西田昌司の発言 (憲法審査会)
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○西田昌司君 自民党の西田昌司でございます。
我が党の基本的考えは先ほど幹事の石井先生がお話しになりましたけれども、自衛隊の明記とそれから緊急事態条項、さらには教育の充実と合区の解消ということでありますが、特に自衛隊や緊急事態条項というのは、考えてみれば独立国家なら当然の話で、自分の国を守り自分の国民を守る仕組みを憲法に明記しておくのは当たり前の話ですが、なぜそれが書かれていないのかと。
それは特に憲法ができた最初の出足のところからあるわけですが、御存じのように、日本のこの憲法は昭和二十一年の十一月三日に公布をされて二十二年の五月三日から施行されていますが、これはあの敗戦の真っただ中であります。GHQに占領されていた時代に作られたと。そして、それがために自分たちに主権がないわけですから、このいわゆる緊急事態条項も自衛権も認められないというような形で作られてきたと。
これが、独立を回復してからは、いわゆる解釈改憲的な形で自衛権は当然あるんだという形になっていますけれども、それをもう一度しっかり憲法上に明記をしようというのは当然のことだろうと思います。
しかし、それだけではなくて、私は、この日本国憲法に書かれている内容そのものがそもそもGHQに作られたものですから、日本人の伝統、精神とかなり懸け離れたところにあるというのを随分前から感じておりました。
なぜそうなったのかなということを考えると、実は元々の明治憲法、明治憲法が作られたのは明治二十二年の二月十一日で、施行されたのが十一月、二十三年の十一月二十九日ですが、同時にこのときから帝国議会が始まりました。そして、その中でいろんな議論がされてきましたが、そのときに、この明治憲法作られたときに同時に作られたのが実は教育に関する勅語なんですね、いわゆる教育勅語。これが明治二十三年の十月三十日に公布されています。ここに、法律事項ではありませんけれども、日本人の伝統的な価値観というのをそこに並べて、日本人のこの考え方がずっと長らく保つことができたんですが、これも実は終戦によって昭和二十三年の六月十九日に無効確認ということがされてしまっております。
憲法を論じるときには、こうした歴史的経緯を含めて考えていかないと私は議論することはできないんじゃないかと思います。
ウクライナ問題も、力による現状変化は当然否定しますけれども、その背景にある歴史的事項を我々考えないと、軽々に発言するものではないと思っております。