吉川沙織の発言 (本会議)
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○吉川沙織君 立憲・国民.新緑風会・社民の吉川沙織です。会派を代表して質問いたします。
参議院は、昭和五十二年以来、議長の下に参議院改革協議会を設置し、各会派合意の下で様々な改革を行ってきました。平成十年の行政監視機能の向上を目的とした行政監視委員会の設置もその成果の一つです。
しかし、行政監視委員会は、近年、特に現政権発足以降は開会すら困難な状況が続き、その職責を果たしてきたとは言い難い状況にあります。そのような中、平成三十年六月、参議院改革協議会は、行政監視機能を強化し、新たな行政監視サイクルを構築するとの報告書を取りまとめました。今行っているこの本会議質疑がその第一歩となります。
翻って、近年、公文書改ざんや統計不正など、行政による不当、不適正な活動が頻発しています。これらに対して国会が与野党の別なく事実関係をただし、改善を促すことこそ行政監視機能の発揮であることに異論はないはずです。
参改協報告書の冒頭、「参議院は、これまで取り組んできた決算審査の充実とともに、行政の適正な執行を監視、監督することを活動の柱の一つとし、行政監視機能の強化に議院全体として取り組む。」とうたい、与党か野党かは関係なく参議院として、決算と並んで行政監視も重視していくと意思表明する一方、総理始め全閣僚出席の下で質疑を行う決算に対し、行政監視については、新たなサイクルの起点となるこの本会議ですら総理の出席がかなわなかったことについては、院としての姿勢が問われるのではないでしょうか。
参議院改革の在り方への考え方に会派間で様々な違いがある中、本院として行政監視機能の強化を図ることに各会派が一致した背景には、行政による不当、不適正な活動が頻発していることへの危機感、不信感があったという事実を政府は厳粛に受け止めるべきです。今般の本院における行政監視機能の取組をどのように受け止めるか、総務大臣に伺います。
今国会においては、法制定時に国会で明言され、長年にわたる安定的な運用を経て、誰もが当然のこととして認識してきた法解釈を突如、明快な根拠もなく変更した検察官定年延長の事案がありました。このような解釈変更のありようは、政府に求められる法律の誠実な執行にもとる行為であるだけでなく、実質的には法改正と同じ効果をもたらすものであり、国会が唯一の立法機関であることに鑑みても、看過できない重大な問題です。政府が考える法律の誠実な執行とはどのようなものであるのか、官房長官の認識を伺います。
総務大臣の報告にもあったように、政府全体の取組としてEBPM、証拠に基づく政策立案が推進され、データ等の根拠を可能な限り求め、検証するとされています。
本院が平成二十七年七月に全会一致で可決した政策評価制度に関する決議においても、数値や明確な根拠に基づく評価を実施することを政府に求めましたが、例えば、規制の新設や見直し等の政策評価では、規制の遵守のために生じる負担が数値によって定量化されているのはたった一八%にとどまっています。政策評価におけるデータ等の根拠に基づくEBPMの実践状況及び各府省への働きかけを強化する必要性について、総務大臣に伺います。
政府は、EBPMと統計の改革は車の両輪として一体として進めていくとしていますが、厚生労働省の統計不正を機に、残念ながら、政府統計等に対する信頼は地に落ちました。六月二日に閣議決定された公的統計基本計画では、PDCAサイクルの確立や第三者監査の導入等により統計の品質を確保するとしていますが、経済産業省では、平成二十八年末の統計数値の改ざん発覚後も統計の不適正事例が発生していたことが私の質疑を通じて明らかになっており、省内ですら再発防止を徹底できなかったことは明白です。政府全体として実効性をいかに確保していくか、総務大臣に伺います。
EBPMにおいて求められる証拠として、統計等データに加え、公文書が適正に作成、保存されることが必要不可欠です。公文書は、意思決定や事務の合理的な跡付けのために欠くことのできない証拠ですが、現政権下では、公文書管理の原則に反する事案が後を絶たず、EBPMに逆行すると指摘せざるを得ません。
