この子は、ADHDですぐ小学校から逃げ出してしまうんです。でも、ここにいる一歳半の男の子に、隣でお経が上がっているんですけど、手を合わす、手を合わせようねと。そうすると、一生懸命この子は手を合わす。そういったところに自分の居場所を見付けることができるんですね。
これは、私たちの本部の二〇一五年からのデータですけど、このオレンジのところが普通の施設、病院の利用者とそれを支えるスタッフの数です。この上の青いところは、実を言うと、全くそういったものを利用しに来る人たちではなくて、ただふらっと遊びに来たりビール飲みに来たり温泉入りに来たりする人です。一日千人を超えています。ここも、白山市十一万人の中で、年間四十万人の来場者があります。
こうやって、実を言うと、いろんな人を排除しないということです。もちろん、外国人労働者というものを進めていくということは非常に大切なことだと思いますが、まだまだ、高齢者あるいは障害者、活躍できる人たちは山のようにいます。そんな宝物を掘り起こしていくということが、実を言うと、掘り起こしていくというよりは、そうでない人たちも元気になるということなんですけど。
これは、能登の輪島のプロジェクトです。今、私たち佛子園と青年海外協力協会、年間千人の帰国隊員がいます、途上国から帰ってくる。その若者たちを今全国に振り分けながら、こういうごちゃ混ぜの町づくりを支援しています。今、来年ぐらいから更にこういったところが共生のモデルとして展開されていくということになります。
これは輪島のサービス付き高齢者住宅なんですね。これも見ていくと、ただ住む場所をどれだけ造っても駄目です。そこに必ず人が集まる場所がないと。
これは能登の切子の様子です。これはサ高住のパブリックスペースですけれども、地元の人が入り込んで毎日のように関わっている。そうすると、だんだんこうやって会話が弾んで皆さん元気になっていく。この左の方は、私も元気になってきたので働きたいと言って、こういう共生拠点の中のそば屋さんで働き始めました。家賃が六万、七万ぐらいで、このおばあちゃんはもう今八万ぐらいもらっていますので、もうそれだけで年金暮らしでもやっていける話になります。
これは先ほど紹介させていただいた日本海倶楽部の農福連携ですけれど、これは能登カボチャといって、能登のオリジナルの野菜なんですね。ところが、高齢化しまして、この小豆カボチャという、すばらしいカボチャを生産する農家がどんどん減ったと。それを、今度は障害のある人が労働として、そして体力が衰えた高齢者は技術を伝える側として一緒に助け合うと。今まで排除を受けてきた高齢者あるいは障害のある人たちがこれだけのものを作れる。今、ここは生産ナンバーワンです、奥能登で能登カボチャを作っているナンバーワンになりました。
これは鳥取南部町の柿の木です。柿の木は、もうやはり非常に付加価値の高い柿を作る南部町なんですが、跡継ぎがいないということでこの木を切ろうとしていたんですね、何百本も。なぜかというと、ほったらかすと虫が湧いて結局周辺に被害が出るわけで、切らなくてはいけないと。いや、それだったら高齢者や障害者みんなで守っていこうということで、こういったことを防ぐ。
これはやっぱり、こういった飲食店をやっていた人が非常にすばらしい技術を持ってこういうシフォンケーキとか作っていたんですけど、やっぱりもう疲れたと。そこで、やっぱりいろんな人たちがこれを支えることによって事業承継できる。
これは半蔵門にあるラーメン屋なんですけど、やはり家賃が高くて、でも非常においしい、こんなすごいおいしい麺を作るんですけど、今度輪島に移住して、この技術を持って事業承継していくと。
こんなことが、実を言うと、ごちゃ混ぜの中で可能性、日本を支えていく可能性として十分あるんではないかと。
そんなことで、今、生涯活躍のまちというのが、これちょっと古い、もう新しいデータがもう一つあるんですけど、百十四団体がこの生涯活躍のまちというものを進めようとしています。創生交付金が下りているのはこの色が付いたところですから、この二、三年でいろんな形で表に出てくるんだろうなということで。
このごちゃ混ぜという、まあ共生社会とか地域包括というのは、僕は非常に限定的な意味を持っているというふうに感じます。地域包括というのは、子供やあるいは高齢者や障害者、そういった社会的な弱者と言われた人たちを支えるサポートを集めるというイメージがありますが、実を言うとそれだけでは元気になりませんし、何よりも我々は福祉や医療のプロなので、福祉の側にも問題があります。どんなことかというと、自分たちは専門家だというおごりみたいなものです。自分たちはサービスを提供する側、あなたたちはされる側という形になると、必ずサービスを受ける側だという人のメンタリティーは下がります。どんな状況にあっても、必ずその人が役割があるというよりは、役割があるというと役割がないということにもつながるので、機能しているという、そういった形があるのかな。
先ほど一番最初に御紹介させていただいたあの重度心身障害の方、お母さんはやっぱり泣いていましたね。私はこんな子を産んで、本当にこの子はもうずっと世の中の厄介になっていくばっかりだと思っていた、ところが認知症のおばあちゃんを元気にするということがあって、私は本当に救われました。
いろんな人たちが役割を持っている。それは、日本人に限らず、たくさん今度やってくる外国人労働者の方々も、やはり言葉あるいは文化の違い、そんなものを超えてやっていくには、日本の地域がやっぱり元気でなくてはいけない。
人生百年時代で、必ず、もちろん、今、二〇〇七年に生まれる子供たちの過半数以上は百七歳以上生きるという、「ライフ・シフト」にそういったデータがありますけど、それはもう現実ですね。今生まれてくる子は更に百十歳ぐらい、半数以上は百十歳以上生きる。そうすると、そこまで延びていく寿命を、今度は質の高い地域が元気な状態を支えながら持っていく。そうすれば、今まだまだ人が少ないと言っていますけれども、私たちはまだまだやれるんじゃないかな。
私たちはやっぱり障害の重い人たちから入った施設ですので、本当にその人たちの可能性を探してきました。私も施設の中で小学校四年生まで住んでいましたので、やっぱりよく不必要な扱いを受けることも多々ありましたけど、まだまだ可能性があるというふうに思っています。
外国人の方々も、それから障害のある方も、あるいは認知症の方も、あるいはがんにかかった人も、いろんな人たちが役割を機能しながら地域の中で支え合っていくというようなことが、今、世界で一番少子高齢、人口急減を迎えている日本がこの局面を打開する方向性を見出せば、これに続く台湾、韓国あるいはシンガポール、そういったところに対して更に我々が国際貢献できるような、そういったスペースも生まれてくるのかなと思います。
ちょうど時間となりましたので、終了したいと思います。
御清聴どうもありがとうございました。