山本幸三の発言 (本会議)
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○山本幸三君 このたび、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたこと、まことに身に余る光栄で、心より感謝申し上げます。
私を国政へと送り出し、その後も支え続けていただいたふるさとの皆様、先輩議員や同僚議員の皆様、そして私の後援会、友人、事務所スタッフ、家族、親族全ての皆様に厚く御礼申し上げます。(拍手)
私は、戦後、北九州の門司で、満州からの引揚者、特に父は二年間のシベリア抑留者でもありましたが、その七人兄弟の末っ子として生を受けました。
貧乏ではありましたが、父、母や兄、姉たちの愛情だけはあふれんばかりに受けて育ちました。
小学生のころ、普及し始めたテレビで、池田勇人首相が所得倍増論をひっ提げて論陣を張っている姿を見て、政治家を志すようになりました。地盤、看板、かばんもなく、徒手空拳で選挙に臨み、苦労を重ねながら今日に至ることができましたこと、まことに感無量であります。
私は、大蔵省の役人時代の若いころから、金融政策に強い関心を抱き、あらゆる関連文献を読みあさり、その結果、当時の日銀の金融政策とその根幹の日銀理論が誤っているという確信に至りました。
一九九三年に初当選を果たしてからも、一貫して、この日銀理論がデフレの元凶であると批判し続け、歴代日銀総裁との間で激しい論戦を重ねてきました。時に一時間半から二時間にわたる質疑を繰り返したのです。
この主張は、当時の自民党主流派の考え方に反するものであり、自民党内にあっても、奇人、変人、異端者として扱われたものでありました。
転機が訪れたのは、二〇一一年三月十一日、あの東日本大震災のときでした。未曽有の大災害を前にして、私は、このままでは日本が消えてしまう、今こそ行動しなければという強い危機感と焦燥感に駆られ、発災六日後の三月十七日に、「今こそ二十兆円規模の日銀国債引受による救助・復興支援を!」と題したアピール文を書き上げ、全国会議員に配付して回りました。その後も毎週のようにアピール文を全国会議員に配付し続け、計七回に及びました。
最終的に私の提案は当時の民主党政権に却下されましたが、ここで政治の流れを変えなければ本当に日本は死んでしまうとの強い思いから、デフレ克服を目指す議員連盟を立ち上げ、当時、野にあった安倍晋三先生に会長になっていただきました。その議連で、浜田宏一先生や岩田規久男先生を講師として招き、勉強を重ねた結果生まれたのが、今日のアベノミクスであります。二〇一二年暮れの総選挙で安倍政権が誕生し、この政策が実践されることになりますが、ここに至るまでに、実に二十年の歳月を要したのであります。
アベノミクスは、当初、見事な成果を上げましたが、消費税引上げという真逆の方向の政策を採用せざるを得なくなったことによって頓挫し、今日に至っています。
加えて、本年初頭から新型コロナウイルスという新たな逆風が吹き荒れるようになり、日本経済は、再びデフレに逆戻りしかねない岐路に立たされています。
今こそ、あのアベノミクスの原点を思い起こし、大胆かつ積極果敢な財政金融政策を断行することが必要ではないかと考えています。
結びに、本日の永年表彰を改めて道しるべとし、私の座右の銘である、自分を捨てて他に尽くすという意味の去私利他の精神を持って真摯に職責を果たしてまいることをお誓いし、御礼の御挨拶といたします。
御清聴まことにありがとうございました。(拍手)