以下、行政監視の視点から具体的事案に即して伺います。
公文書管理法は、行政機関において検討過程や結果を記載した文書を作成し、意思決定権限を有する者が署名、押印など決裁を行うことにより機関としての意思決定又は確認を行う文書主義を初めて法定化したものです。
しかしながら、政府は、検察官定年延長に係る法解釈変更について、再三、口頭で決裁したと強弁しており、また、法務省内の会議や内閣法制局との打合せに関する文書、議事録についても公表されていません。公文書管理法に定める文書主義の徹底を怠り、国民に対する説明責任をないがしろにしてきたのではないですか。政府の文書主義に対する考え方について、官房長官に伺います。
法務大臣は、二月二十七日の衆院予算委員会で、検察庁法改正案の策定過程に関する文書について、法案の成案が得られた段階で、経緯を明らかにするために必要な文書が作成、管理されることになる旨答弁しています。改正案や法解釈変更などに関する省内の協議、法務省と内閣法制局との協議などの記録はいつ公表されるのでしょうか。法案の閣議決定からもうすぐ三か月が経過しますが、公表に時間を要している理由を法務大臣に伺います。
新型コロナウイルスへの対応については、公文書管理法施行後初となる歴史的緊急事態に指定されましたが、専門家会議については政策決定そのものを行っていないとして、議事概要の公表にとどまっています。歴史的緊急事態の指定は、将来の教訓として生かすため記録を残すことを目的とするものですが、教訓とし得るか否かは、政策決定の有無で一律に判断できるものではありません。公文書管理法の趣旨に立ち返り、現在及び将来の国民に説明する責任が全うし得るか否かという観点から、政策決定の有無にかかわらず、議事録を始めとする記録を作成すべきと考えますが、官房長官の見解を伺います。
現政権発足以降、内閣に権限が集中されてきた中で、公務員は周囲の空気を読み、そんたくしつつ、自由な主体的意識を持つことなく、自らの良心を行動の制約とせず、より上位の者に抑圧、規定され、その抑圧を下位の者に順次移譲していく抑圧移譲の原理の下で働き、責任の帰属の明確化を避ける曖昧な行政運営が冥々行われています。
このようなそんたくの暴走を抑止する基本的で究極的な方法が文書主義の徹底です。意思決定過程について文書を作成し、決裁を受け、残す。文書をもって責任の所在を明確にする。政府が説明責任を果たすために必要不可欠な原則ではないでしょうか。
次に、唯一の立法機関である国会の立法行為、そして国会による行政統制という観点から伺います。
立法府と行政府の関係については、これまで束ね法案と包括委任規定を問題として、四年半前から議運理事会、本会議や予算委員会、質問主意書等で再三指摘してきました。束ね法案は、法律案を束ねることによって国会審議を形骸化し、立法過程が不透明になるおそれがあるとともに、国会議員の表決権を侵害し、立法府の空洞化を招来しかねないという問題を抱えているものです。
政府は、今国会も束ね法案を国会に提出していますが、束ね法案を国会に提出することが結果的に国会議員の表決権の侵害になる場合があるという認識をそもそも持ち合わせているのでしょうか。官房長官の見解を伺います。
政府は、束ね法案を国会に提出する際の基準について、政策の統一性や趣旨、目的の同一性、内容の関連性があると認められるときとしています。
しかし、昭和三十八年九月十三日閣議決定の「内閣提出法律案の整理について」では、「付託される常任委員会が同一であること」が明示されており、平成十七年四月一日の衆院本会議では、「できる限り同じ委員会の所管に属する事項に関するものであることが望ましいこと」も基準にしているとの答弁もあります。従来、改正法案を束ねるに当たっては、所管委員会の同一性が意識されていたことは明白です。
