清水康之の発言 (国民生活・経済に関する調査会)
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○参考人(清水康之君) 御質問いただいてありがとうございます。
先ほどどなたかの御質問に対して御説明させていただいた中で、スライドの三十一ページ目、自殺のリスクが高まるときはどういうときなのかということで、生きることの促進要因よりも生きることの阻害要因の方が相対的に上回ったときだというお話させていただきました。
それ、ちょっと別の角度でまずはお答えさせていただくと、日本ではない例えば東南アジアの国々の子供たちってどうか。当然ながら、住環境ということでいうと、日本社会とは比にならないぐらい大変な状況の中で生まれ、また育っている子供たちが当然多いわけですよね。ただ、じゃ、自殺率ってどうかというと、これ日本の子供たちの自殺率よりもぐっと低い、あるいは自己肯定感どうかというと、日本の子供たちよりも自己肯定感ぐっと高い。つまり、生きることの阻害要因はたくさんあるんだけれども、それ以上に促進要因がしっかりしているがゆえに、自殺で亡くならないということなんですよね。
この、じゃ、日本の子供たちがなぜそこまで促進要因が低くなってしまっているのか。もちろん、不安感あるいは喪失感ということもあるわけですが、私、一つ大きな要因となっているものとしては、やはり社会に対する感覚、もうもっと言うと世界観と言ってもいいかもしれないんですけれども、昨日よりも今日、今日よりも明日の方が社会が良くなっていく、世界が良くなっていくという感覚を今の子供たちはなかなか持ちづらい状況にあるんだろうと思います。
というのも、もう生まれたときから経済でいうと右肩下がりの状況で、当然、これマスコミはいろんな社会的な課題を積極的に取り上げますので、そうした課題に触れる、以前よりもSNS等を通じて子供たちが直接そうした報道に触れる機会、不安にさらされる機会って増えてきていると思います。ですので、そうした生きている環境、大きな社会の状況の変化に、子供たちもそういうふうに引きずられている部分があるだろうと思います。
あともう一つは、やはり宗教的なバックグラウンドもあるだろうと思います。周りが何と言おうと、自分はある信仰の下、神から守られているという一神教的なその信仰があれば、周囲の顔色をうかがわずにも自分の信念を貫くということが可能な部分もあろうかと思うんですけれども、当然ながら、日本ではそうした一神教的な信仰をお持ちの方は少ない、子供でも当然少ない。そうすると、やはり周りの顔色をうかがいながら常に行動するようになってしまう。とりわけ、SNSでいわゆる既読スルーとか、常に周りの目にさらされる状況の中に今子供たちが追いやられている。
ですから、もう本当に、これかあれかというよりは、もう促進要因がどんどん削られていってしまっている。これは、社会環境的にも子供がさらされている、テクノロジー的な環境においてもどんどん低下していってしまう。一方で、その阻害要因ということでいうと、今、コロナ禍においてはとりわけ虐待にさらされる、あるいは学校の中でも大人がなかなか介入できないところで子供がいじめに遭ったりというような阻害要因も増加してきている。
このバランスが、促進要因がどんどん下がる方向にあって、阻害要因も少しずつ増えるというような状況の中で、生きる環境が地盤沈下してしまっている、そうした中で日本の子供たちの自殺リスクが高まっているんじゃないかというふうに感じています。