舩後靖彦の発言 (文教科学委員会)
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○舩後靖彦君 代読します。
大臣、ここで忘れていただきたくないことは、学校組織が校長、副校長、以下と多層化していることです。これだけ多いと自由闊達な意見交換は行われていないことが想像できます。校長の権限が絶大で、一般教員皆さんのストレスも相当なものと聞いています。
ALS発症前、私が商社で働いていたとき、販売応援に行ったある支店のフェア会場で担当商品を保険の対象にならない形で持ち去られ、全額を自分で支払わなければならないという立場に追い込まれました。当時の金額で一千三百万円以上、サラリーマンでは払い切れるものではありません。俺は終わったと思いで、高層階にあった宿泊部屋に行き着きました。もしその部屋が窓が開く構造だったら、今私はここにいないかもしれません。
人は誰しも承認欲求があります。人に認められないと感じたら、自殺したくもなります。現在の学校は、長時間労働が当たり前の風土の中で、教員は管理職の顔色をうかがい、自由に物が言えずにいます。校長に人事評価権を握られ、最低の評価を受け、それが東京都のように給料に直結する場合、承認されていないと感じた教員はやりがいを持って働き続けられるでしょうか。一年単位の変形労働時間制導入では、こうした学校の風土を変えることはおろか、教員の長時間労働、多忙の解決になりません。
教員が自分の仕事にやりがいと誇りを持てるような改善策を再度お願いし、本法案に対する質問を終わらせていただきます。
続きまして、本法案と直接関係はございませんが、急を要する案件として、障害のある生徒の高校受験における合理的配慮と定員内不合格に関する質問をさせていただきます。
これは、障害だけの問題ではなく、子供たちの学ぶ場をいかに社会が保障するのかという根幹に関わる問題だと考えるからです。きっかけは、最近、沖縄に住んでいる重い知的障害のある男子生徒の御両親からいただいたお手紙です。
抜粋します。小中学校は当たり前に地域の学校で共に学び、同級生が高校進学を目指す中、当たり前に普通高校受験に挑戦しました。代読など障害に対する受験上の配慮は受けましたが、障害のある彼が点数を取ることは困難でした。一年目は一名の定員オーバーで不合格、二年目は二クラス分の席が空いているにもかかわらず不合格とされました。沖縄県だけで毎年千三百から千五百の定員が空いているのに、百人以上の子供たちが教育の場から排除されています。
点数が取れない君が悪いと自己責任を問う社会の中で、中卒という形で高校進学をした大半の同世代から切り離され、大したサポートもなく社会に放り出され、果たしてこうした形で人生設計を立て自立できる子供はどれだけいるのでしょうか。こうした子供たちこそ教育が必要なのではないでしょうか。
手紙を拝見し、胸が痛みました。私は参議院議員という立場を得て、障害の有無を問わず、誰もが幸せに自分らしく生きられる社会を目指し、議員活動を進めていくことを誓いました。大臣所信に対する最初の質問でインクルーシブ教育について御質問いたしましたが、義務教育卒業後の問題についても取り組まなければならないと改めて思い、質問いたします。
障害のある生徒に対する高校受験における合理的配慮は、一九八七年の重度脳性麻痺の生徒二名の都立高校受験のときに始まったと伺っております。しかしながら、受験時における合理的配慮をしてもなお、重い知的障害のあるお子さんや意思表示を読み取ることが難しいお子さんは、学力検査で点数を取ったり面接でのコミュニケーションが難しかったりする状況にあります。
現在、特別支援学校高等部の本科、別科及び高等専門学校を含む高等学校等への進学率は九八・八%に上っています。そして、公立高校に通う大部分の世帯のお子さんが授業料無償となっています。ほぼ希望者全入と言っていい状況です。そこから排除されているのが、先述のような重度知的障害のあるお子さんなのです。
ただ、これは知的障害のある子だけの問題ではありません。人工呼吸器を付け医療的ケアの必要な子、貧困や虐待などにより学ぶ環境が保障されなかった子、こうした生徒も入試による点数不足という線引きで入学を拒否されるのです。中には、一次募集、二次募集、三次募集と落とされ続け、何年も浪人しているという実態があります。資料一を御覧ください。
学校教育法施行規則に基づき、高校への入学者選抜方法、合格者の決定基準は校長が決めます。沖縄県教育委員会は、定員内であっても不合格を出す根拠として、平成五年の文科省の通知にある、その教育を受けるに足る能力、適性等を判定して行うものに基づいていると言います。しかし、文科省は、平成九年の通知の中で、障害の種類や程度に応じて適切な評価が可能となるよう、学力検査の実施に際して一層の配慮を行うとともに、選抜方法の多様化や評価尺度の多元化を図ることと説明しています。
確かに、高校進学率が七割、八割の時代であれば、適格者主義で選抜することに合理的意味があったかもしれません。しかしながら、約九九%の生徒が高校に進学し、かつ公立高校の授業料が無償化されている現在、高校はほぼ義務化、希望者全入の時代、状況です。
高校無償化の制度をつくった際、文部科学省初等中等教育局審議官であり、見直しされた際は初中局の局長であった前川喜平前文部科学省次官は以下のようにお話しされています。高校無償化というのは、十五歳から十八歳までの全ての若者に学習機会を保障しますよという学習権の保障の思想なんですね。無償で学ぶ権利がありますというからには、入学を希望する全ての若者が学校に行けるようにならないとおかしい。
つまり、希望者全入が実現しなければならないわけです。公立高校の募集定員というのは、設置者が都道府県民に向けて何名受け入れるという公約と捉えるならば、せめて定員内は全員合格とするのが公立高校の責務と考えます。現に、東京都、神奈川県、大阪府では教育委員会から定員内不合格を出さないようにという指導があり、定員内不合格を出していません。資料二を御覧ください。
繰り返しますが、この問題は障害のある生徒だけの問題ではありません。貧困や社会的養護の環境にある子供たちも、低学力や内申評価が低いといった理由で定員内でありながら不合格とされ、社会に行く道を閉ざされているのです。小中学校で同世代と一緒に学び、多様な子供たちの中で育ち合ったからこそ、同じ障害の子だけが行く特別支援学校高等部ではなく、高校にみんなと一緒に行きたい、そんな当たり前な願いに対し、枠が余っているにもかかわらず、何年にもわたり不合格とされ、同世代とのつながりを絶たれてしまう。ほぼ全入の高校から希望する生徒を排除することは、将来にわたって地域で暮らしていくインクルーシブな社会づくりに反していると思います。
最低限、学力という線引きによって排除されているこうした方々の定員内不合格を出させぬよう、学校設置者及び学校長への働きかけをするとともに、各高校が多様な生徒を受け入れることが可能になるよう、教員の定員配置の条件整備、カリキュラム、授業方法、評価方法等における合理的配慮が必要と存じます。大臣のお考えはいかがでしょうか。