酒井庸行の発言 (農林水産委員会)
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○酒井庸行君 大臣、ありがとうございました。
そこで、大臣、もうちょっと考えていただければ有り難いんです。
ちょっと少し話が長くなりますけれども、一九六〇年代から一九七〇年代というのにかけて、日本の農業というのはいわゆる基本的な構造が変わったというふうに思います。御承知のとおりだと思いますけれども、社会自体が農業を中心とした社会から工業を中心とした社会に変わりました。いわゆる高度成長時代に入っていくわけですけれども、すなわち農産物の物流の仕組みというのが工業のいわゆる仕組みの中に取り込まれていくんです。
お分かりいただけると思いますけれども、この辺りから自給率というのも下がってまいります。それはということは、飼料や穀物や食べ物の輸入がどんどん増えていって、いろんな食材によって食べ物が変わりました。
この頃、いわゆる一九六九年からちょうど米の生産調整が行われるようになりましたよね。つまり、お米を食べなくなっちゃった、余っちゃったということからそういうことができたわけですけれども、本来は、農家は、私たちもそうでしたけれども、豊作になれば、あっ、今年も豊作だと喜ぶんですね。ところが、この頃から、もう豊作だと困っちゃうんですね。そういう状態になった。これはもう本当に、お米が日本の社会と文化にとって本当は象徴的な作物であるんだけれども、そこでもう変わってきちゃったと、違ってきたという状況が起きていました。
これは、実は大変なことだと私は思います、農業にとっては。でも、これをそのときに感じた人というのは、大変なことになるぞと感じた人ってほとんどいないと思う。私も感じませんでした、実は。今になってそれこそいろんなことが言えるんですけれども、そんなことだというふうに思います。
農業問題を工業社会の中でどう考えるかという点で、経済システムの中で消費者が選べるというのは実際限定されているという話が実はありました。どのようなものを食べるかということは、どのようなものを作るか、そして作ってもらうかということですよね。何を作るかを決定するのは消費者でもなければ生産者でもないという話なんです。それはおかしいと私は思います。
それは、なぜかというと、流通業、それから小売業あるいは大きな食品関連産業や国によってほぼ決められてしまうというんです。生産者は、おいしいものを作ることはもちろんですけれども、効率のいいものを作るということが強制されるような時代になった、仕組みになってきたということです。これは、工業社会へ食料を供給するために農家が利用されているというふうにも考えることができるということです。工業製品によって人間はより便利になって、生活の恩恵を受けて、とってもいいんですけれども、だけど工業製品で人間が生きられるわけじゃないと私は思います。
余り時間もありませんので簡単にまた話をしていきますけれども、農業というのは、私の子供の頃から培われたとは言いませんけれども、実感として思うのは、生きていくことだとか自然観だとか人生観だとか、物の考え方にまで深く私は踏み込んでいるというふうに、染み付いているというふうに思います。
今この社会の中で、AIやIoTやデジタル社会が成熟期に入ってまいります。経済システムが大きく変わって、それから社会構造も変わります。社会が大きく変化していく中で、バランスを非常に重んじて、必然的にですよ、人間が間違った方向に向かわないDNAを養っているのは私は農業だというふうに思います。間違いないと私は思います。
その農業というのをいろいろ勉強して資料で調べました。農林水産省の中の農林行政史にこう書いてあります。農業のその社会的特色は、人間労働の組織のされ方によって決められると記されているんです。このことをよく考えなければいけないと私は思います。そして、ある本には、農業は人間と自然との共同作として培われた自然技であるというふうにもあります。これは、農業がいわゆる文明の基盤となっていることを意味しているということなんじゃないかなと私は思いますし、つまり、それはそのとおりだというふうに思います。
五十年近く続いた減反政策でありますけれども、一九七〇年の時点で、このときに工業社会というものをしっかり捉えていたら、つまり米の市場経済化というのを実行していれば、生産調整や減反調整なんてやらなくてよかったという意見が実は多くあります。小沼さんはそれこそ経産省出だからそんなふうによく分かっていると思いますけれども、本当の問題というのは米価や生産調整の問題じゃないんだと。先ほども言いましたけれども、農業社会が工業社会に利用されて、つまり農業の仕組みが変わったことによるというふうに思います。
いい米を作るから売るんではないんです。政府が作れと言うから米を、言うから米を作ると。政府に買い取ってもらって、本当ならもっと米を作りたいんだけれども、その分だけ補償してくれるなら生産調整に協力するのがいいということになる。これでは、いわゆる私たちからすると、五穀豊穣をやってきた、それこそ新嘗祭をやって、神社で、何のためのあれなんだということにもなってきて、つまり農業というのの農民の意識が壊れていくことにもなってしまってきているというのも事実だと私は思います。
価格補償をすることで農業の持つ意味というのが変化していったんです。先ほども言いましたが、そうなります。それは、作物を作る意識を失うということにもなるし、魅力がなくなるということにもなる。補償金よりも、だって、会社へ行って給料もらった方が安心して安定した生活ができるということになっちゃうからですよ。
先祖がこうしたものを、ちゃんと培ってきたものを、その田んぼやその土地というのを、本当にこういうことを考えると何だったんだろうというふうに思うんです。農業補償がもたらす数々の問題、課題というのは、農業というものを何か改めて考えなきゃいけないというふうに私は思っています。だから、先ほど言いましたように、農業の産業化と言い切っていいのかというのが疑問を感ずるということなんです。
もう時間がありませんので、申し上げます。
田名部委員からも予算委員会でありました。この十年が非常に厳しいときだと。何とかしないと、それこそ農村は終わるし、農業自体も終わるということになってしまうと。人・農地プランは、食料・農業・農村基本法の理念の実現に向けて、農業生産の維持増大と効率的な、安定的な農業経営が農業生産の担当部分を担う農業構造を確立するための、地域が主体となって中長期的なビジョン、目標、活動を定めたものであるというふうに書いてあります。私は、今回の法案の、提出予定の法案を見ても、地域が主体となっているというふうに書いてあるけれども、ちょっと疑問です。
それからもう一つ、また、農業構造を確立するというふうに書いてあるけれども、確立するんですか。私は違うと思います。農業構造って変化していくんだから、構築していくんだというのが本当だと私は思います。
そういう意味で、農業というのは何なんだというふうに思っています。大臣も、時間がなくなりましたのでここでお話しさせていただきますけれども、この点をよく踏まえてまたお考えいただいて、農林水産省もそうですけれども、農業というものを本当に真剣にここで考える時期だと私は思っています。それは、農業者もそうですし、やはり国民全体が考えなきゃいけない、社会全体の問題という大きな問題だというふうに思っておりますので、そのことをお話をして終わります。
以上です。ありがとうございました。