金子原二郎の発言 (本会議)
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○金子原二郎君 ただいま、院議をもちまして在職二十五年の栄えある表彰を賜りました。新型コロナウイルス感染症がいまだ猛威を振るう中、誠に恐縮でありますが、大変光栄に存じ、心から御礼を申し上げます。
また、関口議員会長より大変丁重なる御祝辞をいただき、誠にありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
私は、長崎県平戸市にある生月島で生まれました。九州でも最西端にある離島で、多種多様な漁業で栄えたこの町は、風光明媚な自然が豊かに残る歴史ある島です。ただ、その一方、本土とのアクセスが船しかなく、島民の皆さんは通院や通学などで非常に不便を感じていました。
私が政治を志した原点は、小学生まで過ごしたこの生月島であります。もっと暮らしやすいふるさとにしたい、その一心で今までやってまいりました。やがて、平戸大橋、その後は生月大橋が架かり、島の生活環境は目に見えて改善しました。それはやはり政治の力であり、私の選択は間違っていなかったと思っています。
私は、大学を卒業後、水産関係会社に勤務し、その後、家業に戻って、インドネシアなど海外に長期間滞在したほか、以西底引き網や巻き網などに従事し、水産日本の最盛期を支えてきました。
そのような中、地元長崎で青年活動をするうちに、長崎県は第一次産業が中心で、これといった基幹産業が少なく、ふるさと長崎県の将来を考えたときに、どうにかしなければならないという思いに至りました。
私の父が衆議院議員だったこともあって、政治は身近にありましたが、三十歳のとき、あえて父の地盤とは違う長崎市の選挙区から長崎県議会議員に立候補して当選し、以後三期務めました。
そして、昭和五十八年十二月、父、岩三の引退に伴い、衆議院議員選挙への立候補を決意しました。
当時は、いわゆるロッキード選挙と言われる大逆風の選挙でしたが、多くの支援者の皆様のお力添えもあり、厳しい選挙戦を勝ち抜きました。
以後、中選挙区制度で四回、小選挙区制度で一回当選し、この間、政治改革や選挙制度改革、自民党が初めて野党に転落するなど、激動の時代を経験してきました。
五期目の途中で、当時の長崎県知事が引退表明したのに伴い、ふるさと長崎県を良くしたいという一心で知事選への立候補を決意しました。
先輩議員や同僚議員から、五期もやったのにもったいないという声を多くいただきましたが、ふるさとへの思いの方が勝り、激しい選挙戦を繰り広げた結果、当選しました。
長崎県知事としては、特に行政の効率化に力を入れました。民間でやれるものは民間で、公でやるべきものは公でという基本理念を掲げ、様々な改革を推し進めてまいりました。
当時は、市町村がいわゆる箱物行政で競い合うような時代でしたが、人口減少が進む長崎県内の市町村にあっては、行政の効率化と優秀な人材を確保するために、ある一定程度の行政規模が必要だと考え、市町村合併を推進してきました。
関係合併市町村の御理解、県議会の御協力もあり、長崎県内で七十九あった市町村を二十一に再編統合しました。
長崎県知事は三期十二年務めましたが、私は常々権力の座には長くいるものではないと考えていましたから、周囲からもう一期やるべきだとのお話があったものの、きっぱりと退任を決意しました。
平成二十二年三月、知事を退任した当時、自民党は野党でありました。運命とは不思議なもので、衆議院議員の当選同期であり、当時の自民党幹事長であった大島理森先生から、もう一度自民党政権をつくるために協力してくれないかと参議院選への出馬要請を受けました。
もう政治家を続けるつもりはありませんでしたが、私の後継の知事は自民党が野党であるため大変苦労しているようでしたから、誰かが国政と長崎県とのパイプ役にならなくてはいけないと思い、参議院議員として再び国政に復帰しました。
参議院議員になってからも、私は地元第一主義、ふるさと主権を掲げて活動してきましたが、とりわけ力を入れた政策として、合併算定替えがあります。
普通交付税は合併後十年間の特例期間の後、五年間の経過措置で段階的に減額されることになっていましたが、合併市町村から廃止への懸念の声が相次いでいました。
私は知事時代、全国に先駆けて合併を推進してきたこともあり、自民党が政権に復帰すると、同志の先生方と議員連盟を設立して政府に働きかけ、七割まで復元されることになりました。
私の座右の銘は誠実であります。どんな立場にあっても、何事にも誠実であることを心掛けてきたつもりです。ふるさとを思い、ふるさとのためにこれまで働いてこられたことは、身に余る光栄であります。
思い返しますと、私の政治生活は長崎県議会議員に始まり、衆議院議員、長崎県知事、参議院議員と、来月で四十六年がたちます。これまで連続当選してこられたのは、地元の後援会の皆様始め支援者お一人お一人の支えがあってからこそであります。
また、参議院議員として、決算委員長、初代情報監視審査会会長、資源エネルギーに関する調査会長、そして予算委員長を三年間と、絶えず活躍の場を与えてくださった参議院自民党の歴代執行部の先生方に、この場をお借りして深く御礼を申し上げます。
結びに当たりまして、私を産み育ててくれた父と母、一番身近に支えてくれた親愛なる妻の和子と家族、親族、そして苦楽を共にしてくれた事務所スタッフに感謝をささげたいと思います。
本日は誠にありがとうございました。(拍手)
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