秋野公造の発言 (本会議)
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○秋野公造君 本院議員島田三郎先生は、去る五月八日、慢性閉塞性肺疾患のため、東京都内の病院にて逝去されました。享年六十二歳。早過ぎる御最期であり、誠に哀悼痛惜の念に堪えません。
私が最後に島田先生のお姿を拝見したのは、四月二十五日の総務委員会でした。私にとって、それが先生とのお別れの日となるとは、いまだに信じられない思いであります。
私は、ここに、同僚議員各位のお許しを得て、議員一同を代表し、正六位旭日小綬章故島田三郎先生の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉をささげるものであります。
島田三郎先生は、昭和三十一年七月、島根県安来市にて、島根県議会議員であった島田芳雄氏の三男としてお生まれになりました。御地元においては、安来市立第一中学校、島根県立松江北高等学校に在学され、中学、高校を通じて野球に打ち込まれていたと伺っております。
その後、島田先生は、青山学院大学経済学部に進学をされ、在学中の昭和五十五年四月から約十五年間にわたり故竹下登元内閣総理大臣の秘書をお務めになられました。
島田先生は、消費税の導入に向けて竹下元総理が街頭で国民に訴える姿について、最終的には理解してくれると信じて行動していたと振り返り、このような竹下登先生を政治の師と仰がれていたと伺っております。
島田先生は、平成七年四月に島根県議会議員に当選され、以後五期連続十八年にわたり県政において御活躍されました。
その間、島根県議会議会運営委員会委員長、島根県議会副議長の要職を歴任されました。
こうした島根県議会における長年の御経験を踏まえ、島田先生は、平成二十五年の参議院通常選挙において島根県選挙区での当選を果たされ、国政に活躍の場を移されることとなったのであります。
先生は、本院において、総務委員会、行政監視委員会、消費者問題に関する特別委員会等に所属をされました。特に総務委員会には任期中一貫して在籍され、理事としても御活躍されました。
この間、総務委員会では、地域人口の減少、地方創生などの課題が山積しておりました。委員会においては、島根県が、積極的な子育て支援の取組により、出生率が沖縄県に次いで全国二位の水準となったという県の施策の実績も踏まえつつ、中山間地域や離島も含む地域における医療や教育、公共交通の確保策などについて、丁寧に論点を整理しながら政府から答弁を引き出してこられました。
島田先生は、島根県議会での御経験とともに、御地元における建設関係の会社経営や社会福祉の仕事を通じて得られた幅広い知見も生かしながら、地方からの目線というものをしっかりと把握し、政策を具現化していかなければならないとの信念の下、委員会等を通じて、国と地方の橋渡しの役割を果たしてこられたのであります。
また、島田先生は、政府においては、平成二十八年八月に第三次安倍内閣における総務大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任されました。
先生は、政務官として主に行政監視等を御担当され、全国各地を精力的に視察し、地方の行政評価事務所におけるテレワークを有効に使った働き方改革や、女性職員の目線を積極的に取り入れたオフィス改革などの推進に御尽力されるとともに、防災・減災を通じた安心、安全な社会づくりの重要性を訴えてこられました。
さらに、党におかれましても、自由民主党広報本部報道局次長、政務調査会水産部会副部会長、参議院自由民主党政策審議会副会長として御活躍されました。
このように、島田先生は、国会、政府及び党において、地方創生や地域活性化、働き方改革などの諸課題に取り組んでこられました。
しかし、先生御自身は、汗は自分でかきましょう、手柄は人にあげましょう、そしてその場で忘れましょうという竹下登元総理の哲学に反することを嫌い、島根県議会五期十八年、そして本院議員として六年間の政治活動の実績を誇らしげに語ることは決してありませんでした。
このような先生の政治姿勢は、私には派手なパフォーマンスはできません、しかし、やるべきことをこつこつと粘り強く、島根の発展のために、ひたむきに頑張りますとの御自身のお言葉に集約されているとおりであります。
総務委員会においても、時には与野党が厳しく対立する場面がありましたが、島田先生は与党理事として、円滑な委員会運営のために粘り強く調整に当たられました。また、島田先生が理事会にいらっしゃると、場の雰囲気が自然と柔らかくなったことが思い起こされます。
島田先生は、過疎や人口減少に直面する全国の地域社会の実情を最も理解する政治家のお一人であるだけでなく、人徳、包容力を兼ね備えた政治家として、今後も長きにわたって、地方創生の加速など我が国の最重要課題に先頭に立って取り組んでいただくことが期待されておりました。
そのような島田先生でありましたが、県議会時代に体調を崩された時期もあり、昨年頃からは、その後遺症で体調が相当厳しい状況にあると拝察いたしました。
私としては、できれば治療に専念し静養していただきたいと思うこともありましたが、大丈夫ですかと何度かお声掛けさせていただいたときの、大丈夫と答える島田先生の目にはいつも気迫がありました。島田先生は、闘病の身であっても、常に総務委員会に御出席されたのです。
私は、昨年十一月二十二日の総務委員会において、先生が石田総務大臣の所信に対する質疑に立たれたことを思い起こします。
先生は、まず、大臣に対して、大変御多忙な毎日を過ごされると思っておりますが、何とぞ御健康のほどは御留意をしていただきたいと思いますと述べた上で、地域活性化、地方議員のなり手不足、消防団員の確保等の課題への対応について、きめ細かく真摯に要請されていました。
その姿は、御自身の体調が厳しい中で、大臣の健康を気遣いながら、地方創生を一歩でも前に進めたいという先生の決意と覚悟が込められていたと思えてなりません。
さらに、昨年十二月七日から八日未明に至る深夜国会にも体調が思わしくない中で出席され、先生御自身が消費者問題に関する特別委員会の理事として審議に御尽力された食品表示法改正案の成立をこの議場で見届けられたことも思い起こされます。
このように使命感が強い島田先生は、本年四月末の平成最後となる総務委員会に至るまで、そのときは息遣いが荒くなったお体に酸素吸入器を付けながらも、国会議員としての務めを全うされたのであります。
島田先生は、御家庭においては三人のお子様がいらっしゃり、お子様と遊ぶのが何よりの安らぎという子煩悩なお父様でいらっしゃったと伺っております。
総務委員会においても、若者の過労死問題についての質問の際には、お嬢様が就職されたことを紹介しつつ、我が子のことのように強い怒りを持って再発防止を訴えられ、理不尽なことを許さない厳しい姿勢も示されておられました。
そのような島田先生は、今も奥様の和子様、御家族の皆様を優しいまなざしで見守っておられるに違いありません。
やるべきことをこつこつと粘り強くとの姿勢を貫き、病を押して最後まで務めを果たされた島田先生の誠実でひたむきなお姿を、私たちは決して忘れることはないでしょう。
ここに、謹んで在りし日の島田三郎先生のお人柄と御功績をしのび、本院を代表して御霊の安らかならんことをお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。
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