荒井聰の発言 (厚生労働委員会)
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○衆議院議員(荒井聰君) 衆議院の荒井聰でございます。
この法案、作るのに約六年ぐらい、足掛け六年ぐらい携わってきたのですけれども、一番最初は、二〇一五年の二月に障害者支援をする保育園のヘレンというところを視察をいたしました。そこで聞いたことは、この医療的ケア児と言われている障害者のための保育園というのは全国でたった一か所しかないと。しかも、その保育園も、医療的ケア児を預かると経営上はマイナスになるということを知りました。そして、そこで会ったのが、今日来られていないですけれども、野田聖子さんの息子さんでした。
私はそのとき驚いたんですね。野田聖子さんといえば、大臣を何度もやっている大実力者の政治家ですよ。恐らく、裏口を使えばどこかの病院に預かってもらうというようなこともできたんじゃないかと思うんですけれども、しかし、彼女はその障害児を抱えて、全国でどこか預かってくれるところはないかといって、東京中探し回ったんです。結局、杉並のこのヘレンというところがやっと見付かって、そこにわざわざ引っ越しをして預かってもらいました。
そのときに、私は聖子さんに、野田さんに、当選同期なものですから少し無駄口もたたける仲なので、あんた、国会議員で、国会議員というのは予算をつくったり制度をつくったり法律を作るのを職業としているんだろうと、国民を助けるのが職業だぞと、自分の子供さえ救えないというのは一体どういうことなんだと言って彼女を難じました。そうしましたら、いや、そのとおりなんですと、だけど、自分のこと過ぎて、余りにも自分のこと過ぎて、それを訴え掛けることができなかったんですと、荒井さん、手伝ってくれますかという話。まあ、そこまで言いましたから、それじゃ、手伝おうじゃないかといって、この永田町子ども未来会議というのをつくったんです。
そこで、二〇一六年に総合者支援法という法律を改正をして、その中に医療的ケア児という言葉を入れました。時の厚生大臣は、はい、厚生大臣は塩崎さんでした。そこで四十五人の厚労関係の委員がいるのに、医療的ケアという言葉を知っておられる方はほとんど一人もいなかったと思います。そのぐらい医療的ケアというのは、五年前はほとんどの人が知らなかったという状況の中から立ち上げた勉強会であります。