芳賀道也の発言 (東日本大震災復興特別委員会)
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○芳賀道也君 国民民主党・新緑風会、会派を代表して質問をさせていただきます。
初めに、社会学者で慶応大学教授の小熊英二教授によりますと、我が国の災害復興の枠組みが高度成長期の経済社会に対応した形ででき上がり、高度成長期はうまくいっていたものの、一九九〇年代以降は、内閣防災、国交省、農水省、経産省、各省の復興政策の多元化と硬直化、つまり縦割りの弊害もあって、我が国の社会状況の変化に対応した復興政策になっていないという指摘があります。
具体的に指摘をしてみたいと思います。
一九九三年の津波で大きな被害を受けた北海道奥尻島では、約四千七百人の島に総額九百二十七億円を掛けて高さ十一メートルの防波堤を建設し、人工地盤や高台宅地の造成、盛土による市街地のかさ上げなどが行われました。しかし、人口は二〇二一年まで約三分の二に減ってしまい、漁業組合員も半分以下になってしまっています。
二〇〇三年に熊本県水俣市の山間部にある宝川内集落が土石流災害に見舞われました。その復興事業として、砂防ダム工事、治山事業、林地荒廃防止施設、農地区画整理など、総額三十二億五千二百万円を投じました。しかし、災害前に約八十人だった人口が二〇〇八年までに半減してしまいました。住民一人当たり四千万円から八千万円の税金を掛けたのに、集落維持には効果が少なかった。
一九九五年に起きた阪神・淡路大震災の復興事業は、空港、港湾の整備、公営住宅の建設、被災地域の再開発など、公共事業が中心でした。しかし、その工事を請け負ったゼネコンは兵庫県外の会社が多く、震災以降一九九八年までに兵庫県内で需要が増大した七・七兆円のうち、実に八九%が県外に流出したという試算があります。公共事業中心の復興事業だったため、震災後の求人は建設業に多く、しかも若年層の一時雇用に偏っていました。しかし、実際に職を探していたのは中高年の事務職の方が多く、雇用のミスマッチが生じ、失業や人口流出が生じやすかった。
住宅再建支援がない代わりに仮設住宅、公営住宅が建設されて、避難所から応急仮設住宅、復興公営住宅に引っ越した場合、投じられた公的負担は一世帯当たり約千二百万円から千九百万円に上ります。さらに、家賃補助や公営住宅の用地取得代を含めると、一世帯当たり公的負担は三千万円を超えたとも言われます。これらの公的支援を被災者の住宅再建支援に直接充てた方が効率的だったという指摘があります。
また、復興事業で建設業が人為的に成長したため、結果的に産業構造の転換が妨げられ、神戸の主産業だった港湾業や重工業をアジア各国との厳しい競争の中でより高度な産業構造へ転換すべきところだったのにそれが果たせず、これらの在来産業の衰退が加速してしまいました。
産業衰退と人口流出が地域経済を押し下げて、小売業も低迷。震災のあった一九九五年の震災被災地域の域内総生産、GRPと日本全体の国内総生産をそれぞれ一〇〇とすると、二〇〇三年にはGDPは一〇四と伸びましたが、域内総生産、GRPは八八まで落ち込んでいます。
現状の災害復興の枠組みでは、そのほかに、元々あった一次産業、製造業、卸売業など零細企業、個人事業にとって厳しい一方、一時的に建設業を肥大させて大企業集中や産業空洞化につながりやすいという産業上の問題があります。この影響で廃業した個人企業、個人事業のお年寄りが職と住まいを失い、仮設住宅や公営住宅で無職や生活保護の暮らしになった方もいます。職を失ってほかの地域に引っ越す人が多く、被災地での人口流出が各地で見られています。
各省の方々や自治体の職員さんたちが真面目に復興事業に取り組んでいるのは評価したいのですが、現在の災害復興の枠組みに、公共事業偏重と大企業中心主義、既存の地域産業の復活に消極的で、特に零細企業、個人事業に厳しい、多額の予算を費やしても、復興事業をしても、結果的に被災地の人口減少を招き、個々の被災者への支援や賠償金の支払が被災者自身の意向に沿ったものになっていないなど、構造的な問題があり、災害復興全体の枠組みを見直す必要があるのではないかと考えますが、復興大臣の御見解を伺います。