しかし、それが近年は変節し、所管委員会の同一性、立法府の審議の在り方を意図的に無視することがあるように見受けられます。立法府の審議の在り方への影響をも考慮するならば、政府においては、改正法案の所管委員会の同一性がより重視されてしかるべきではないでしょうか。官房長官の見解を伺います。
行政府により立法府の審議の在り方が規定され、国民の負託を受けた国会議員は賛否の意思表示を個々の改正法案ごとに行うことができず、その職責を十分に全うすることができない。束ね法案とは、立法府の存在意義にも関わる問題であるということを認識するべきです。この状況を改善する第一義的な責めは、改正法案をどのように束ねて国会に提出するかを決定している政府が負うものです。立法府と行政府の関係が改めて問われている今こそ、政府が累次の答弁で述べてきた束ね法案の考え方を見直すべきではないでしょうか。見解を伺います。
具体的な細目的事項を掲げない形で実施命令の根拠規定を法律に設けようとする包括委任規定についても、私は束ね法案と並んで繰り返し取り上げてきました。国民の権利義務に関わらない細目的事項を定める実施命令の体裁で制定されたものが、実際の行政運営の中において実質的に国民の権利を制限したり、国民に義務を課したりする場合があるのではないか、法律による行政の原理がないがしろにされるおそれがあるのではないかとの問題意識によるものです。
行政による法律の誠実な執行をより確実にする観点から、政府においては、定めようとする実施命令の内容を法案審査の段階で可能な限り明らかにし、その内容に問題がないことを法律の制定前に立法府が確認することができるようにするべきではないでしょうか。見解を伺います。
先般閣議決定された令和二年度第二次補正予算案においては、新型コロナウイルス感染症対策予備費を十兆円追加計上することとしています。事案の性質上、予備費による対応の必要性を否定するものではありませんが、補正予算の約三分の一を占め、しかも十兆円というかつてない規模の予備費は、もはや異例ではなく異様と形容するべきです。
十兆円もの予備費は、憲法の想定する範疇を超え、予算の事前議決の原則の意義を没却させるものにほかならないのではないでしょうか。官房長官の見解を伺います。
リーマン・ショックや東日本大震災時の補正予算の規模にも匹敵する十兆円の予備費を計上しつつ、今国会の会期を延長しないとするならば、政府としては、当分の間、立法府による財政の事前統制には服さないと宣言したに等しいのではないでしょうか。政府は、十兆円の予備費計上と今後の補正予算案の編成や臨時会の召集とをどのように整理しているか、見解を伺います。
予備費は、ありていに言えば、政府が国会に対して予算執行の白紙委任を申し出るようなものです。したがって、憲法及び関係法律に予備費の限度額等の定めがないとしても、おのずと限界があり、その見極めは政府の良識に委ねられ、実際、これまでの政府は節度をわきまえてきたはずです。行政府の矜持が残されているのであれば、せめて、これまでにない規模の予備費の執行の適正性を確保するために、これまでにない対応策を併せて示すべきではないでしょうか。見解を伺います。
今、コロナ禍の中で、アルベール・カミュの「ペスト」が改めて注目されています。カミュが示唆するペストとは、自分が善であることを疑わず、自分の外側で悪の存在を想定し、その悪と戦うことが自分の存在を正当化すると考えるような思考のパターンだとする読み方があります。
現政権は、民主主義イコール多数決という短絡的論法で、国論を二分する重要な諸課題を数の力で強権的に進めてきましたが、これは多数の専制そのものです。多数の専制の弊害を避けるためには、徹底した自由な討論と少数意見の保障が不可欠であり、それは国会に求められている最も重要な役割のはずです。
いま一度、民主主義の意味を問い直し、良識の府である本院が行政監視機能を果たすために、法律による行政を取り戻すために、そして参議院が参議院であるために、立法府に身を置く議会人として力を尽くしていくことを申し上げて、私の質問を終わります。(拍手)
〔国務大臣高市早苗君登壇、拍手〕